2010年3月31日水曜日

あかいことりとライオン











「あかいことりとライオン」(エリサ・クレヴェン/絵と文 たがきょうこ/訳 徳間書店 1995)

ある日、赤い小鳥はじっぽの先が緑色のライオンに出会いました。なんてきれいなの、と楽しくなった小鳥はライオンに話しかけました。でも、ライオンに小鳥の言葉はわかりません。ライオンはにっこり笑うとお花畑にゆっくり歩いていきました。

次の日、ライオンのしっぽはだいだい色になっています。その次の日は青色に。あしたは何色になっているかしら?と小鳥が思っていると、その夜、嵐がやってきて──。

コラージュで制作された絵が、大変色鮮やかな絵本。言葉が通じなくとも、小鳥とライオンは心をかよわせます。最後、ライオンのしっぽの秘密が明かされますが、これにはだれしもびっくりすることでしょう。小学校低学年向き。

2010年3月30日火曜日

巨人グミヤーと太陽と月












「巨人グミヤーと太陽と月」(君島久子/文 小野かおる/絵 岩波書店 2000)

はるか昔、天も地もなく、ただ黒ぐろとした雲のようなものが空中をただよっているだけのころ、神の巨人グミヤーは天と地と人間をつくろうと思い立ちました。グミヤーはサイの皮で天をつくり、肉で地をつくり、それから骨で岩や石を、血で水を、毛で草木や花をつくりました。そして、サイの骨ずいで鳥やけものや虫や魚などをつくり、最後に脳みそで人間をつくりました。

ところが、グミヤーのつくった天地をねたんで、地上のあらゆるものを焼きほろぼそうと、太陽の9人の姉妹と月の10人の兄弟がやってきました。地はからからに干上がってしまい、怒ったグミヤーは一番高い山に登ると、太陽と月をつぎつぎと射落としていきました。

こうして、太陽と月の兄弟を倒したグミヤーでしたが、一組だけ残った太陽と月がかくれてしまったため、世界は暗く冷えきってしまいます。後半は、この太陽と月をかくれ場からだすという、わが国の天の岩戸とよく似た話になります。ただし、話は天の岩戸よりもずっと豪快です。

中国のプーラン族につたわる神話を題材にした絵本です。プーラン族は、中国雲南省西南部、ビルマと国境を接した海抜2千メートルに近い山岳地帯に住む、中国でもっとも古いといわれている民族だそうです。話はじつに柄が大きく、読むとはるばるとした気持ちになります。読物絵本。小学校中学年向き。

2010年3月29日月曜日

ビュンビュンきしゃをぬく











「ビュンビュンきしゃをぬく」(アーナ・ボンタン/文 ジャック・コンロイ/文 バージニア・リー・バートン/絵 ふしみみさを/訳 岩波書店 2004)

犬をつれたひとりの男が駅長室にやってきました。男は流しの火夫(かふ)で、名前をゴウゴウ、犬はビュンビュンといいました。あちこちの鉄道で仕事をしてきたというゴウゴウの話を聞いて、駅長さんは雇ってもいいといいました。ただし、規則があって、犬は運転席には入れません。すると、ゴウゴウはいいました。「ビュンビュンは運転席になんて乗りませんよ。汽車のわきを走るんでさあ」

駅長さんは、ゴウゴウを貨物列車に乗せることにしましたが、ビュンビュンは貨物列車を追い抜いてしまいます。犬に負けたとあっては鉄道の評判はがた落ちです。そこで、ゴウゴウを普通列車に乗せて競争させますが、これもビュンビュンの楽勝。つぎは、急行列車と競争させますが、ビュンビュンはそれにも勝ってしまいます。そこで、駅長さんは世界一の超特急「弾丸号」をビュンビュンと競争させることにします。

表紙と裏表紙はつながっていて、広げると、一枚の絵になります。余裕のある笑みを浮かべたビュンビュンが印象的です。また、ビュンビュンとゴウゴウの信頼関係に胸が熱くなります。普通列車に乗ってもらおうと駅長さんにもちかけられたゴウゴウはこうこたえます。「がってんでさぁ。おいらもビュンビュンも、贅沢はいわねえ。もらった仕事はなんでもやって、いつも一緒にいるまでだ」。また、駅長さんの悪役ぶりも愉快で、文句なしに楽しめる読物絵本です。小学校中学年向き。

2010年3月26日金曜日

みどりの目












「みどりの目」(エイブ・バーンバウム/作 ほしかわなつよ/訳 童話館出版 2002)

ぼくの名前は「みどりの目」。もうすぐ、ぼくの誕生日。そうしたら1歳になる。ずっと小さな子猫だったころ、ぼくは周りを高い壁にかこまれた、大きくて広い部屋に住んでいた。床には桃色の柔らかい毛布が敷いてあった。ぼくはくる日もくる日も自分の家の壁をよじのぼろうとした。何度も何度もそうしているうち、とうとうてっぺんに届き、それから壁を乗りこえた。ぼくは、一番大きな木の周りをぐるぐる走りまわった。自分の箱に帰ってきたときは、すっかりくたびれていたけれど、でも幸せだった──。

本書は、農場で暮らす、1歳をむかえたネコの回想記。このあと、はじめてニワトリや犬や牛やヤギをみたときのこと、秋の落ち葉、冬の雪などについて語られます。そして、最後はこれからのことについて。絵は色づかいがはっりしていて遠目の効くもの。本自体も大きいです。1954年コールデコット賞銀賞。なお、本書は「ぼくのたんじょうび」というタイトルで、1982年に福武書店から出版されたものを、(おそらく)改題改訳したものです。小学校低学年向き。

2010年3月25日木曜日

天人女房











「天人女房」(稲田和子/再話 太田大八/絵 童話館出版 2007)

昔、天人がふたり、天から降りてきて、川で水浴びしていました。そこへ、若い牛飼いの男が通りかかって、木にかかっていた羽衣をみつけました。天人にひと目ぼれした男は、羽衣を一枚、自分の背負いかごにかくしました。水からあがった二人のうち、ひとりは羽衣をまとって天にのぼっていきましたが、もうひとりは自分の羽衣がみつからないので泣きだしてしまいました。そこで、牛飼いの男はいいました。「天に帰れんとなら、おれん家にこい」

こうして、牛飼いと天人は夫婦になり、7年すぎたときには2人の子どもにも恵まれ幸せに暮らします。ところが、子どもたちがうたっている歌から、羽衣の隠し場所を知った天人は、「わたしと子どもが恋しくば、天にのぼってきてくだされ」と置き手紙をし、子どもをつれて天に帰ってしまいます。

男は途方に暮れますが、心配して訪ねてきたとなりのひとから天にのぼる方法を教わり、牛を埋めて生えてきた竹をのぼって天へとむかいます。男はぶじ女房や子どもたちと再会しますが、牛飼いには父神からさまざまな試練があたえられます。

鹿児島の昔話を元にした絵本です。物語は最後、七夕由来譚となって終わります。巻末に、稲田さんによる非常にいきとどいた解説がついています。小学校中学年向き。

2010年3月24日水曜日

ふくろのなかにはなにがある?










「ふくろのなかにはなにがある?」(ポール・ガルドン/再話・絵 こだまともこ/訳 ほるぷ出版 2009)

ある日、キツネが木の根っこを掘っていると、まるまる太ったハチがでてきました。キツネはハチをつかまえると、袋に入れ、てってこってってこ歩いて、ちっちゃなちっちゃなおばさんのうちにいき、こういいました。「おばさん、袋をあずかって。おいらこれから友だちのスキンタムどんのうちにいくんだ。けど、おいらの袋のなかを絶対のぞくなよ!」

ところが、案の定、キツネがいなくなったとたん、ちっちゃなちっちゃなおばさんは袋のなかをのぞいてしまいます。すると、ハチが飛び出し、おばあさんのニワトリに食べられてしまいます。もどってきたキツネは、ハチのかわりにニワトリを袋に入れて、つぎの家にむかいます。

以下はくり返しです。袋の中身は、ニワトリからブタに、そして男の子になってしまいます。ところが、最後には、利口なキツネもひと泡ふかされるラストが待っています。ガルトンの絵が、じつに生き生きしています。小学校低学年向き。

2010年3月23日火曜日

にぎりめしごろごろ









「にぎりめしごろごろ」(小林輝子/再話 赤羽末吉/絵 福音館書店 1994)

昔、きこりのおじいさんがいました。ある日、木を切っていたおじいさんは、お昼になったので、にぎりめしを食べようとしました。すると、にぎりめしがころんと手から落ち、ころころ山を転がり落ちていきました。

にぎりめしを追いかけたおじいさんは、畑仕事をしている男に、にぎりめしのゆくえを聞き、お地蔵さんのいるお堂にたどり着きました。お堂の棚にあったにぎりめしの、土のついたところを自分で食べ、きれいなところをお地蔵さんにあげると、お地蔵さんがいいました。「じさまや、じさま、夜中に面白いことあるから、天井にかくれてろ」。

さて、恐縮しながらお地蔵さんを踏み台にし、天井にのぼって待っていると、お堂のまえに鬼たちがやってきて宴会をはじめます。そこで、コケコッコーとニワトリのまねをすると、鬼たちはおどろいて、なにももたずに去ってしまいます。おじいさんは、小豆めしやクルミもちや、赤やら青やらの着物をどっさりもってうちに帰ります。

このあとは、となりのおじいさんが、おじいさんの真似をする話へと続きます。となりのおばあさんの、とらぬ狸の皮算用な先走りぶりがすごいです。小学校低学年向き。

2010年3月19日金曜日

わたしたちののはら












「わたしたちののはら」(ジュリアナ・ホレイシア・ユーイング/原作 バーリー・ドーアティ/再話 ロビン・ベル・コーフィールド/絵 評論社 1996)

ある日、サンディーがおぼれかけた犬をひろってきました。わたしとリチャードとサンディーは、ピエロと名づけたこの犬を飼いたかったのですが、「うちに犬を飼う余裕はないの」と、お母さんにいわれてしまいます。「おかしをがまんするから」といっても、「年末にはらう登録料はだれがだすの」と、お母さんは聞き入れません。そこで、3人はおこづかいをためようと話しあいました。

このあと、サンディーがすばらしい野原の隠れ家をみつけてきて、3人と一匹はそこで夏中楽しく遊びます。ところが、何ヶ月たってもお金はたまりません。そんなとき、学校の先生から、野生の草花をつかった作品の展覧会で1等をとれば賞金がもらえると知らされます。そこで、3人は野原の草花をつかって作品を出品をすることになって──。

絵は、やわらかな線に、光にあふれたような色で彩られた水彩画。牧歌的なストーリーも、簡潔な訳文も魅力的な、美しい読物絵本です。小学校高学年向き。

みるなのくら











「みるなのくら」(おざわとしお/再話 赤羽末吉/絵 福音館書店 1999)

昔、あるところに貧しい若者がいました。若者は毎日山でたきぎをとっては、それを里で売って暮らしていました。ある日、いつものように若者が山にいくと、林のなかから「ほーほけきょ」と、うぐいすの声が聞こえてきました。うぐいすの声にさそわれて、若者は山の奥へ迷いこんでしまいました。

そのうち、あたりが暗くなり、帰り道がわからなくなった若者は、遠くに明かりをみつけます。いってみると、そこは大きなお屋敷。美しいあねさまが、ごちそうをならべてもてなしてくれます。そして、つぎの日、ちょっと里に用を足しにいくというあねさまは、若者に留守番を頼みます。「このうちには倉が12あります。1から11の倉まではのぞいてもかまいません。でも、最後の12の倉だけはけっしてみないでくださいね」。そこで、若者は倉をどんどん開けていき、ついには12の倉にたどり着いて──。

1の倉を開けると、そこはお正月、2の倉を開けると節分です。倉を開ける場面は若者がシルエットで処理されて、まるで映画の一場面のようです。小学校低学年向き。

2010年3月17日水曜日

むかし、森のなかで










「むかし、森のなかで」(トーマス・ティードホルム/文 アンナ‐クララ・ティードホルム/絵 ひしきあきらこ/訳 ほるぷ出版 1995)

昔むかし、大きな森にヨナタンという7つになる男の子が住んでいました。ヨナタンはまだ7つでしたが、お母さんはいませんでしたし、お父さんは森ではたらかなければならなかったので、ヨナタンが薪を割り、おかゆをつくっていました。あるとき、口ひげをはやした男の人が馬に乗ってやってきて、お父さんにいいました。「子どもは全員、学校へいくこと!」。お父さんは怒って男の人を追い返しましたが、ヨナタンは学校というところにいってみたいと思いました。「どうしても学校へいくというのなら、途中でリスでもしとめてこい!」といわれ、ヨナタンは鉄砲をかついで学校にむかいました。

さて、学校がどんなところかも知らなかったヨナタンですが、いってみると、天使のような先生がいて、いろんなことを教わるところだとわかります。ヨナタンは、それから毎日学校にいきますが、ある日、学校が火事で焼けてしまいます。そこで、ヨナタンは先生に、「ぼくのうちで暮らせばいいよ。ぼくのうちを学校にしようよ」といって、しばらくヨナタンのうちが先生のうちになり、学校になります。

スウェーデンの絵本です。ヨナタンがサルやラクダやオウムのことを習うと、雪が積もる森なかにサルやオウムがあらわれるのが愉快です。学校ができたばかりのころのことが、温かみのある絵でえがかれています。小学校中学年向き。

2010年3月16日火曜日

ガラシとクルピラ












「ガラシとクルピラ」(陣内すま/文 ヴァンペレーラ/絵 福音館書店 2005)

アラゾン河のほとりに住んでいるガラシは、父さんがつくってくれた弓矢をいつもはなしません。お父さんとジャングルにいって狩りをするのがガラシの夢です。でも、それにはもっと弓矢の練習をしなければならないし、クルピラのことを知らなければいけません。クルピラは、無駄に木を倒したり、子どもの動物や、お腹に赤ちゃんがいる動物をつかまえようとすると、狩りの邪魔をするのです。

さて、ある日のこと、ガラシは弓矢とベイジュー(おいもでつくったビスケット)をもって、狩りにでかけた男たちのあとをこっそりついていきました。ところが、なにかをみつけた父さんたちが走りだすと、追いかけきれずにガラシはジャングルでひとりぼっちになってしまいました。目の前を、小さなタツー(アルマジロ)が走っていったので追いかけるとジャングルのなかにフォー、フォーと口笛の音がひびきました。

口笛の主はクルピラです。クルピラは足が反対に(かかとがまえに)ついています。おそらく、ジャングルに住む精霊なのでしょう。ぶじに村にもどったガラシがクルピラの話をすると、お父さんにこういわれます。「おまえが子どものタツーを捕まえようとしたから、クルピラがでてきたんだよ」。そして、このあとびっくりすることが起こります。

絵は白黒で、非常に細密にえがかたもの。うっそうとしたジャングルの感じがじつによくでています。ジャングルの、ふとしたところにクルピラの顔をみつけると、ほんとうに驚きます。小学校低学年向き。

 

2010年3月15日月曜日

ババヤガーのしろいとり











「ババヤガーのしろいとり」(内田莉莎子/再話 佐藤忠良/絵 福音館書店 1998)

昔むかし、あるところにお百姓とおかみさんがいました。ふたりにはマーシャという娘と、ワーニャという息子がいました。ある日、ふたりは用事で出かけることになり、ワーニャのお守りをマーシャに頼んでいきました。ところが、マーシャはすぐにいいつけを忘れて、弟を庭にすわらせたまま、友だちのところに遊びにいってしまいました。すると、どこからか真っ白な鳥が何羽もとんできて、ワーニャをさらっていってしまいました。

弟がいなくなったことを知ったマーシャは、泣きながらそとへ駆けだします。すると、白い鳥の背中にワーニャが乗っているのがみえます。マーシャは夢中で白い鳥を追いかけます。途中、ペチカやリンゴの木やミルクの川やはりねずみに、白い鳥の行方を教えてもらい、ババヤガーのうちから弟を助けだし、ふたたびペチカたちに助けられながら、うちへと逃げ帰ります。

ロシアの民話をもとにした絵本です。ロシアのやまんば、ババヤガー(バーバヤガー)は、ここでは白い鳥を手先につかっています。同じ話をもとにした絵本に、「マーシャと白い鳥」(M.ブラートフ/再話 出久根育/文・絵 偕成社 2005)があります。非常に幻想的な絵柄で、、話がはじまってからタイトルがでるところなど、ちょっと映画みたいです。小学校低学年向き。

2010年3月12日金曜日

いまはむかしさかえるかえるのものがたり











「いまはむかしさかえるかえるのものがたり」(まつおかきょうこ/文 馬場のぼる/絵 こぐま社 1987)

「ふんぞりかえるはとのさまがえる」
「ひかえるかえるはつかえるかえる」
「とのさまがえるはしゃれかえる」
「あれこれきかえるとりかえる」
……

ことば遊びの絵本で、いばり返ったとのさまがえるが、立派なとのさまになるというストーリーがえがかれます。かえるの町では、ひとりひとりの振る舞いまでていねいにえがかれていて、見飽きることがありません。物語の最後には、こんなことばがつづられます。
「まちはみごとにいきかえる」
「ひとにげんきがよみがえる」
小学校低学年向き。

2010年3月11日木曜日

ゆっくりおじいちゃんとぼく

「ゆっくりおじいちゃんとぼく」(ヘレン・バックレイ/作 ポール・ガルドン/絵 大庭みな子/訳 佑学社 1987)

おじいちゃんとぼくは散歩にいきます。ゆっくりゆっくり歩いて、ときどき立ち止まり、いろんなものをながめます。ふだん、お母さんもお父さんも大急ぎですが、おじいちゃんと一緒のときは、けっしていそぎません──。

おじいちゃんとゆっくり散歩しながら、いろんなものをながめるぼくと、いつも急いでいるほかの家族との対比がユーモラスな絵本です。また、オチが気がきいています。小学校低学年向き。

2010年3月10日水曜日

鬼の首引き












「鬼の首引き」(岩城範枝/文 井上洋介/絵 福音館書店 2006)

昔むかし、あるところに力もちの若者がいました。都への旅の途中、ひろびろとした野原を歩いていると、急にあたりが暗くなり、ぬっと大きな鬼があらわれました。鬼は若者をつかんで頭から食おうとしましたが、「わしにはひとり姫がおるが、まだひとを食わせたことがない」と思い、若者に姫を食わせることにしました。

鬼の世界では、はじめてひとを食べることを「お食い初め」といいます。鬼は姫に「お食い初め」をさせようとするのですが、恥ずかしがりやの姫は、なかなか若者が食べられません。「手から食おうか、足から食おうか、それともがぶりと頭から?」と、うたいながら若者に近づいていくのですが、若者に扇でぽんと叩かれると、「痛い痛い、わたしをたたいた」と、父親の鬼にかけよる始末です。けっきょく、父親とその仲間の鬼たちが加勢をしにきて、若者と首引きの勝負をします。

狂言の「首引き」をもとにした絵本です。子煩悩の鬼と、箱入り娘の姫が、若者とくりひろげるやりとりがおかしいです。くり返しも楽しく、井上洋介さんの絵もよくあった、3拍子そろった一冊です。小学校低学年向き。

2010年3月9日火曜日

ダフィと小鬼

「ダフィと小鬼」(ハーヴ・ツェマック/文 マーゴット・ツェマック/画 木庭茂夫/訳 富山房 1977)

昔、トローヴにラヴェルという郷士が住んでいました。女中のジェーンばあさんが年をとってきたので、ラヴェルさんは手伝いをさがしに、馬に乗ってバーヤン・チャーチタウンへでかけました。すると途中、あるばあさんが娘をほうきで殴りつけているところに出くわしました。「娘のダフィは一日中男と遊びまわってうちの仕事はいっさいしないんです」と、ばあさんがいいました。すると、ダフィがいいました。「そんなのみんな嘘です。わたし、仕事はなんでもしているのに、ぼろしか着せてもらえないんです」。そこでラヴェルさんが、うちではたらかないかとダフィにたずねると、「雇ってみてください旦那さま。けっしてご損はかけません!」と、ダフィはこたえました。

さて、ラヴェルさんのうちではたらくことになったダフィは、さっそく靴下の編み物をいいつけられます。でも、じつはダフィはうちの仕事が大きらい。「郷士さまの靴下なんか、悪魔がつくってくれればいい」とダフィがいうと、どこからともなく小鬼があらわれて、たちまち靴下を編み上げてしまいます。そして小鬼はこういいます。「3年のあいだ、つむいだり編んだりしてあげよう。しかし、3年たったら、わしはおまえさんを連れていくよ。わしの名前を当てないかぎりはね」

その後、編み物はたいそう評判になり、ダフィはラヴェルさんとも結婚します。ダフィは楽な暮らしを満喫しますが、いよいよ約束の3年目が近づいてきて──。

イギリス、コーンウォール地方の民話をもとにした絵本です。話は、「イギリスとアイルランドの昔話」(石井桃子/編・訳 J・D・バトン/画 福音館書店 1982)に収録されている「トム・ティット・トット」とよく似ています。小学校中学年向き。読物絵本。1974年コールデコット賞受賞作。

2010年3月8日月曜日

ゆうかんなアイリーン












「ゆうかんなアイリーン」(ウィリアム・スタイグ/作 おがわえつこ/訳 セーラー出版 1988)

お母さんが、お屋敷から頼まれていたドレスが、きれいにできあがりました。とっても素敵なドレスです。でも、お母さんは元気がありません。「カゼをひいたらしいの。今夜のパーティに間にあうようにお届けしなくちゃならないのに」。そこで、アイリーンはいいました。「わたしがとどけてあげる」。アイリーンはレモンとハチミツのお茶とカゼ薬をお母さんに飲ませると、ドレスを洋服箱につめ、お屋敷まで届けにいきました。

家の外はすごい吹雪。アイリーンが箱を落とした拍子に、ドレスは風にさらわれ、吹雪のなかに消えてしまいます。でも、アイリーンは、ドレスがなくなったことを奥さまに報告するためお屋敷をめざします。

吹雪のなかお屋敷までドレスを届けにいく勇敢なアイリーンのお話。アイリーンの気丈さが胸を打ちます。小学校低学年向き。

2010年3月7日日曜日

百合若大臣











「百合若大臣」(たかしよいち/文 太田大八/絵 西本鶏介/監修 ポプラ社 2004)

嵯峨天皇の御代のこと、都に左大臣公満(きんみつ)というかたがいました。子どものいなかった公満は、大和の寺に詣で、三十三度の願をかけたところ、みほとけに願いが通じたのか、玉のような男の子をさずかりました。百合若と名づけられた男の子は、13歳で元服したあと、四位の少将に任ぜられ、17歳にして早くも右大臣の位にのぼりました。百合若は幼名にちなんで百合若大臣とよばれ、大納言あきよりの姫君をめとり、仲むつまじく暮らしました。

そのころ、蒙古が大船団をひきい、海を渡って攻め寄せてきました。そこで、都はこの国難を切り抜けるため、伊勢の天照大神におうかがいをたてると、「百合若大臣に鉄の弓矢をもたせ、大将にして兵を九州にむかわせよ」とのお告げをいただきました。百合若は、さっそく長さが八尺五寸もある鉄の大弓をつくり、30万騎の軍勢をひきいて筑紫にむかいました。

百合若の活躍により、蒙古の軍勢は追い払われます。が、疲れきった百合若が波のかなたの玄海島で眠りこんだところ、家来の別府兄弟に裏切られ、島に置き去りにされてしまいます。このあとは、百合若の帰還と、別府の兄にいいよられ、それをしりぞける百合若の北の方の物語が続きます。百合若が生きていることを北の方に知らせる、鷹の緑丸のけなげな活躍が印象的です。

本書は、わが国の代表的な英雄伝説「百合若大臣」を絵本にしたものです。百合若自体は架空の人物です。むずかしい言葉には注が降ってありますが、それでもいささかむずかしいかもしれません。巻末の解説は西本鶏介。この絵本は、幸若舞を参考に、「おとぎ草子」から再話したそうです。小学校高学年向きの読物絵本。

2010年3月4日木曜日

だいくとおにろく









「だいくとおにろく」(松居直/再話 赤羽末吉/絵 福音館書店 1978)

昔、あるところに、とても流れの早い大きな川がありました。あまり流れが早いので、何度橋をかけても、たちまち流されてしまいます。そこで、村の人たちは、このあたりでいちばん名高い大工に頼んで、橋をかけてもらうことにしました。 ひきうけた大工が川をじっとながめていると、川のなかから大きな鬼があらわれました。そして、鬼はいいました。「おまえの目玉をよこしたら、おれがおまえに代わってその橋かけてやってもええぞ」。大工が適当な返事をすると、翌日には橋が半分できており、翌々日には完成していました。「さあ、目玉をよこせ」と、鬼はせまりますが、もちろん大工は、あげるわけにはいきません。すると鬼はこういいます。「おれの名前を当てれば許してやってもええぞ」──。

ご存じ、「だいくとおにろく」のお話です。本書は日本の昔話絵本の代表作のひとつ。赤羽末吉さんが素晴らしい技量をみせています。小学校低学年向き。

以下は余談です。たしか、作者の松居直さんが「オチを割ったタイトルをつけてしまったのが心残りだ」と、なにかに書かれていたような気がします。

余談その2。『昔話の東と西』という本によれば、「大工と鬼六」の話は、もともとは日本の話ではなく、教会建立説話が変形してできたものだそうです。

《日本在来の民話だと思い込まれていた「大工と鬼六」が実は、聖者と魔物が登場する北欧の教会建立伝説が、英語からの翻訳に基づく翻案の口演〔大正・昭和期の口演童話運動の一環〕により日本に移入され、民間に口承されされ、それが再び採録されて活字となったものであることが、疑いの余地を全く残さず確証されている(「昔話の東と西」鈴木満 国書刊行会 2004)》

ちいさなろば









「ちいさなろば」(ルース・エインズワース/作 石井桃子/訳 酒井信義/絵 福音館書店 2002)

雪の降る日、小さなロバはひとりぼっちで囲いのなかをぐるぐるまわっていました。ロバは寒くはありませんでしたが、さみしいと思いました。すると、2人の女の子がやってきて、ロバにいいました。「あたしたち、急いでうちに帰るところ。ベッドにくつ下をつるさなきゃならないから」。どうしてくつ下をつるすんです、というロバに女の子はサンタクロースのことを教えました。「そのひと、人間の子どもにだけプレゼントをくれるんですか? ロバにはくれないんですか?」と、ロバはたずねましたが、女の子たちは知らないわといって、去っていってしまいました。ところが、その晩不思議なことが起こりました。

クリスマス絵本の一冊です。その夜、足を痛めたトナカイのかわりに、ロバはサンタクロースのそりを引くことになります。表紙はワインレッドの地に、黒い線でロバの絵がえがかれたものですが、なかは美しい水彩画です。とくに、クリスマスの朝は物語の効果とあいまって忘れがたいものになっています。小学校低学年向き。

2010年3月3日水曜日

うしかたとやまうば












「うしかたとやまうば」(瀬田貞二/再話 関野凖一郎/画 福音館書店 1972)

昔、五郎という牛方がいました。五郎は、浜で正月につかうサバを仕込んで、牛につめるだけつんで山越えをしようとしました。ところが、峠まできたとき、「おーい、おーい」と追いかけてくるものがありました。それは、白髪を振り乱したやまうばでした。

やまうばは、よこさなければおまえを食ってしまうぞとおどかして、サバも牛も食べてしまいます。そして、五郎も食べようとするので、五郎は大あわてで逃げだします。さんざん逃げまわり、山の一軒家に逃げこんでみると、そこはなんとやまうばのいえ。しかし、五郎はうまく機転をきかせ、やまうばをだしぬきます。関野準一郎さんの絵が、日本のこわい昔話という感じを、じつによくだしています。小学校低学年むき。

2010年3月1日月曜日

こしおれすずめ









「こしおれすずめ」(瀬田貞二/再話 瀬川康男/画 福音館書店 2009)

昔むかし、あるおばあさんがひなたぼっこをしていました。すると、庭にきていたスズメが子どもたちに石を当てられて、うごけなくなってしまいました。そこへ、カラスがかかってきたので、おばあさんは急いでスズメをとり上げました。おばあさんは助けたスズメを看病し、飛べるようになると外に放してやりました。

しばらくたってから、スズメはおばあさんのもとに戻ってきって、ひょうたんの種を落としていきます。おばあさんがそれを大事に育てると、大きなひょうたんがなり、口を切ってみると、なかにはお米がぎっちりつまっていて、おかげでおばあさんの家は富栄えました──。

…という、スズメの恩返しのお話。スズメのお宿にいき、おみやげにつづらをもらってくるのではなく、ひょうたんをもらうというのが面白いです。後半は、となりのおばあさんがあわられて…というパターンになります。非常に簡略化された絵が、充分に物語を表現しています。小学校低学年むき。