2011年4月28日木曜日

小さなしょうぼうしゃ」










「小さなしょうぼうしゃ」(グレアム・グリーン/文 エドワード・アーディゾーニ/絵 阿川弘之/訳 文化出版局 1975)

リトル・スノーリング村に、サムじいさんという消防士が住んでいました。サムじいさんは、小馬のトビーに自慢のちび消防車を引かせ、村を火事から守っていました。ところが、サムじいさんをきらっているブリッグス町長が、ロンドンの市長に手紙をだして、村に新しい消防車がやってくることになりました。

新しい消防車がやってきたので、サムじいさんたちは楽しみにしていた消防記念日にも出席することができません。家賃が払えなくなったサムじいさんは、トビーにちび消防車を引かせ、行商をはじめます。ですが、朝暗いうちから仕事にでかけ、夜暗くなってから家に帰る生活で、サムじいさんはリューマチになり、ちび消防車はさびだらけになってしまいます──。

グレアム・グリーンとアーディゾーニによる「小さなきかんしゃ」の続編にあたる絵本です。主人公のサムじいさんは、「小さなきかんしゃ」の、赤ぼうのトロリーおじさんのお父さんです。このあと、落ち目になったサムじいさんとちび自動車はさんざんつらい目にあうのですが、最後に挽回のチャンスがやってきます。小学校低学年向き。

2011年4月27日水曜日

小さなきかんしゃ










「小さなきかんしゃ」(グレアム・グリーン/文 エドワード・アーディゾーニ/絵 阿川弘之/訳 文化出版局 1977)

リトル・スノーリング村で生まれた、ちび機関車は、この村の駅と、となり町のマッチ・スノーリングの駅しか知りませんでした。「一度でいいから、ぼくも急行列車の走る、広い世界をみにいけないかなあ」と、ちび機関車は思っていました。ある朝、ちび機関車はとても早く目がさめました。機関士のポスルスウエイトおじさんは、まだ寝ていました。迷ったあげく、ちび機関車は駅から逃げだしました。

ちび機関車は本線に入りこみ、得意になって走り続けます。大きな鉄橋を渡り、お城のそばを通り、さびしい山道を抜けて、大きな町へ。大きな町の駅はあんまり騒がしいので、ちび機関車はこわくなり、きた線路をもどりはじめます。そのあげく、石炭も残り少なくなっってきて──。

ちび機関車が逃げ出すと、見開きで地図があらわれます。地図の通りにちび機関車は進み、それにあわせて景色も変わっていくのが楽しいところです。ことさら機関車を擬人化したりしていないのですが、にもかかわらず機関車たちに人格があるように見えるのは、アーディゾーニの絵のうまさでしょう。ちび機関車と一緒に、ひと晩の冒険にでたような気分になれる一冊です。小学校中学年向き。

2011年4月26日火曜日

しょうぼう馬のマックス











「しょうぼう馬のマックス」(サラ・ロンドン/文 アン・アーノルド/絵 江国香織/訳 岩波書店 1998)

バーモントの小さな町に、レヴじいさんというはたらき者の行商人がいました。レヴじいさんは、ブッバという名前の馬を荷車につなぎ、毎日行商にでかけました。ところが、ブッバは荷車を引くには年をとりすぎてしまいました。ちょうどそのころ、新しい消防車がくるので、消防馬たちはみんなオークションにかけられることになりました。レヴじいさんはオークションにでかけ、音楽の好きなマックスという馬を手に入れました。

さて、こうして荷車を引くようになったマックスでしたが、まだ消防馬だったころのくせが抜けず、火事を知らせる鐘を聞くと、一目散に飛びだしてしまいます。そこで、レヴじいさんはマックスに、火事よりももっと楽しいことをしてやろうと考えて──。

なかなか前の仕事のことが忘れられないマックスのお話です。絵は、水彩でえがかれた親しみやすいもの。このあと、夜、火事の鐘を聞いたマックスは馬屋から逃げだそうとするのですが、レヴじいさんがもっと楽しいことをしてやり、マックスはとどまります。小さな町の感じがよくでた、雰囲気のある一冊です。小学校中学年向き。

2011年4月25日月曜日

かしこいちいさなさかな












「かしこいちいさなさかな」(バーナディン・クック/文 クロケット・ジョンソン/絵 こかぜさち/訳 福音館書店 2001)

あるところに釣りの大好きな男の子がいました。男の子は毎日釣りをしていましたが、魚が釣れたことは一度もありませんでした。ところが、ある日、信じられないことが起きました。

男の子がいつもの場所で、いつものように釣りをしていると、とてもとても大きな魚と、とても大きな魚と、大きな魚と、小さな小さな魚がやってきます。魚たちは一度は去っていくのですが、再びあらわれて──。

作者のバーナディン・クックは「いたずらこねこ」「ショーティーとねこ」で、画家のクロケット・ジョンソンは「はろるど」シリーズや「にんじんのたね」で、それぞれ高名です。画面は地上と水中で2分割され、あらわれた魚がえさのミミズを食べるのかどうか、読んでいてドキドキします。シンプルな構成ながら、じつにスリリングな、そして洒落たオチのついた一冊です。小学校低学年向き。

2011年4月22日金曜日

げんきなグレゴリー










「げんきなグレゴリー」(ロバート・ブライト/作 なかつかさひでこ/訳 徳間書店)

グレゴリーは、グレンジャー村で一番やかましくて元気な男の子でした。村で一番足の早いウサギとかけっこしても勝てるし、一番大きな干し草の山もひとっとび。グレゴリーが大声をだすと、男のひとの帽子だってふっとびます。ある日、グレゴリーは、グレンジャー村で一番ホットケーキを焼くのが上手なおばあちゃんの家にいって、ホットケーキ焼いてといいました。おばあちゃんはグレゴリーにお手伝いをさせようと思って、「ちょっとしてほしいことがあるの」といいました。ですが、グレゴリーはおばあちゃんの話を全部聞くまえに、ヤッホーと丘にのぼっていきました。

「おばあちゃんは、ぼくがどんなに強いのかみたいんだな」と思ったグレゴリーは、村で一番怒りんぼうのクマをみつけると、ポーンとクマの肩に乗り、クマとともに、おばあちゃんの家にもどります。ですが、おばあちゃんはそんなことをしてほしかったわけではありません。すると、グレゴリーはまた駆けだして──。

ぜんぜん、ひとの話を聞かない、あまりにも元気一杯なグレゴリーのお話です。クマに乗ったり、ロバにまたがったり、グレゴリーは乱暴な振る舞いばかりするのですが、じき乱暴なだけではうまくいかないことに気がつきます。絵は、モノクロとカラーが交互にくる構成。元気一杯なグレゴリーが大変いきいきとえがかれています。グレゴリーがあんまり元気なので、ストーリーにナンセンス味があり、どこまでも楽しい絵本になっています。小学校低学年向き。

2011年4月21日木曜日

きょうはよいてんき










「きょうはよいてんき」(ナニー・ホグロギアン/作 あしのあき/訳 ほるぷ出版 1978)

きょうはよい天気。大きな森のむこうから一匹のキツネがやってきました。ノドがからからだったキツネは、たきぎを拾いにきたおばあさんの、つぼに入ったミルクをぺろぺろと飲みほしてしまいました。それに気がついたおばあさんは、怒ってナイフでキツネの尻尾を切りとってしまいました。

キツネが尻尾を返してくれるようにお願いすると、おばあさんは、「わたしのミルクを返しておくれ。そしたら尻尾を返してあげるよ」といいます。そこで、キツネが牛のところにでかけると、牛はこういいます。「きみが草をくれたらミルクをあげるよ」。そこで、キツネが原っぱにいくと、原っぱはこういいます。「わたしに水をくれたらね」──。

アルメニアの民話をもとにした絵本です。このあと、キツネは、川、きれいな娘さん、物売り、ニワトリ、粉ひきのおじさんを訪ねます。もちろん、キツネは途中から、訪れた先を逆にたどり、最後は大団円をむかえます。絵は、微妙な色あいの水彩。逆にたどる場面が、うまく絵であらわされているのが、読んでいて楽しいところです。1972年コールデッコット賞受賞。小学校低学年向き。

ひよこのコンコンがとまらない












「ひよこのコンコンがとまらない」(ポール・ガルドン/作 福本友美子/訳 ほるぷ出版 2007)

昔むかし、めんどりのコッコさんが、ひよこのタッペンを連れて森にでかけました。「大きいタネは食べちゃだめ。のどにつまってコンコンがでるからね」と、コッコさんはいいましたが、しばらくすると、大きいタネを飲みこもうとしたタッペンは、コンコン、コンコン…、せきがとまらなくなりました。

タッペンに水を飲ませなきゃと、コッコさんはあわてて泉にいきます。「泉さん、泉さん、水を少しちょうだい。タッペンのコンコンがとまらないの」。すると、泉はこたえます。「コップをもってくれば、分けてあげるよ」。そこで、コッコさんはカシの木を訪ねます。「カシの木さん、カシの木さん、コップを1つちょうだい。コップがなければ、泉の水がくめない、水がなければ、タッペンのコンコンがとまらないの」。すると、カシの木はこたえます。「だれかが、枝をゆすってくれたら、コップをあげるよ」。そこで、コッコさんは木こりの息子のところに駆けていきます。「ぼうや、ぼうや、カシの木の枝をゆすってちょうだい。ゆすらなければ、カシの木がコップをくれない、コップがなれけば、泉の水がくめない、水がなければ、タッペンのコンコンがとまらないの」──。

北欧の昔話をもとにした絵本です。このあと、コッコさんは、靴屋、雌牛、お百姓さん、鍛冶屋、そして鉱山ではたらく小人たちを訪ねます。話のかたちは、「きょうはよいてんき」(ナニー・ホグロギアン/作 あしのあき/訳 ほるぷ出版 1978)とそっくりです。ガルトンはこの絵本でも、アップを多用した、生き生きとした絵をえがいています。最初、なぜ、カシの木にコップをもとめるのだろうと思うのですが、ラストの絵をみると、なるほどこれがコップなのかと納得します。小学校低学向き。

2011年4月19日火曜日

おとうさんおかえり












「おとうさんおかえり」(マーガレット・ワイズ・ブラウン/文 スティーヴン・サヴェッジ/絵 さくまゆみこ/訳 ブロンズ新社 2011)

〈よるに なりました。 おとうさんたちが かえってきますよ。
 さかなの おとうさんは、
 さらさら ながれる
 かわを およいで、
 こどもたちの ところに
 かえってきます。

 てんとうむしの おとうさんは、ぶーんと とんで、
 たおれた きの したに いる
 こどもたちの ところに かえってきます。〉

タイトル通り、お父さんが帰ってくるところを描いた絵本です。このあと、ウサギ、クモ、イヌ、小鳥、カタツムリ、ブタ、そして船乗りのお父さんが帰ってきます。途中、ライオンもあらわれますが、「ライオンのお父さんはひとりで暮らしています。だから、自分のところに帰ってきます」と書かれているのが、なにやら可笑しいです。

この絵本は、マーガレット・ワイズ・ブラウンの遺稿に、スティーヴン・サヴェッジが絵をつけたもの。色も形も、シンプルで鮮やかな、厚塗りのような画風は、リノリウム版画という手法で描かれたものだそうです。冒頭に、なぜ船がえがかれているのかが、最後にわかる仕掛けになっています。小学校低学年向き。

2011年4月18日月曜日

ゆきのうえのあしあと










「ゆきのうえのあしあと」(ウォン・ハーバート・イー/作 福本友美子/訳 ひさかたチャイルド 2008)

雪の上に、足跡がついているのを、女の子がみつけました。一体だれの足跡でしょう。女の子はコートを着て、手袋をはめ、外にでて足跡を追いかけます。

足跡は、ウサギのよりか大きいですが、クマではありません。冬、クマは寝ています。アヒルはもういませんし、ウッドチャックだって昼も夜も穴のなかで寝ています。女の子は足跡を追いかけ、森のなかへ入っていきます──。

絵は、おそらく色鉛筆で描かれた柔らかみのあるもの。足跡を追いかける女の子のしぐさが、ていねいに描かれています。最後、女の子はついに足跡の主をみつけますが、その正体が洒落ています。小学校低学年向き。

2011年4月15日金曜日

あめのひ











「あめのひ」(ユリー・シュルヴィッツ/作・画 矢川澄子/訳 福音館書店 1976)

〈あめが ふりだした
 ほら きこえる
 まどに ぴしゃぴしゃ
 やねに ばらばら
 まちじゅう すっぽり あめ あめ〉

タイトル通り、「あめのひ」を題材にした絵本です。雨は、山にも丘にも草にも降ります。地に落ちた雨は流れになって、寄りあつまって、海になります。雨があがると、空のかけらのような水たまりが残ります。水気があって、どこかキラキラした感じのする絵と、詩のような文章による、雨の雰囲気に満ちた美しい一冊です。小学校低学年向き。

2011年4月14日木曜日

おかあさんはなにしてる?











「おかあさんはなにしてる?」(ドロシー・マリノ/作・絵 こみやゆう/訳 徳間書店 2010)

きょうは月曜日です。みんなは学校や幼稚園へいきます。でも、みんなが家にいないあいだ、お母さんはなにをしているのでしょう──。

ジョゼフが幼稚園で絵を描いているとき、お母さんは台所の戸棚にペンキを塗っています。ふたごのリンダとライルが学校で算数を習っているとき、リンダとライルのお母さんは会社で計算をしています──。

子どもたちが学校にいっているとき、お母さんはなにをしているのか──をえがいた絵本です。このあと、スーザン、マイケル、ジェーン、ボビー、ニナと、そのお母さんたちが登場します。幼稚園と小学校が交互にえがかれ、前の場面で登場したひとが、次の場面で背景にいるなど、細かい見所も盛りだくさんです。また、子どもとお母さんがおなじようなことをしているのも、面白いところです。後半は、お休みの日、家族が一緒にすごすところがえがかれます。小学校低学年向き。

2011年4月13日水曜日

いたずらこねこ










「いたずらこねこ」(ポール・ガルドン/作 中井貴惠/訳 ほるぷ出版 2004)

だいじなミトンをなくして、3匹の子猫が泣きだしました。「ママ、大変。だいじなミトンをなくしちゃった」。すると、ママがいいました。「なんですって、おばかさんね。ミトンをなくしたら大好きなパイはお預けね」。そこで、子猫たちはがんばってミトンをさがして──。

ミトンをみつけた子猫たちは、大好きなパイにありつきます。でも、ミトンをはめた手で食べたので、またママに怒られます。

マザーグースの歌をもとにした絵本です。「マザーグースをしっていますか?」(来住正三/著 南雲堂 1988)に原文と訳が載っていたので、一連引用してみましょう。

Three litle kittens they lost their mittens,
And they began to cry,
Oh, mother dear, we sadly fear
That we have lost our mittens.
What! lost your mittens, you naughty kittens!
Then you shall have no pie.
Mee-ow, mee-ow, mee-ow.
No, you shall have no pie.

〈三匹の子ねこが手袋をなくして
  泣き出した、
 ねえ、母さん、大変だよ、
  手袋なくしちゃったの。
 なに、手袋なくしたって、いけない子ねえ!
  パイはあげません。
  ニャオー、ニャオー、ニャオー。
  いいえ、パイはあげません。〉

ポール・ガルトンのえがく子猫たちは表情豊かで、大変な可愛らしさ。パイを食べている場面の、テーブルクロスやカップといった小道具をみるのも楽しいです。小学校低学年向き。

2011年4月12日火曜日

アンジュール











「アンジュール」(ガブリエル・バンサン/作 ブックローン出版 1986)

文字のない絵本です。冒頭、車から犬が捨てられます。タイトルのアンジュールというのは、この犬の名前でしょうか。アンジュールは走り去る車を必死で追いかけます。が、追いつくことはできません。ひとりぼっちになったアンジュールは、道路を渡ろうとして交通事故を引き起こしてしまいます。空に吠え、汀を歩き、町に入り、いくあてもなく歩き続きけます──。

絵は、鉛筆によるデッサンのみ。ですが、大変な情感がこめられ、読む者の気持ちを深くゆすぶります。副題は「ある犬の物語」。子ども向きというより、大人向きの絵本でしょう。振りむいたアンジュールの姿が忘れられなくなる一冊です。

ちいさいおうち











「ちいさいおうち」(バージニア・リー・バートン/作 石井桃子/訳 岩波書店 1979)

昔むかし、ずっと田舎の静かなところに小さなおうちがありました。それは、小さいきれいなおうちで、しっかり丈夫に建てられていました。このおうちを建てたひとは、「わたしの孫の孫のそのまた孫のときまで、この家は立派に建っているだろう」といいました。

それから、たくさんの季節がすぎていきます。いつしか、小さいおうちの前には道路ができ、自動車がいったりきたりするようになります。周りにはアパートや住宅ができ、夜は昔のように静かで暗くはなくなり、高架線が走り、地下鉄が通り、小さいおうちはビルにかこまれてしまいます。

バージニア・リー・バートンの代表作です。文字の組みかたが視線を誘導するようになっていたり、最初1ページに描かれていた絵が、町の広がりとともに見開きに描かれるようになったりと、さまざまな細かい工夫がなされています。町にかこまれ、すっかりみすぼらしくなってしまった小さいおうちでしたが、この後だれしも納得がいく素敵なラストが待っています。最後の一文が、深く胸に残ります。1942年コールデコット賞受賞。小学校低学年向き。

2011年4月8日金曜日

どうぶつどのみちいっぽんみち












「どうぶつどのみちいっぽんみち」(中村牧江/文 林健造/絵 大日本図書 2011)

動物に会いたくてたまらなくなって、ひとり自転車に乗って一本道をゆくと、ウサギやヒツジやカンガルーやトラなど、さまざまな動物に出会います──。

自転車が、さまざまな動物に出会いながら進んでいくという絵本です。驚くことは、すべての絵がひと筆書きでえがかれているということ。自転車はどんどん進み、ついに海の上まで走ります。海のクジラも、氷山のペンギンも、入江の夕日も、みんなひと筆書きです。最後は、すべての絵がひとつにつながります。線を指でたどりながら読みたくなる一冊です。小学校低学年向き。

2011年4月7日木曜日

アツーク












「アツーク」(ミッシャ・ダムヤン/文 ジャン・カスティ/絵 尾崎賢治/訳 ペンギン社 1978)

サケが川をのぼってくるころ、5歳になったアツークは、お父さんから茶色の子犬と、きれいな色を塗ったソリをもらいました。アツークは大喜びで、子犬にタルークという名前をつけて、いつも一緒に遊びました。アザラシを穫る季節がくると、アツークはタルークを狩りに連れていってくれるようにお父さんに頼みました。そうすれば、タルークは長い旅に慣れるし、年上の犬と力をあわせてソリを引っ張ることをおぼえるでしょう。ところが、お父さんが狩りから帰ってきたとき、タルークの姿はみえませんでした。「アツーク、おまえの犬はオオカミにかみ殺されてしまった」と、お父さんはいいました。

その日から、アツークはオオカミをやっつけることだけを考えます。ツンドラのだれもが恐れる狩人に成長したアツークは、ついにオオカミを倒すのですが──。

副題は「ツンドラの子」。作者のミッシャ・ダムヤンはマケドニアの生まれで、スイスに移住したひとだそうです。絵を描いたジャン・カスティはスイスのひと。絵は大胆な筆づかいの、それでいて必要なことが充分にえがかれたものです。オオカミを倒したところで話が終わらないのが印象的です。小学校低学年向き。

2011年4月6日水曜日

うさぎのマシュマロ












「うさぎのマシュマロ」(クレア・ターレー・ニューベリー/作 劉優貴子/訳 講談社 2002)

オリバーは、しま模様のネコです。子猫のころから家政婦のティリーさんに世話をしてもらっています。生まれて一度も外にでたことがないので、世の中にはほかの動物がいっぱいいるということを知りません。ある日、ティリーさんが、台所からオリバーを呼びました。「オリバー、こっちへいらっしゃい。あなたをびっくりさせるものがあるのよ」。

台所にいたのは、長い耳に、桃色のひとみ、ひくひくうごく鼻に、ぴくぴくうごくひげがついた赤ちゃんうさぎでした。オリバーは最初、こわくて両目をぎゅっと閉じてしまいます。そのうち、慣れてくると、ウサギのマシュマロのいる部屋に忍びこみ、とびかかろうとするのですが──。

ネコのオリバーと、赤ちゃんウサギのマシュマロの交流をえがいた絵本です。クレア・ターレー・ニューベリーはネコをえがくのが上手で有名ですが、この絵本ではオリバーはもちろん、マシュマロもとても可愛らしく、表情豊かにえがかれています。また、巻末の文章によれば、この絵本は、お話も、オリバーやマシュマロのしぐさも、すべて本当にあったことだということです。1942年コールデコット賞受賞。小学校低学年向き。

2011年4月5日火曜日

雪の写真家ベントレー












「雪の写真家ベントレー」(ジャクリーン・ブリッグズ・マーティン/作 メアリー・アゼアリアン/絵 千葉茂樹/訳 BL出版 1999)

昔、ある農村にウィリーという男の子がいました。ウィリーはなによりも雪が好きでした。チョウやリンゴの花もきれいだけれど、雪の美しさは、どんなものにもけっして負けない。ウィリーはそう思っていました。母さんから古い顕微鏡をもらったウィリーは、ほかの子たちが、雪合戦をしたり、カラスめがけて雪玉を投げて遊んでいるとき、ひとりで雪の結晶を観察していました。

ウィリーは雪の結晶の美しさを、なんとかみんなに知ってもらいたいと考えます。そこで、まずスケッチをしてみましたが、雪はスケッチが出来上がるまえに溶けてしまいます。ウィリーが17歳のとき、お父さんとお母さんは顕微鏡つきカメラを買ってくれます。それは、子牛よりも背が高く、10頭の乳牛よりも値段の高いカメラでした。はじめのうち、うまく写真を撮ることができませんでしたが、次の年の冬、ウィリーはついに雪の結晶の写真を撮ることに成功します──。

生涯を雪の研究と、結晶の撮影にささげた、アマチュア研究家ウィルソン(ウィリー)・ベントレーについての伝記絵本です。ウィリーは1865年2月9日、アメリカのバーモンド州ジェリコに生まれました。ジェリコは豪雪地帯にある小さな農村だそうです。カバー袖にある訳者の文章には、こんなことも書かれています。

〈「雪は天から送られた手紙である」という有名なことばを残した、雪の世界的権威、中谷宇吉郎博士が研究をはじめたのも、ベントレーが出版した雪の結晶の写真集を目にして、その美しさに目をみはったことがきっかけでした。〉

絵は着色された版画。巻末に、ウィリーが撮った美しい雪の結晶の写真が載せられています。ウィリーのひたむきな生涯が心に残る一冊です。1999年度コールデコット賞受賞。小学校高学年向き。

2011年4月4日月曜日

夢を追いかけろ












「夢を追いかけろ」(ピーター・シス/作 吉田悟郎/訳 ほるぷ出版 1992)

昔、イタリアのジェノバにひとりの男の子が生まれました。名を、クリストファー・コロンブスといいました。クリストファーは、大きくなればお父さんの仕事を継いで、毛織物職人になることに決まっていました。ですが、マルコ・ポーロの「東方見聞録」を読んだクリストファーは、金銀財宝のあふれる世界へ旅することを夢みていました。

成長したコロンブスは、ヨーロッパ中の航海を経験します。そして、大西洋を横切ってアジアにゆきつく航路をみつける決心をし、そのために必要な帆船や食料、乗組員を用意するお金をだしてくれる後援者をさがします。何年にも渡る後援者さがしの果て、コロンブスの計画に心をうごかされたスペインのイザベル王女は、夫のフェルナンド王を説得し、ついに1492年8月3日ニーニャ号、ピンタ号、それに旗艦のサンタ・マリア号は、スペインのパロスの港を出発します──。

クリストファー・コロンブスについての伝記絵本です。副題は「クリストファー・コロンブスの物語」。ピーター・シスのえがく絵は、細部のみどころが満載です。絵の独特の味わいは、石膏を重ね塗った表面に、油彩とインキと水彩とグワッシュを用いたという、フレスコ画に似た技法でえがかれたことからきているようです。

巻末の、訳者による解説も充実しています。それによれば、コロンブスの生涯については、その幼年時代のことも、西まわりの大西洋航海の援助をとりつけるため西欧諸国の宮廷を訪ねまわったことについても、はっきりしたことはあまりわかっていないのだそうです。訳者が書いているとおり、航海のさいの積荷や船隊の編成などについては、絵本「コロンブスの航海」(ピエロ・ヴェントゥーラ/絵 ジアン・パオロ・チェゼラーニ/文 吉田悟郎/訳 評論社 1979)により詳しくえがかれています。

また、作者のピーター・シスは、冒頭の「読者のみなさまへ」で、こう書いています。コロンブスが当時ながめていたであろう地図には、ヨーロッパの周囲が高い壁に囲まれ、壁の外側には怪物が待ちうけているといったものがありました。「鉄のカーテン」といわれた「壁」に囲まれた国に生まれ育ったシスは、それをみて、この絵本をつくりあげようという気持ちになったそうです。その気持ちは、扉の絵によくあらわれています。小学校中学年向き。

2011年4月1日金曜日

しりたがりやのふくろうぼうや












「しりたがりやのふくろうぼうや」(マイク・サラー/作 デービッド・ビースナー/絵 せなあいこ/訳 評論社 1992)

フクロウのアウリーぼうやは大変な知りたがり屋でした。ある夜、ぼうやはお母さんにたずねました。「お空には、どれくらいお星さまがあるの?」「かぞえてごらん」と、お母さんはいいました。ひとつ、ふたつ、みっつ、よっつ…と、ぼうやは星を数えはじめました。

明けがたまで星を数えたぼうやに、「お星さまはいくつあった?」と、お母さんがたずねると、ぼうやは目をしばしばさせていいました。「数え切れないくらいあったの」

このあと、ぼうやは空の高さをたしかめようとしたり、波の数をかぞえてみようとしたりします。絵は、柔らかみと臨場感をかねそなえた水彩画。作者のデービッド・ビーズナーは、ディビッド・ウィーズナーと同一人物のようです。絵と同様、話もあたたかみのある一冊です。小学校低学年向き。