2011年7月29日金曜日

ぼくのおじさん












「ぼくのおじさん」(アーノルド・ローベル/作 三木卓/訳 文化出版局 1982)

〈ぼく〉はゾウの子ども。ある日、旅にでた母さんと父さんは、船で嵐にあい、帰ってこなくなってしまいました。〈ぼく〉は、カーテンをしめ、部屋でひとりぼっちで座っていました。そこへ、おじさんがやってきました。ずいぶんたくさんのシワがありますね、という〈ぼく〉に、「そうとも」とおじさんはこたえました。「一本の木の葉っぱよりもたくさんある。浜辺の砂つぶよりもたくさんある。空の星よりもたくさんある」。

〈ぼく〉はおじさんと一緒に汽車に乗り、おじさんの家にいって、ランプをつけたり、夜明けに挨拶したり、散歩をしたりします──。

「がまくんとかえるくん」シリーズで高名な、アーノルド・ローベルの絵本です。〈ぼく〉とおじさんの出会いから別れまでが、短い話をあつめた連作としてえがかれます。章立てを引用してみましょう。

「おじさん ドアを あける」
「おじさん でんちゅうを かぞえる」
「おじさん ランプを つける」
「おじさん よあけに あいさつする」
「おじさん からだが ぎしぎしする」
「おじさん おはなしを する」
「おじさん ふくを きる」
「おじさん うたを つくる」
「おじさん ドアを しめる」

どの話もささいなことがらをとりあげたものばかりですが、それでいて深い味わいを残します。小学校低学年向き。

2011年7月28日木曜日

みんなのこもりうた











「みんなのこもりうた」(トルード・アルベルチ/文 なかたにちよこ/絵 いしいももこ/訳 福音館書店 1966)

〈あざらしの こが ねています。
 あざらしは はまべで ねむります。
 なみは まわりで おどります。
 けれども だれも あざらしの こに
 こもりうたを うたっては やりません。

 かもめの こどもが ねています。
 かもめは すなはまで ねむります。
 ちいさい さかなは かもめのごちそう。
 けれども だれも かもめの こどもに
 こもりうたを うたっては やりません。〉

おやすみ絵本(というジャンルがあるかどうか知りませんが)の1冊です。このあと、クマ、ウサギ、リス、ビーバー、ウマ、ハリネズミ、ライオン、フクロウなどがうたわれます。訳文は、ごらんのとおりリズミカル。中谷さんの渋い色あいの絵と、石井桃子さんの訳文が、絵本ぜんたいに落ち着いた雰囲気をあたえています。幼児向き。

2011年7月27日水曜日

くまのビーディーくん










「くまのビーディーくん」(ドン=フリーマン/作 まつおかきょうこ/訳 偕成社 1998)

ビーディーくんは、セイヤーくんという男の子がもっているおもちゃのクマでした。ときどき、ゼンマイがもどってしまい、ビーディーくんは仰向けにひっくり返りました。すると、必ずセイヤーくんがカギをもってやってきて、ネジを巻いてくれました。

さて、ある冬の日、セイヤーくんはいつ帰るともいわずにでかけてしまいました。はじめてひとりになったビーディーくんは、本をみて、クマは洞窟に住むことを知り、自分も洞窟で暮らそうと、近所の洞窟にむかいます──。

クマのおもちゃビーディーくんと、人間の男の子セイヤーくんの友情をえがいた絵本です。このあと、ビーディーくんは洞窟での暮らしを快適にするために、家から自分の枕をとってきたり、懐中電灯や新聞をもちこんだりします。絵は白黒。版画風の、黒と白がはっりきした絵です。小学校低学年向き。

2011年7月26日火曜日

ジルベルトとかぜ











「ジルベルトとかぜ」(マリー・ホール・エッツ/作 たなべいすず/訳 富山房 1978)

風が戸口で「おーい」と、ちっちゃい声で呼んでいるのが聞こえます。〈ぼく〉は風船をもって外にとびだします。はじめ、風はおとなしく風船を空にふわふわ浮かべていますが、突然、風船をさっととり上げ、木のてっぺんにはこんでしまいます。「お願いだから返してよ」といっても、風は笑って「おーい」とささやくだけです──。

風を相手にひとり遊びする男の子をえがいた絵本です。風は洗濯ものを吹き飛ばしてしまいますし、カサをこわしてしまいます。風は、草の上を走っていけるのに、〈ぼく〉は地面を踏んで草をかきわけていかなくちゃいけないから、かけっこするといつも風が勝ちます──。

絵は、鉛筆でえがかれたデッサン風の絵に、白と茶色でわずかに着色されたもの。男の子のしぐさや、風の感じがよくとらえられ、まるでページのなかに風が吹いているようです。文字が小さいので、お話会などで読むには少し不向きかもしれません。小学校低学年向き。

のんびりおじいさんとねこ









「のんびりおじいさんとねこ」(西内ミナミ/作 わかやましずこ/絵 福音館書店 2011)

海辺の小さな小屋に、おじいさんがひとりのんびり暮らしていました。そこへ、ある日、ネコが一匹ふらりとやってきました。おじいさんはアジの尻尾をネコをやるといいました。「ここにはいつも新鮮な魚がある。いつまでもここにいるんじゃよ」

けれど、毎日毎日ネコが食べるのはアジの尻尾ばかりです。「たまにはうまい身をたらふく食べたいもんだ」と、ネコは立ち去ろうとしますが、「おまえのために、特別でっかい魚をとってやろう」と、おじいさんは引きとめます。

「「こどものとも」人気作家のかくれた名作10選」の1冊です。絵を描いた和歌山静子さんは、寺村輝夫の「ぼくは王さま」シリーズのさし絵画家として高名です。「でっかい魚をとってやろう」といったおじいさんは、古い釣り竿を直しはじめたり、えさのミミズをとったりして、なかなか海にでていきません。やっと海にでて魚を釣ったと思ったら、釣れた魚をまたえさにしたりして、ネコをやきもきさせます。もちろん、最後は大きな魚をしとめるのですが、それがすんなりネコの口にはいらないところが面白いところです。絵は3色。黒く太い描線が特徴的です。小学校低学年向き。

2011年7月22日金曜日

どろんこのおともだち












「どろんこのおともだち」(バーバラ・マクリントック/作 福本友美子/訳 ほるぷ出版 2010)

ある朝、シャーロットに小包が届きました。なかから、レースのたくさんついたドレスを着た、お人形があらわれました。「あなたにぴったりのお人形を贈ります」と、エズメおばさんからの手紙も入っていました。

シャーロットはお人形をひとつももっていませんでしたし、ほしいと思ったこともありません。シャーロットの部屋は、トンボの標本や、箱に入れて飼っている虫や、森でみつけた鳥の巣でいっぱいです。「わたしたち、どろんこ遊びが好きなの。お茶会はやらないし、可愛らしい乳母車もないの。わたしたちのやりかたになれてちょうだいね」と、シャーロットはお人形にいいきかせます──。

外で遊ぶのが大好きな女の子が、可愛いお人形と仲良くなるという絵本です。絵はすこし古風な、細かいところまでていねいにえがかれたもの。このあと、シャーロットはお人形と、クマのぬいぐるみのブルーノと一緒に、どろんこでケーキをつくったり、魚釣りをしたり、男の子たちとワゴン競争をしたりします。お人形は1日ですっかりぼろぼろになってしまうのですが、それをみたエズメおばさんの言葉がじつに素敵です。小学校中学年向き。

2011年7月21日木曜日

モミの木












「モミの木」(アンデルセン/原作 バーナデット/絵 ささきたづこ/訳 西村書店 1999)

森のなかに、一本の小さいモミの木が生えていました。モミの木は早く大きくなりたくてしかたがありませんでした。ときどき、キイチゴを摘みにやってきた村の子どもたちが、モミの木をみつけて、「なんてかわいいモミの木かしら」といいましたが、小さなモミの木はちっともうれしくありませんでした。

クリスマスのころは、若くて格好のいいモミの木がたくさん切り倒されます。小さなモミの木が、どこへいくんだろうと思っていると、スズメたちが「モミの木はきれいな飾りをたくさんつけて、部屋の真ん中に立ってたよ」と教えてくれます。モミの木があこがれに枝をふるわせると、風がいいます。「ここにいることを喜びなさい」。でも、モミの木はうれしくはありません──。

アンデルセン原作の絵本です。絵は、色鉛筆でえがかれたもの。このあと、モミの木は切られて、あるお家に飾られて、すっかり嬉しくなったモミの木でしたが…と物語は続きます。アンデルセンらしい、もの悲しいストーリーが印象に残ります。小学校中学年向き。

なお、同じ原作を写真で表現した絵本に、「モミの木」(マルセル・イムサンド/写真・構成 リタ・マーシャル/写真・構成 小杉佐恵子/訳 西村書店 1988)があります。大人向きですが、読みくらべてみるのも面白いでしょう。

2011年7月20日水曜日

からすのパンやさん












「からすのパンやさん」(かこさとし/作 偕成社 1978)

〈いずみがもり〉の黒文字3丁目の角の中くらいの木にある、カラスのパン屋さんのうちに、4匹の赤ちゃんが生まれました。お父さんとお母さんは、赤ちゃんが泣きだすと、あやしたり、おっぱいを飲ませたりしなければならなかったので、ときどきお客さんを待たせたり、お店を散らかったままにするようになりました。おかげで、お客がだんだん減って、貧乏になってきました。

あるとき、4羽がおやつに、いつもの売れ残りの、できそこないのパンを食べていると、お友だちがやってきます。できそこないのパンは、お友だちのあいだでも評判がよく、そこで家族みんなでいろんなパンをつくることにします。パンは大勢の子どもたちに売れ、カラスのパン屋さん一家はもっといろんなパンをつくることにします──。

お話会の定番絵本のひとつです。文章はタテ書き。このあと、大変評判になったパン屋さんに、大勢のカラスが押しかけてきて…と物語は続きます。カラスの群が、1羽1羽描き分けられているのが見どころのひとつです。圧巻は、一家がつくったさまざまなパンが、見開きでえがかれた場面。子どもたちに読み聞かせると、この場面で、パンのとりあいをはじめたりします。小学校低学年向き。

2011年7月19日火曜日

カンガルーには、なぜふくろがあるのか












「カンガルーには、なぜふくろがあるのか」(ジェームズ・ヴァンス・マーシャル/再話 フランシス・ファイアブレイス/絵 百々佑利子/訳 岩波書店 2011)

はるか昔、ドリームタイム(夢の時代)に、いのちのつくりぬしは、哺乳動物、魚、鳥という3種類の動物をつくりました。そのとき、つかわなかった材料が少しずつ残っているのに気づき、それらの材料をつかって動物をつくり、カモノハシと名づけました。最初、哺乳動物と魚と鳥は、仲良く幸せに暮らしていました。ところが、しばらくすると、どの動物たちも自分が一番上等で、えらい生きものだと思うようになり、いいあらそいやけんかをはじめました。

さて、動物たちはそれぞれカモノハシのところにやってきて、仲間になるようにいっていきます。カモノハシは考えて考えて考えますが、どんなに考えても、どの仲間に入ったらよいか決められません。待ちくたびれた動物たちが、池のほとりにあるカモノハシの住まいの前にあつまり、それぞれ仲間に入るように呼びかけると、夕方、涼しくなったころ、やっとカモノハシが姿をあらわします──。

本書は、オーストラリアの先住民アボリジナルの物語を10話おさめた読物絵本です。目次から、10話のタイトルを引用しておきましょう。

「虹色の大ヘビが大地をつくったはなし」
「カンガルーには、なぜふくろがあるのか」
「カエルはなぜぐわっぐわっとなくだけか」
「ブロルガは、なぜおどるのか」
「カモノハシは、なぜとくべつな生きものか」
「山のバラ」
「2ひきのガと、山の花ざかり」
「クロコダイルは、なぜウロコをもつようになったか」
「トカゲ男と、ウルルの誕生」
「ちょうちょうと、死ぬことのなぞ」

さらに、巻末に3つの解説がついています。

「オーストラリア先住民アボリジナル」
「ことばの解説 オーストラリアの動物や植物ほか」
「アボリジナルの絵に使われる記号」

オーストラリアの先住民は、通常「アボリジニ」と呼ばれていますが、解説によれば、いまでは先住民自身の希望と意見をとりいれて、「アボリジナル」(先住の人たち)という呼びかたがつかわれているそうです。再話者のジェームズ・ヴァンス・マーシャルは「美しき冒険旅行」(清流出版 2004)の作者として高名です。絵を描いたフランシス・ファイアブレスは、アボリジナルのヨータ・ヨータ部族出身ということです。冒頭の紹介文は「カモノハシは、なぜとくべつな生きものか」から。動物たちにたいするカモノハシの、考えに考えたすえの返答が胸を打ちます。小学校高学年向き。

2011年7月15日金曜日

とびねこヘンリー












「とびねこヘンリー」(メリー・カルホーン/文 エリック・イングラハム/絵 猪熊葉子/訳 リブリオ出版 2007)

ずっと気球で空を飛ぶ訓練を受けてきたお父さんは、今度いよいよひとりで飛ぶことになりました。でも、まだ空を飛んだことのないネコのヘンリーは、不満で尻尾をぴゅっぴゅっと振りました。みんなが、きしきしきしむ3月の雪を踏みしめながら気球を上げる支度をしているのを、ただみていなくてはならないなんて、冗談ではありませんでした。

ヘンリーは、みんなが目をはなした隙に、気球のカゴに乗りこみ、バーナーを点火するひもを引っ張って、たった1匹で空高く飛んでいきます──。

スキーをしたり、船に乗ったりする、「ねこのヘンリー」シリーズの1冊です。絵は非常に細密にえがかれた、リアリティに富んだもの。空中の感じや、川の表現など目を見張ります。このあと、飛び立ったヘンリーは、川に落ちそうになったり、近づいてきたワシを追い払ったり、電線に引っかかりそうになったりしながら、なんとか飛行を続けていきます。迫真力に満ちた絵でえがかれる、ヘンリーの活躍が大変楽しい一冊です。小学校低学年向き。

2011年7月14日木曜日

どれがぼくかわかる











「どれがぼくかわかる」(カーラ・カスキン/作 よだしずか/訳 偕成社 1978)

「ね、お母さん。ぼくがみんなのなかにいたら、どれがぼくかわかる?」と、ウィリアムがたずねました。「もちろんよ」とお母さんがいったので、ウィリアムは馬のいる野原へでかけて馬になり、みんなと一緒に遊びました。すると、お母さんがいいました。「お母さんにはわかるわ。大好きな帽子をかぶっているんですもの」「みつかった」

このあと、ウィリアムは、スカンクやヒツジやアヒルやネズミや鳥やウサギやイヌやブタになりますが、いつでもお母さんはウィリアムのことをみつけます──。

冒頭、お母さんがお昼のパイをつくっているところからはじまり、最後はウィリアムがパイを食べるところで締めくくられます。変身するたびに、ウィリアムは帽子をかぶったり、スカーフを巻いたり、セーターを着ていたりしているので、すぐそれとわかります。おそらく、読者である子どもたちもすぐウィリアムのことをみつけだすでしょう。リズミカルなくり返しがたのしい一冊です。小学校低学年向き。

2011年7月13日水曜日

もしもねずみにクッキーをあげると












「もしもねずみにクッキーをあげると」(ローラ・ジョフィ・ニューメロフ/文 フェリシア・ボンド/絵 青山南/訳 岩崎書店)

「もしも、ネズミにクッキーをあげると、──きっと、ミルクをくれという」と、男の子がどんどん連想していく絵本です。

「ミルクをあげると、こんどはたぶん、ストローをくれ、という。飲み終わると、つぎは、ナプキンをくれ、だ。それからきっと、鏡をみたがる。ミルクが白いヒゲみたいについていないかどうか、たしかめたくてね」──。

絵は、黒の主線に色鉛筆で色を塗ったもの。小さい絵本ですが、けっこう遠目がききます。このあと、ネズミは髪を切ったり、掃除をはじめたり、昼寝をしたり、お絵かきをはじめたりします。次つぎと連想がつながっていくさまが楽しい、お話会に向いた一冊です。本書の姉妹編として、「もしもこぶたにホットケーキをあげると」などがあります。小学校低学年向き。

2011年7月12日火曜日

マトリョーシカちゃん









「マトリョーシカちゃん」(加古里子/作 ヴェ・ヴィクトロフ/原作 イ・ベロポーリスカヤ/原作 福音館書店 1992)

お人形のマトリョーシカちゃんは、お客さんを呼ぶことにしました。紙に、「道を通るみなさん、どうかわたしのところへ遊びにきてください。ドナーシャもクラーシャもダーシャも待っています」と書いて、うちの外に貼っておきました。するとまもなく、手風琴(アコーディオン)を鳴らしてユラユラ人形のイワンちゃんがやってきました。「こんにちは、ドナーシャさん。遊びにきましたよ」。「まあいらっしゃい。でも、わたしはドナーシャじゃないわ」「じゃ、ドナーシャさんはどこにいるんですか?」

そういっているところへ、ドングリ人形のイリューシャちゃんがクラーシャさんを訪ね、ヤギに乗ったお洒落人形のアンドリューシャがダーシャさんを訪ね、馬車に乗ったペトリューシャがやってきます。みんなは、ドナーシャもクラーシャもダーシャもいないじゃないかと怒りだすのですが──。

ロシアの人形、マトリョーシカを主人公にした絵本です。本書の扉で、マトリョーシカちゃんは洗濯物を干しているのですが、その場面が裏表紙につながっています。もちろんこのあと、ドナーシャとクラーシャとダーシャが次つぎとあらわれる展開になります。小学校低学年向き。

2011年7月11日月曜日

にぐるまひいて










「にぐるまひいて」(ドナルド・ホール/文 バーバラ・クーニー/絵 もきかずこ/訳 ほるぷ出版 1980)

10月、父さんは荷車に牛をつなぎました。それからみんなで、一年間にみんながつくり、育てたものを、なにもかも荷馬車に積みこみました。4月に父さんが刈りとった羊の毛をつめた袋、母さんがその羊の毛をつむいで編んだショール、それに娘が糸で編んだ指なし手袋が5組。みんなでつくったロウソク、亜麻を育てて仕上げたリンネル、父さんが切りだした屋根板のたばと、息子が料理ナイフでつくった白樺のホウキ。野菜畑から掘りだしたジャガイモとリンゴをひと樽、ハチミツとハチの巣、カブとキャベツ、3月にカエデの樹液を煮つめてとった、カエデ砂糖の木箱詰め、それに放し飼いのガチョウから子どもたちがあつめた羽がひと袋──。

荷馬車がいっぱいになると、父さんは牛を引いて、10日がかりでポーツマスの市場にむかいます。そして、なにもかも、牛も荷馬車も売りつくし、家族みんなにおみやげを買って、きた道をもどって家に帰ります。

アメリカの、昔の暮らしをもとにした絵本です。このあと、うちに帰ってきた父さんは、冬じゅうかけて新しい荷車をつくり、母さんはリンネルを、娘は刺繍を、息子はホウキをつくり、3月には家族総出でカエデ砂糖をつくるところがえがかれます。淡々とした家族の暮らしが、読む者の胸を強く打つ絵本です。1980年度コールデコット賞受賞。小学校低学年向き。

2011年7月9日土曜日

いってらっしゃーいいってきまーす









「いってらっしゃーいいってきまーす」(神沢利子/作 林明子/絵 福音館書店 1983)

なおちゃんは、お父さんの自転車に乗せられて、保育園にむかいます。角のタバコ屋のおばあちゃんに手を振られ、クリーニング屋や、パン屋、クツ屋、肉屋、八百屋の前を通って、保育園に到着します。

保育園で1日をすごしたなおちゃんを、夕方、お母さんが迎えにきます。なおちゃんはお母さんと、八百屋や肉屋によりながら、お家に帰ります──。

朝、自転車で保育園にいく場面は、映画でいうロングで、帰り道は子どもの目の高さにあわせたアップでえがかれています。帰り道で立ちよるお店が、ちゃんといきの場面でえがかれているので、思わず何度も本を見返してしまいます。ほかにも、ある登場人物が、別の場面に顔をだしていたり、「ぼくのぱんわたしのぱん」の3人が、チョイ役で出演していたりと、じつに楽しく、見所満載な1冊です。小学校低学年向き。

2011年7月7日木曜日

おばけのバーバパパ











「おばけのバーバパパ」(アネット=チゾン/作 タラス=テイラー/作 やましたはるお/訳 偕成社 1977)

バーバパパはフランソワのうちの庭から生まれました。2人はすぐ仲良しになりましたが、フランソワのお母さんは、「バーバパパは大きすぎるからうちにおいておくわけにはいかないわ」といいました。そこで、仕方なく、バーバパパは動物園に入れられることになりました。

姿を自由に変えられるバーバパパは、動物園の檻を抜けだし、動物たちと友だちになろうとします。ですが、うまくいきません。おまけに、勝手に檻からでたことに腹を立てた園長さんにより、動物園を追いだされてしまいます──。

「おばけのバーバパパ」シリーズの第1作です。この作品では、バーバパパの家族はまだでてきません。絵は、ほぼ横からの構図で、線画にところどころ水彩で着色されたフラットなもの。このあとのストーリーはなかなか劇的なのですが、このフラットな絵のおかげで落ち着いた、軽妙な雰囲気になっています。だれもが親しめる楽しいシリーズです。小学校低学年向き。

2011年7月6日水曜日

どうながのプレッツェル












「どうながのプレッツェル」(マーグレット・レイ/文 H・A・レイ/絵 わたなべしげお/訳 福音館書店 1978)

プレッツェルは、5月のある朝生まれた、5匹のダックスフンドの子犬の1匹でした。はじめのうち、みんな見分けがつかないほどそっくりでした。ところが、プレッツェルの胴体はぐんぐん伸びて、ついに世界一胴の長いダックスフンドになりました。1歳になったとき、ドッグショーで優勝したプレッツェルは、ブルーリボンをもらいました。

優勝して大得意のプレッツェルでしたが、むかいの家に住む、小さなダックスフンドのグレタだけは、プレッツェルを知らん顔します。プレッツェルは、グレタのことが大好きで、結婚したいと思っているのですが、グレタは「胴長なんて大きらい」と笑うばかりです。プレッツェルが、骨をあげても、ボールをあげても、「ありがとう」ともらうだけで結婚してはくれません。「だって胴長はきらいなの。贈りものならだれでもできる──」

グレタにつれなくされて、プレッツェルはすっかり落ちこんでしまうのですが、このあと、グレタがプレッツェルのことをすっかり見直すようなことが起こります。ストーリーも絵も陽気な、楽しい一冊です。小学校低学年向き。

2011年7月5日火曜日

ぼくのくれよん












「ぼくのくれよん」(長新太/作 講談社 1993)

このクレヨンは、ネコと同じくらいある、とっても大きなクレヨンでした。というのも、このクレヨンは、ゾウのクレヨンだったのです──。

ゾウが青いクレヨンで、びゅーびゅー描くと、大きな池のような絵ができあがります。カエルがまちがえて飛びこみますが、池ではなかったのでびっくりしてしまいます。ゾウが、こんどは赤いクレヨンでびゅーびゅー描くと、動物たちは火事だと思って逃げだしてしまいます──。

絵は、おそらくクレヨンで描かれたもの。ゾウがびゅーびゅーと描く場面は、大変豪快で、ほんとうに大きな絵がえがかれているような感じがします。物語はこのあと、ゾウは黄色のクレヨンでびゅーびゅー描いて、動物たちは大きなバナナがあると勘ちがいしたりします。長新太さんらしい、じつに感覚に訴える一冊です。小学校低学年向き。

2011年7月4日月曜日

川はよみがえる ナシア川の物語










「川はよみがえる ナシア川の物語」(リン・チェリー/作 みらいなな/訳 童話屋 1996)

はるか昔、大木の生い茂る森をぬって、一本の川がゆうゆうと流れていました。7千年ほどまえ、採集狩猟の旅を続けている一団がやってきて、この川のほとりに住むことにしました。リーダーのウィアワは、この川をナシャウェイ(川底に小石の光る川)、ナシア川と名づけました。

ナシアのひとたちは、何世代も幸せな暮らしをいとなんでいきますが、17世紀ごろから白人たちがやってきます。かれらは森を切り開き、粉所や製材所の動力としてつかうために川をせきとめます。ナシアのひとたちは土地を奪われ、流域にできた工場の廃棄物により、ナシア川は汚れた、きたない川になってしまいます──。

アメリカのマサチューセッツ州にある、ナシア川についての実話をもとにした絵本です。見開きの左ページに文章があり、右ページに絵があるという構成です。文章のページは、その時代時代の生活用具をえがいた、いくつもの絵によってかこまれています。物語はこのあと、ウィアワが現代のナシア川をみて涙をこぼし、するとその涙が落ちたところから水がきれいになる、という夢をみたウィアワの子孫オウィアさんが、やはり同じ夢をみたという友人のマリオンさんとともに、ナシア川をもとの清流にもどすという運動をはじめて──と続きます。しかし、運動について触れられるのは全体の3分の1ほどで、物語の中心はあくまでナシア川流域の変遷にあります。淡々とした記述と、豊富なディティールが、逆に、現状を変える必要があることを教えてくれます。小学校高学年向き。

2011年7月1日金曜日

くわずにょうぼう












「くわずにょうぼう」(田和子/再話 赤羽末吉/画 福音館書店 1980)

昔、うんと欲張りの男が山に仕事にいったとき、「よくはたらいて、飯を食わない女房がほしいもんだ」といいました。晩になって、家に帰ろうとすると、だれかがあとをついてきました。「だれだおまえは?」「おらは飯を食わないおなごだ。飯はちょっとも食わないで、うんとはたらくから、あんたの女房にしてくんろ」。みれば、美しい娘で、男は喜んで娘を女房にしました。

男の女房になった娘は、たしかに飯は食わないし、よくはたらきます。ところが、ある日、蔵を開けてみると、米俵がごっそり減ってしまっています。そこで明くる日、男は、「おらは山へいってくる。帰りは遅くなるからな」と女房に告げ、でかけるふりをして天井に隠れて様子をうかがいます──。

欲張り男の滑稽さと、鬼婆の怖さが印象的な、日本の昔話をもとにした絵本です。「絵本よもやま話」(赤羽末吉 偕成社 1979)によれば、絵を描いた赤羽末吉さんは、再話者の稲田さんから、こんな希望をだされたそうです。

・おなご──農村の男が、普通一般に考えている健康的美人。だが、どこかこの世のものでない異様な雰囲気をもっていて、しかし、それが表面にでないように。
・場所──関東以北。
・その他──全体にはでな絵でなく、しかし、最後のしょうぶの花が咲いているところは、光琳の「かきつばた」的雰囲気。そのしょうぶは、しょうぶ自身に心があるように、自分の意志で刀にかわったという感じがほしい。

大変むつかしい注文ですが、赤羽さんは、「私はこの希望にたいへん納得がいった」と応じます。赤羽さんがどう腕を振るったのか、ぜひ実物をたしかめてみてください。小学校低学年向き。