2010年6月30日水曜日

へびのクリクター












「へびのクリクター」(トミー・ウンゲラー/作 中野完二/訳 文化出版局 1974)

昔、フランスのある小さな町に、ルイーズ・ボドという名前の夫人が住んでいました。ボドさんには、ブラジルで爬虫類の研究をしているひとり息子がいました。ある日その息子から、奇妙な丸い箱がとどきました。箱を開けたボドさんは、思わず叫び声をあげました。なかにはなんと、ヘビが一匹入っていたのです。

動物園にいき、同じ種類のヘビをみて毒がないとわかると、ボドさんはヘビにクリクターと名前をつけて、とても可愛がります。クリクターも、男の子や女の子と遊ぶのが好きな、親切で気持ちのやさしいヘビでした。ところが、ある日、ボドさんのうちに泥棒が入って──。

気持ちのよい、勇敢なヘビのお話です。ウンゲラーが描くと、ヘビもタコもハゲタカも盗賊も、みんな素敵になってしまいます。小学校低学年向き。

2010年6月29日火曜日

おひさまをほしがったハヌマン









「おひさまをほしがったハヌマン」(A.ラマチャンドラン/作 松居直/訳 福音館書店 1997)

あるとき、風の神ワーユに息子が生まれました。ワーユはたいそう喜んで、その子にハヌマンという名前をつけました。ある朝、木のあいだから顔をみせているお日様をみつけたワーユは、「なんと素晴らしいものだろう」と、すっかり心を奪われてしまいました。そして、もっとよくみようと大きな木にのぼり、空を飛んで、お日様に近寄っていきました。

ハヌマンが近づいてくると、お日様は顔を曇らせ、雲の後ろに隠れてしまいます。それでも、ハヌマンが追っていくと、ちょうどそこを通りがかった神々の王インドラが、乱暴なハヌマンに腹を立て、もっていた杵《バジラー》を投げつけ、ハヌマンを倒してしまいます。

インドの「ラーマーヤナ」から材をとった絵本です。絵は装飾的で、ゆったりとした語り口の物語にとてもよくあっています。このあと、息子が殺されたワーユは悲しみのあまりこの世から姿を消してしまい、すると空気がなくなって、人間も動物も虫も木も草もみんな死んでしまいます。そこで、世界を元通りにするため、インドラがワーユを訪ね歩き…と物語は続きます。読み聞かせをする場合、ハヌマンがインドラに倒されて落ちていく場面では、絵本をタテにする必要があります。小学校低学年向き。

2010年6月28日月曜日

むくどりとぶどうのき

「むくどりとぶどうのき」(「こどものとも年中向き」1994年11月号 通巻104号 八百板洋子/再話 T・マローノフ/絵 福音館書店)

3月になり、雪どけ水が村のあちこちにあふれてきました。お百姓ははさみをもって、むくどりに声をかけました。「さあ、むくどり。一緒にブドウ畑にいって古い枝を切ろう」。でも、むくどりは、「だめ、だめ。いま巣をつくっているところなんだもの」といって、ワラを食わえて飛び立ちました。そこで、お百姓はひとりでブドウ畑にいき、古い枝を切りました。

このあと、おじいさんが畑の土を起こそうといっても、ブドウの木を消毒しようといっても、草を刈ろうといっても、むくどりは忙しいからと断ります。そして、秋になり、ブドウの実がなると──。

ブルガリアの昔話をもとにした絵本です。最後、こう終わるだろうなと予想をもって読むと、肩すかしを食らいます。ブルガリアのひとの寛容なのでしょうか。聖書にでてくる、ブドウ園の話なども思い起こさせます。なお、このお話は、「吸血鬼の花よめ」(八百板洋子/編・訳 高森登志夫/絵 福音館書店 1996)にも収録されています。小学校低学年向き。

2010年6月26日土曜日

ふくろにいれられたおとこのこ












「ふくろにいれられたおとこのこ」(山口智子/再話 堀内誠一/絵 福音館書店 2004)

道でお金を拾ったピトショは、これでなにを買おうかと考えました。ナシもリンゴも芯をとらなければならないので、イチジクに決めました。買ってきたイチジクを食べていると、最後の一個がぴょんと手からとびだし庭に落ち、たちまち大きな木になって、実をどっさりつけました。ビトショはもっと食べたくなって、枝にとびうつりました。

さて、ピトショが木の上でイチジクを食べていると、袋をかついだ大きな鬼がやってきます。イチジクがほしいという鬼に一杯食わされたピトショは、袋に入れられ、今夜のごちそうにされそうになるのですが──。

フランスの民話をもとにした絵本です。堀内誠一さんの、色鮮やかな絵が魅力的です。もちろん最後は、機転を効かせたピトショが、うまく鬼をだしぬきます。小学校低学年向き。

2010年6月24日木曜日

まのいいりょうし












「まのいいりょうし」(瀬田貞二/再話 赤羽末吉/絵 福音館書店 1975)

昔、あるところに猟師と息子がありました。ある朝、息子の7つのお祝いに山のものでもとっってこようと、猟師がなげしにかけた鉄砲をおろそうとしました。が、うっかり落としてしまい、鉄砲は下にあった石臼にガチンとぶつかり、筒がへの字に曲がってしまいました。「おとっつあ、きょうはげんがわりい、あさみ(夜明けの猟)に、どうぞ、いかねえでくろ」と息子は引きとめましたが、猟師は「臼に当たればこそ、大当たりよ」と、すたすたでかけていきました。

さて、猟師が池にいたカモの群に狙いをさだめて鉄砲を撃つと、13羽のカモすべてに命中します。カモをつかまえに池に入ると、驚いたコイが跳ね、岸のやぶのなかに落ちていき、それを追いかけて池からあがろうと岸の木の根をつかむと、それがウサギで、逃げようとしたウサギは前足でやまいもを15本掘り返し──。

と、まだまだ話は続きますが、すこぶる運のよい猟師のお話。この愉快なお話を、赤羽末吉さんが大らかにえがいています。小学校低学年向き。

余談。
この作品が発表された「こどものとも」増刊号の付録、「絵本のたのしみ」には、作者たちの文章が載っています。瀬田貞二さんの文章は「まのいいりょうしつけたし」という題。それによれば、この話は、まず「母の友」(1960年10月号)に佐藤忠良さんの絵で載せられ、それから、「日本むかし話」(学研 1971)に、瀬川康男さんのさし絵で収録され、今回の赤羽末吉さんで、3度目のお目見えになるそうです。「これこそ「まのいい話」にちがいありません」と、瀬田さんは書いています。

さらに、瀬田さんは「まのいいりょうし」の楽しさについて、こう書いています。

「わたしはむかしから、この物語の躓きのないめでたさが大好きで、「まのいいりょうし」をひいきにしてきました。たいていの場合、まのいいやつは、きまって軽薄で、さいごにはまがわるくなるものなのですが、この猟師にかぎっては天衣無縫、天佑神助がその素朴な頭に宿ったようで、もっとおのずから福がさずかってもいいような気がするくらいです。いくらまがいいといっても、物臭太郎や馬喰八十八のように位人臣をきわめたり、浮世の栄華をかちえたりはしないで、曲がった鉄砲でせいぜい山の幸を足るほどに恵まれるのですから、めでたいのです」

「絵本はみるもの」と題された赤羽末吉さんの文章は、直接「まのいいりょうし」とは関係のないものですが、赤羽さんの絵本観がうかがえて面白いものです。興味深かったところを2、3引用してみます。

「わたしは文章と絵とが、ダブる必要はないとよくいったりしますが、その話の発端や、そのドラマのポイントになるような重要な場面は、くどいぐらいダブらしていいのではないかと思うようになりました」

「最近、梶山俊夫くんが講談社の絵本賞をもらうことによって「いちにちにへんとおるバス」というおもしろい絵本を手にしました。
(中略)
(この絵本は)全編(梶山俊夫さんが描く独特の)山とバスだけで構成された話なのです。いささか写実派の人だったら、視覚的に単調なのでアゴをだすところなんでしょうが、そこは梶山独特のおしてつぶしてひねったような人物群でおもしろくみせてのりきっています」

「けれども、絵本かきのわたしは、たぬきがいっぱいエッサカホッサカ雪かきをしている場面をかくようなストーリーにしてもらいたかったと思わずにはいられません。読者の子どもも、きっと手紙の文面だけでなく、たぬき群の活躍の場面を自分の眼で確認したいだろうと思われます。もしその場面がはいれば、山とバスだけの単調さの中にあって、動きのある大きな山場になって、変化もあるいっそう楽しい絵本になったのではないかと、絵本かきの勝手なモウソウは続きます」

2010年6月23日水曜日

ごろごろにゃーん










「ごろごろにゃーん」(長新太/作 福音館書店 1984)

ネコたちがサカナ型の飛行機に乗ってひたすら飛んでいく──という絵本です。

「ごろごろ にゃーん ごろごろ にゃーん と、ひこうきは とんでいきます」

という文章がくり返され、途中でサカナ釣りをしたり、嵐のなかを飛んだり、UFOに追いかけられたり、犬にかじられたりしながら、飛行機は飛んでいきます。

長新太さんの描くネコは、独特の顔をしていてたいそう可愛らしいです。また、ページをめくるたびに思いがけない展開があり、目を見張ることうけあいです。

この作品が「こどものとも」1976年1月号通巻238号として発表されたとき、付録の冊子「絵本のたのしみ」で長新太さんはこんなことを述べています。

「今回の「ごろごろにゃーん」も、ネコたちがサカナとおもえるヒコーキに乗って、ただやみくもに突っ走るはなしなのですが、この絵本を見る子どもたちが、どのくらいネコたちに接近して冒険してくれるか、と少し心配なのであります」

発表から30年、この心配は杞憂だったといえるのではないでしょうか。幼児向き。

きょうはなんのひ?












「きょうはなんのひ?」(瀬田貞二/作 林明子/絵 福音館書店 1979)

朝、まみこは玄関をでるとき、「おかあさん、きょうはなんの日だか知ってるの? しーらないの、しらないの、しらなきゃ階段3段目」と、歌をうたって、スキップしながら学校へいってしまいました。お母さんは、すぐ階段の3段目にある、赤いひもを結んだ手紙をみつけました。そこには「ケーキのはこをごらんなさい」と、まみこの字で書いてありました。

お母さんがケーキの箱を開けると、また手紙があり、「つぎはげんかんかさたてのなか」。カサ立てのなかの手紙には、「こんどはわたしのほんのなか。ヒントはいちばんすきなえほんです」。

──というわけで、お母さんは家中にかくされた手紙をみつけていきます。いったいなぜ、まみこはこんなことをしたのでしょう。

瀬田貞二さんと、林明子さんによる傑作絵本です。文章も、絵も、レイアウトも絶妙で、表紙から裏表紙にいたるまで見どころが満載。何度読んでも楽しめます。小学校低学年向き。

2010年6月21日月曜日

ちいさなりょうしタギカーク









「ちいさなりょうしタギカーク」(V.グロツェル/再話 G.スネギリョフ/再話 松谷さやか/文 高頭祥八/画 福音館書店 1997)

昔、北の果ての海辺に、タギカークという男の子が、お母さんと2人で暮らしていました。タギカークのお父さんは、このあたりで一番腕のいい漁師でしたが、5人の仲間と舟でクジラを捕りにでかけたとき、海で嵐にあって死んでしまいました。そこで、お母さんは、生まれた赤ん坊にお父さんと同じタギカークという名前をつけました。

ある朝、タギカークは、岩の下に生えているコンブを引き抜こうとしたところ、足を滑らせ、海に落ちてしまいました。気がつくと、岩かげに入り口がみえ、入っていくと、モリをもった男のひとがいました。タギカークが名乗ると、男のひとは仲間にむかっていいました。「この子は、おれの息子タギカークなんだよ! おれたちが、嵐にあって死んだあとに生まれたんだ」

お父さんはタギカークに、クジラとセイウチとアザラシの肉のかたまりと、モリをくれます。お父さんにいわれたとおり、肉のかたまりを穴倉に投げ入れると、肉は穴倉にぎっしり詰まり、タギカークはその肉を食べてたくましく成長します。そして、ある日肉がなくなると、タギカークはお父さんからもらったモリを手にして海辺にむかいます。

アジア・エスキモーの昔話を元にした絵本です。タギカークがじつにいい顔にえがかれています。エスキモーという言葉は、一部のアメリカン・インディアンが「生肉を食べるやつ」と軽蔑して呼んだことばだといわれ、カナダではエスキモーという呼び名を改め、かれらが自分たちのことを呼ぶ、イヌイットということばを公式な呼び名にしています。

が、この呼び名だと、自分たちをユイットと呼ぶ、ことばのちがうひとたちもいて、この民族全体を呼ぶのに問題があるので、ここではエスキモーということばを使ったと、本書が「こどものとも年中向き」(2009年1月号)として刊行されたときの付録「絵本のたのしみ」で高頭祥八さんは記しています。小学校低学年向き。

2010年6月18日金曜日

そらをとんだかめ











「そらをとんだかめ」(クマーリ,プンニャ/再話・絵 福音館書店 2009)

昔、ある池に一匹のカメが住んでいました。ある日、2羽のツルが飛んできて、カメはツルと仲良くなりました。ところが、あるとき、暑い日が何日も続き、池の水は涸れ、魚はみんな死んでしまいました。そこで、2羽のツルはカメにいいました。「ぼくたち、水のいっぱいある池を知ってるよ。ちょっと遠いけど連れていってあげるよ」

ツルは1本の棒をもってきて、その真ん中をカメに食わえさせます。ツルたちは棒の両端を食わえ、そうやってカメをぶらさげて、ツルは高く空へ舞い上がります。

「こどものとも年中向き」(2009年1月号 通巻274号)。スリランカの昔話をもとにした絵本です。非常にスリルのある絵本で、途中、カメが口をあけて落ちてしまうのではないかと手に汗を握ります。動物たちや人間たちの上空を通るたびに、「池はまだかな」とカメは思い、ツルは「かめさんがんばれ、もうちょっとだよ」と思うのですが、このくり返しが効いています。最後、あっとなりますが、裏表紙をみるとほっとします。小学校低学年向き。

2010年6月17日木曜日

きつねとうさぎ












「きつねとうさぎ」(F.ヤールブソワ/絵 Y.ノルシュテイン/構成 こじまひろこ/訳 福音館書店 2003)

あるところに、キツネとウサギが暮らしていました。氷でできたピカピカの家に住むキツネは、木の皮でできたウサギの家をバカにしていました。ところが、春になり氷の家は溶けてなくなってしまいました。キツネは「ちょっといれておくれ」とウサギの家に入りこみ、無理矢理ウサギを追い出してしまいました。

さて、ウサギが泣きながら歩いていると、オオカミに出会います。ウサギの話を聞いたオオカミは同情し、キツネを追い出しにいきますが、キツネに怒鳴られると尻尾を巻いて逃げ出してしまいます。以下はくり返し。クマやウシやがキツネに挑戦するも敗れ、最後にオンドリが立ち向かいます。

ロシアの昔話をもとにした絵本です。作者のノルシュテインは、高名なアニメーション作家で、この作品もアニメーションになっています。絵本とちがい、オンドリとキツネの争いは大活劇になっており、オンドリが自分のトサカをなでつけてキツネにむかっていくところなどがユーモラスに描かれています。2004年第9回日本絵本賞と翻訳絵本賞を受賞。小学校低学年向き。

いちご











「いちご」(新宮晋/作 文化出版局 1977)

五感を総動員して、詩のような文章で、いちごが実るまでをえがいた絵本です。その文章は、たとえばこんな具合――。

「いちごには北極がある。南極がある。その間には金の鋲が打ってある」

読むと、いちごがただの果物ではなく、巨大な惑星のように感じられます。なんとも不思議な味わいの、類のない一冊といえるでしょう。

作者の新宮晋さんは、自然エネルギーでうごく彫刻をつくることで高名な芸術家です。また、この絵本は5ヶ国語(日英仏独伊、たぶん)で表記されています。なお、絵本作家の五味太郎さんと、編集者の小野明さんによる、絵本についての対談集「絵本をよみつづけてみる」(平凡社 2000)に、この作品がとりあげられています。大人向き。

2010年6月15日火曜日

おふろだいすき












「おふろだいすき」(松岡享子/作 林明子/絵 福音館書店 1982)

ぼくはあひるのプッカと一緒にお風呂に入りました。からだを洗っていると、お風呂の底から海ガメがあらわれました。それから、いつも競争している2匹のペンギンがあらわれたかと思うと、オットセイが大きなしゃぼん玉をつくりました。

ぼくがお風呂に入っていたら、いろんな動物たちがあらわれるという絵本です。このあとも、まだまだ動物たちが登場します。ぼくがカバのからだを洗ってあげると、クジラがあらわれて、全員に潮吹きのシャワーをかけてくれます。

とにかく、林明子さんの絵が素晴らしいです。お風呂のあたたかさ、せっけんの泡、きれいなしゃぼん玉などが、実感をもって描かれていて驚嘆します。小学校低学年向き。

2010年6月14日月曜日

クムカン山(さん)のトラたいじ











「クムカン山(さん)のトラたいじ」(松谷みよ子/文 梶山俊夫/絵 ほるぷ出版 1991)

昔、キルリヨンという男の子がいました。父さんがいないので、いつもいじめられていました。なぜうちには父さんがいないの、とキルリヨンが訊くと、「おまえも八つだから聞かせてあげよう。父さんはクムカン山の大トラを退治にいって、それっきり帰ってこないのだよ」と、母さんはこたえました。その日から、キルリヨンは鉄砲の稽古をはじめました。

さて、3年がたって、父さんの仇を討ちに、キルリヨンがクムカン山にいこうとすると、母さんが首を横に振ります。「母さんの頭にのせた水がめの耳を10里はなれて撃てるかい。父さんにはできた」。それから3年、水がめの耳を撃ち落とせるようになると、母さんはこういいます。「10里はなれて母さんがもっている針のメドを撃ち抜いてごらん」。また3年がたち、針のメドも撃ち抜けるようになったキルリヨンは、いよいよクムカン山へむかいます。

朝鮮の民話「金剛山(クムカンサン)の虎退治」をもとにした絵本です。このあとも、波瀾万丈の物語が続きます。この民話は「ネギをうえた人」(金素雲/編 岩波少年文庫 2001)にも収録されているので、読みくらべてみると、どこを改変したかがわかり興味深いです。小学校低学年向き。

2010年6月11日金曜日

ちいさなふるいじどうしゃ











「ちいさなふるいじどうしゃ」(マリー・ホール・エッツ/作 たなべいすず/訳 冨山房 1976)

あるところに、小さな古い自動車がありました。丘のいちばん上に、小さな古い自動車をとめて、運転手さんがいいました。「ここで待っていてくれよ、自動車くん。このお百姓さんのうちで、きみに水をもらってくるからね」。ところが、小さな古い自動車は、「こんなところで待っているのはいやだ!」と、丘を駆け降りていってしまいました。

丘を駆け降りた小さな古い自動車は、カエルやウサギやアヒルや牛や、そのほかさまざまなものに出会いますが、みんなはねとばしてしまいます。「すぐどくから!」といっても、小さな古い自動車は聞き入れません。

当然、小さな古い自動車は、最後痛い目にあうのですが、つぎつぎとみんなをはねとばしていく姿は、なかなか痛快です。「もりへ」で有名なエッツがえがいた、乱暴さが魅力の一冊。ストーリーとちがい、絵やレイアウトが落ち着いているところが、この作者らしいところです。小学校低学年むき。

2010年6月10日木曜日

銀のうでわ












「銀のうでわ」(君島久子/文 小野かおる/絵 岩波書店 1997)

昔、ある村にアーツという女の子がいました。母さんが亡くなったので、アーツより年上の娘をもつまま母がやってきました。しばらくすると、アーツの父さんも亡くなってしまったので、アーツは朝から晩までまま母にはたらかされるはめになりました。アーツは毎日、母さんが残してくれた牝牛を、草の多い山に連れていくのですが、まま母はそのときも麻をどっさりもたせ、牛の番をしながら麻をつむぐようにといいました。「こんなにたくさんの麻をどうやってつむいだらいいの」とアーツが泣きくずれると、「その麻を食べさせておくれ、つむいであげるから」と、牝牛が麻を食べ、お尻からきれいにつむいだ糸をだしてくれました。その糸をみたまま母はびっくりして、姉娘を牝牛の番にいかせました。が、牝牛は麻を食べようとしません。姉娘が力いっぱい牝牛をぶつと、姉娘は逆に牝牛に突きとばされてしまいました。そこで、まま母は牝牛を殺すことにしました。

つぎの朝、たきぎとりにいかされたアーツのところに、一羽のカササギが飛んできてこういいます。「アーツよ、牝牛はきょう殺されてしまうの。まま母が牝牛のスープをくれても、けっして食べてはいけないよ」。アーツが大急ぎでうちに帰ってみると、牝牛はもう殺されて、肉もスープもすっかり食べられてしまいました。アーツは泣きながら残っていた骨を拾うと、家の壷のなかに隠し、それから毎日、まま母のつらい仕打ちを打ち明けます。

中国版シンデレラ物語です。紹介したのは本書の3分の1。このあと、村長(むらおさ)のところの、年に一度のお祭りに、カササギと牝牛の助けを借りたアーツは、着飾って、馬に乗ってでかけます。この物語では、落とすのはガラスの靴ではなく、銀の腕輪です。また、シンデレラ物語とちがって物語は結婚では終わりません。ふたたび姉娘が邪魔をして、もうひと波乱起こります。

巻末の解説によれば、本書は四川省大涼山に伝承しているイ族の「阿茨姑娘」(アーツクーニャン)をもとに、同じイ族の貴州省威寧の伝承、およびペー族、チベット族などの話を資料として、伝承のもち味を大切にしながら再話したものだということです。登場人物の衣装は、イ族に取材したものなのかもしれません。小学校中学年向き。

2010年6月9日水曜日

くさのなかのおひめさま










「くさのなかのおひめさま」(アスビョルンセン/再話 モー/再話 シーグルン・セービュ・カプスベルゲル/絵 中川あゆみ/訳 セーラー出版 1997)

昔むかし、12人の息子のいる王様がいました。息子たちが大人になったある日、王様は、世の中にでていって、1日で糸をつむいで、はたを織り、シャツを1枚縫うことができる花嫁をみつけてくるようにと、息子たちにいいました。王様から、馬を一頭、鎧かぶとをひとつずつ用意してもらった息子たちは、花嫁をさがしにでかけました。しばらくいくと、末っ子の灰まみれは、兄さんたちに置いてきぼりにされてしまいました。灰まみれが草むらにすわりこんで泣いていると、手のひらくらいの女の子がやってきて、「草のなかのお姫さまに会いにいらっしゃいませんか」といいました。

さて、草のなかのお姫さまに出会った灰まみれは、これ以上旅を続けたくないこともあり、私の妻になっていただけませんかと申し出ます。お姫さまはこれを受け入れ、とっても小さいシャツを縫い、灰まみれはそのシャツをもって王様のところにもどります。シャツがあまりにも小さかったので、灰まみれは恥ずかしかったのですが、王様が「姫を連れてきなさい」といったので、姫を連れていくと──。

ノルウェーの昔話をもとにした絵本です。アスビョルンセンとモーは、ノルウェーの昔話を採集した名高いひとたち。巻末の訳者のことばによれば、「もしまだ死んでいなければ、いまの生きているはずですよ」という末尾の一文は、ノルウェーの昔話によくみられる結びのことばだということです。

また、「はいまみれ」(アスケラッデン)という名前の若者もよくでてきて、たいて兄弟の末っ子で、兄さんたちからいじめられ、いつもかもどの灰をいじっているのでこの名があるということです。絵は透明感のある水彩画。字がが小さいので、一見むつかしそうにみえるかもしれません。小学校低学年向き。

2010年6月8日火曜日

まほうのたいこ









「まほうのたいこ」(うちだりさこ/文 シェイマ・ソイダン/絵 福音館書店 2000)

北国のある村に、女の子が、おじいさんとおばあさんと暮らしていました。ある夏の日、村の女の子たちは連れだって食べられる根っこを掘りにツンドラへいきました。せっせと草を抜いたり、掘ったりしているうちに、女の子はいつのまにか仲間からはなれて、ひとり遠くまできてしまいました。そのうち濃い霧がたちこめ、友だちをさがして疲れきった女の子は、地面にあいた大きな穴をみつけると、なかにもぐりこみ、泣きながら眠りこんでしまいました。

女の子が気がつくと、そばにみたこともない女のひとがいます。穴の奥には食べ物がたくさんあり、女の子はそこで女のひとと暮らしはじめます。ときどきさみしくなって、家に帰りたくなる女の子に、ある日、女のひとはこういいます。「安心して、帰れるわ。わたしはもうすぐ春まで眠るの。そのまえにうちまで送ってあげましょう」。そして、魔法のタイコのつかいかたを女の子に教え、そのタイコを女の子にあげて、女のひとは村まで女の子を送ります。

シベリアの昔話をもとにした絵本です。後半は、女の子がみんなの前で魔法のタイコをつかう話へと続きます。神秘的な、色鮮やかな絵が、物語によくあっています。小学校低学年向き。

2010年6月7日月曜日

ぬすまれたおひさま

「ぬすまれたおひさま」(コルネイ・チュコフスキー/作 ユーリ・ヴァスネッツオフ/絵 松谷さやか/訳 らくだ出版)

ある日、空のお日様をワニがぱっくりと呑みこんでしまいました。おかげで、あたりは真っ暗闇です。灰色スズメは、地面に落ちている小麦の粒をみつけることができませんし、ウサギは暗くて帰り道がわかりません。お日様をとり返してくれるよう、ヒツジたちがクマにお願いしにいきますが、子グマたちがいなくなってしまったクマは、おいおい泣いているばかりです。でも、ウサギから、励ましのことばとこん棒をもらったクマは、うなり声をあげると、川にいるワニをめざして駆けていきました。

巻末の解説によれば、原書は詩物語。それを考慮してか、訳文は七五調で訳されています。灰色スズメの嘆きを引用してみましょう。

「おひさま はやくかおをだして!
 あなたが そらにいなくては
 ぼくたち ほんとにこまります
 はたけにおちてる むぎつぶを
 みつけることが できません」

最後は、クマの活躍により、太陽は元に戻ります。大団円は大変な盛り上がり。暖かみのある、ユーモラスな絵も魅力的です。小学校低学年向き。

2010年6月4日金曜日

あおくんときいろちゃん










「あおくんときいろちゃん」(レオ・レオーニ/作 藤田圭雄/訳 至光社 1979)

ある日、あおくんは、お買い物にいくママにお留守番を頼まれました。ところが、あおくんは家を抜け出し、きいろちゃんの家に遊びにいってしまいました。きいろちゃんの家は空っぽでしたが、あちこち探しているうちに、ばったりきいろちゃんと会うことができました。2人はもう、うれしくてうれしくて、とうとうみどりになりました。

みどりになった2人は、たくさん遊んで、家に帰るのですが、あおくんのパパとママも、きいろちゃんのパパとママも、みどりになった2人をうちの子だと気がつきません。悲しくなった2人が大泣きすると…。

レオ・レオニによる傑作絵本です。登場人物はただの色の点なのですが、あおくんやきいろちゃんの感情がじつによくつたわってくるところが、傑作たるゆえんでしょう。その画期的なモダンさから、絵本の歴史に残る一冊だと思われます。小学校低学年向き。

2010年6月3日木曜日

もりのようふくや












「もりのようふくや」(オクターフ・パンク=ヤシ/文 エウゲーニー・M・ラチョフ/絵 うちだりさこ/訳 福音館書店 2000)

ぼうやの5つのお祝いに、新しい上着をつくるため、おじさんは森の洋服屋にいきました。洋服屋には、ハリネズミと、オオカミと、クマとウサギとアナグマがいて、おじさんを歓迎しました。「いちばんきれいで、いちばん上手で、からだにぴったり、悪いとこなんかこれっぽちもない、おまけにお値段は大勉強!」。そこで、おじさんは切れ地を選んで、寸法書きを渡し、値段をきめて、ぼうやの上着をお願いしました。

ところが、うちに帰ったおじさんは、ぼうやがどんな上着をほしがっているのか、伝えるのを忘れていたことに気がつきます。もう日が暮れていて、店にはだれもいません。おじさんは、職人たちの家を訪ね、上着について話すのですが…。

おじさんの語りによる絵本です。おじさんが伝える、ぼうやの無茶な要求に、動物の職人たちが不機嫌になっていくさまが面白く描かれてます。優れた低学年向き読物絵本の一冊です。小学校低学年向け。

2010年6月2日水曜日

かえるをのんだととさん









「かえるをのんだととさん」(日野十成/再話 斎藤隆夫/絵 福音館書店 2008)

昔、あるところに仲のよいととさんとかかさんが住んでいました。ある日、ととさんは腹が痛くなって、かかさんにいいました。「かかさん、かかさん、腹が痛くてたまらん。どうしたらいいかのう」「ととさん、ととさん、お寺の和尚さまにきいてみるといい」。かかさんにいわれて、ととさんはお寺にいきました。すると、ととさんの話を聞いた和尚さんがいいました。「そりゃあな、腹のなかに虫がおるせいじゃ。かえるを飲みこむといいぞ」。そこで、ととさんは、捕まえたカエルをぺろっと飲みこみました。

カエルが虫を食べてくれて、うまい具合に腹が痛くなくなったととさんでしたが、こんどはカエルが腹のなかをぺたぺた歩くのが気持ち悪くてなりません。そこで、またかかさんの指示のもと、和尚さんに訊きにいくと、こんどはヘビを飲みこむのがいいとのこと。ととさんはヘビを飲みこんで、ヘビはカエルを食べ、気持ち悪いのはおさまりましたが、こんどはヘビが腹のなかでうごいて気味が悪くなり、そこで──。

以下はくり返しです。かえる、ヘビ、きじ、猟師と、ととさんはどんどん飲みこんでいきます。日本の昔話を元にした、愉快で豪快な絵本です。小学校低学年向き。

2010年6月1日火曜日

白い牛をおいかけて












「白い牛をおいかけて」(トレイス・シーモア/文 ウェンディ・アンダスン・ハルパリン/絵 三原泉/訳 ゴブリン書房 2008)

このケンタッキーのどこかには、白い牛がいます。もとはうちの牛。でも、逃げちゃった。最初、逃げ出したのがわかったとき、父さんと、牧場を手伝ってくれているマシューさんが捕まえにいったけれど、捕まえられなかった。あっというまに捕まえてくるといって出かけた2人がもどってきたのは真夜中で、2人は泥だらけ。それから、3週間くらいたったころ、雑貨屋のオリーさんが、ウィルソンさんのうちの畑に白い牛がいると教えてくれた。こんどは、助っ人にビルおじさんとボブおじさんを呼んで、牛を捕まえにいったけれど…。

女の子の語りによる読物絵本です。逃げ出した白い牛を捕まえにいった父さんたちが、いつも失敗し、そのたびに牛をほめだすのがおかしいです。絵は、柔らかい色づかいで、細部までよくえがかれたもの。ちょっとコマ割っぽくなっています。物語の最後では、女の子はひとり、白い牛と出会います。はたして、女の子は白い牛を捕まえられるでしょうか。小学校中学年向き。