2012年2月29日水曜日

まじめなフレッドおじさん












「まじめなフレッドおじさん」(ティム・イーガン/作 もきかずこ/訳 ソニー・マガジンズ 2005)

農場のフレッドおじさんは大変まじめで、めったに笑いませんでした。「畑仕事は遊びじゃない。トウモロモシ相手にふざけられるか?」と、おじさんはいつもいいました。おじさんが真面目なので、農場のブタ、ウシ、ニワトリ、ウサギ、ヒツジも、みんな真面目でした。

ある晩、ウシのエドナが、フレッドおじさんを笑わせてみたいといいだします。「真面目なのもいいけれど、いつもいつもじゃいやになっちゃう。たまには笑ってもいいんじゃない」。ほかの動物たちも賛成し、みんなでフレッドおじさんを笑わせようとするのですが──。

絵は、線画に水彩で着色したもの。みんな真面目な顔をしているのが、やけに可笑しいです。このあと、動物たちは、オンドリの鳴きまねをしたり、踊ったり、逆立ちをしたり、いろんなことをしてフレッドおじさんを笑わせようとするのですが、それでもおじさんは笑いません。そこで、動物たちは、もっと楽しくすごせる場所をさがそうと、農場をでていくのですが…。はたして、おじさんを笑わせることはできるのでしょうか。小学校低学年向き。

2012年2月28日火曜日

おばあさんとこぶた

「おばあさんとこぶた」(ポール・ガルドン/絵 大庭みな子/訳 佑学社 1987)

あるとき、部屋の掃除をしていたちっちゃなおばあさんは、ちっちゃな銀貨をみつけました。おばあさんは市場にでかけ、この銀貨で子ブタを一匹買いました。帰り道、子ブタが垣根をこえられないでいるので、おばあさんはいいました。「踏み台ふんでこっちにおいで。早く帰ろう、日が暮れる」。でも、子ブタが知らん顔をするので、おばあさんはイヌにいいました。「イヌさん、子ブタに噛みついておやり。子ブタは垣根をこえようとしない。おうちに帰れず日が暮れる」。でも、イヌも知らん顔をするので──。

絵は、カラーと白黒が交互にくる構成。カラーページは、赤黄黒の3色です。話は、積み木がどんどん積み上がっていくような積み上げ話。おばあさんは、このあと、棒っきれ、燃える火、水、ウシ、ネコにお願いをします。そして、お話は最後、積み木がくずれるように急展開をむかえます。小学校低学年向き。

いやだいやだのスピンキー












「いやだいやだのスピンキー」(ウィリアム・スタイグ/作 おがわえつこ/訳 セーラー出版 1989)

うちを飛びだしたスピンキーは、草の上にからだを投げ出しました。うちのひとたちときたら、スピンキーのことを、だれ一人わかってくれないのです。姉さんのウィラミナが、「ごめんねスピンキー、スピンクスなんて呼んじゃって」とあやまっても、兄さんのヒッチが、「おまえのいうとおり、フィラデルフィアはベルギーの首都だったよ」といっても、スピンキーはなにもこたえません。

夕方、お母さんがきて、「お母さんはあなたが生まれた瞬間から、いいえ、生まれるまえからずっとあなたを愛していたのよ」とキスしても、スピンキーは、いまごろ遅いよと、石のようにうごきません。スピンキーは、うちにもどらずハンモックですごすようになるのですが──。

「ゆうかんなアイリーン」などで名高いスタイグの絵本です。ページごとにユーモラスなカラーの絵があり、絵の上や下に文章があるというスタイルは、この本でも変わりません。このあと、友だちがきても、お父さんがきても、おばあさんがきても、スピンキーのボイコットは続きます。でも、だんだんとうちに帰りたくなってきて…。がんばってスネ続けるスピンキーにたいし、お父さんは長ながと説教したり、おばあさんはプレゼントをもってきたりと、いかにもそのひとがやりそうなことが上手くえがかれています。小学校低学年向き。

2012年2月25日土曜日

ギルガメシュ王ものがたり











「ギルガメシュ王ものがたり」(ルドミラ・ゼーマン/文・絵 松野正子/訳 岩波書店 1993)

大昔、メソポタミアにギルガメシュという名の王がいました。神でもあり人間でもあるギルガメシュは、人間の心とはどんなものか知りませんでした。そのため、いつもひとりぼっちで、だんだん気むずかしく、残酷になっていきました。

ある日、ギルガメシュは、いつまでも自分のことを忘れないように、高い城壁を築くよう命じます。城壁は世界一高くなりますが、それでもギルガメシュはひとびとをはたらかせることをやめません。ひとびとは太陽神にお祈りし、太陽神はギルガメシュと同じように強いエンキドゥという人間を女神につくらせ、動物と暮らすように森へ送ります──。

世界最古の物語といわれる「ギルガメシュ叙事詩」をもとにした絵本です。本書は、シリーズ全3巻のうちの1巻目にあたります。絵は、レリーフ風の、どうやってえがいたのかわからない、品格に満ちたもの。このあと、森に住むエンキドゥは、ひとに知られることになり、エンキドゥを誘いだすために、神殿でいちばん美しく、いちばん歌のうまいシャマトが森へいかされます。ところが、シャマトとエンキドゥは愛しあうようになり、エンキドゥは残酷なギルガメシュを倒すため、ウルクの都へおもむきます。世界最古の物語にふさわしい、格調の高い一冊です。小学校中学年向き。

2012年2月23日木曜日

ほんなんてだいきらい!












「ほんなんてだいきらい!」(バーバラ・ボットナー/文 マイケル・エンバリー/絵 さんべりつこ/訳 主婦の友社 2011)

ミス・ブルックスは図書室の先生です。好きな本は、「ぼくにげちゃうよ」「ぞうのババール」「かいじゅうたちのいるところ」「はらぺこあおむし」などなど。お話会のとき、ミス・ブルツクスは登場人物の仮装をしてお話します。どうして、そんな格好をするのかと〈あたし〉が訊いてみると、「みんな、わたしと同じくらいわくわくしてほしいからよ」。でも、ミス・ブルックスはちょっとわくわくしすぎている気がします──。

5月に入り、読書週間がはじまると、クラスのみんなは自分の一番好きなお話をえらんで発表することになります。「本なんか好きにならないもん」と、どんな本にもけちをつけていた〈あたし〉ですが、あるときイボの話が読みたいと思い立ち…。

本ぎらいの女の子が、自分の好きな本をみつけるという絵本です。絵は、線画に水彩で着色した、ちょっとマンガ風の親しみやすいもの。文章は、女の子の語り口調で記されています。イボの話が読みたいという思いつきに大興奮した女の子は、お母さんがみつけてきてくれた「みにくいシュレック」に飛びつきます。一風変わった女の子が主人公の、愉快な一冊です。小学校低学年向き。

2012年2月21日火曜日

ハスの花の精リアン












「ハスの花の精リアン」(チェンジャンホン/作 平岡敦/訳 徳間書店 2011)

昔、あるところに、ローおじさんという漁師がいました。ある嵐の日、おそろしく年をとったおばあさんがやってきて、向こう岸に乗せてほしいといいました。ローおじさんが快く舟をだすと、おばあさんは、「日が沈んだら湖の浅瀬に植えなさい」と、お礼にタネをくれました。ローおじさんがいわれたとおりタネを植えると、あっというまにハスの花が咲き、つぼみが開くと、なかから女の子があらわれました。

リアンが、ハスの花の芯でローおじさんの舟にさわると、古びた舟は赤い漆塗りの舟になります。食卓にはごちそうが並び、おじさんの着ている服は絹の服に変わります──。

「ウェン王子とトラ」などをえがいた作者による絵本です。絵は、水墨画の手法でえがかれたもの。リアンは、日暮れになると花のなかからでてきて、ローおじさんのかごを魚でいっぱいにし、真夜中になるとまた花にもどって眠ります。そして、おじさんはリアンがだしてくれた魚を村中のひとにあげていたのですが、その噂は王様の娘タンの耳に届いて…と物語は続きます。けなげな花の精リアンの活躍が楽しい一冊です。小学校中学年向き。

2012年2月20日月曜日

つきのひかりのとらとーら









「つきのひかりのとらとーら」(フィリス・ルート/文 エド・ヤング/絵 野中しぎ/訳 福武書店 1991)

ジェシカは、またママに叱られてしまいました。本を読んでくれないよって、弟のマイケルが泣くからです。せっかく、とらとーらのお家をつくっていたのに。

夜、ベッドに入ったジェシカは、大きなトラのとらとーらのことを思いえがきます。とらとーらは、月からきた、とても大きなトラです。しっぽを振り立てて、大きなのびをするから、とらとーらの影で部屋が真っ暗になってしまいます──。

トラを夢みるジェシカのお話です。絵は、パステルでえがかれたもの。文章は、ジェシカの語りで記されています。このあと、とらとーらの背に乗ったジェシカは、北極グマに会いにいったり、アフリカのジャングルにいったりします。そして、うちにもどってくると、とらとーらは「弟を食べてあげようか」というのですが…。とても大きく、立派なとらとーらが印象的な、夜の雰囲気に満ちた一冊です。小学校低学年向き。

2012年2月17日金曜日

黒グルミのからのなかに












「黒グルミのからのなかに」(ミュリエル・マンゴー/文 カルメン・セゴヴィア/絵 ときありえ/訳 西村書店 2007)

ずいぶん昔、ポールという男の子が、漁師村近くの小さな家に、母さんと2人で暮らしていました。ある朝、いつもならとっくに台所に立っているはずの母さんの姿がみえませんでした。部屋をみると、母さんはベッドに横たわって目をとじていました。「わたしはもうすぐ死ぬわ死神が、わたしをつれにくるの」

薬を買いに外にでたポールは、浜辺で黒いマントに身をつつみ、大きな鎌をもった老婆に出会います。老婆を死神だと察したポールは、鎌を奪い、刃を石でめった打ちにし、鎌の柄で死神を叩きます。柄をよけようとして、死神がどんどん小さくなると、ポールは死神をつかみ、足もとに落ちていた黒グルミのなかに押しこんで、海に投げ捨ててしまいます。

生死についての絵本です。絵は、手描きとコラージュを組みあわせたもの。彩度の低い絵が、テーマによくあっています。このあと、漁師村にいったポールは、広場で大人たちが魚もウシも殺されないで逃げてしまうし、麦は鎌にかからないと話しているのを耳にします。ポールから話を聞いた母さんは、驚き悲しみ、そこでポールは…と、お話は続きます。最後が悲劇的ではないのでほっとします。小学校高学年向き。

2012年2月16日木曜日

はやおきミルトン












「はやおきミルトン」(ロバート・クラウス/文 ホセ・アルエゴ/絵 エアリアン・アルエゴ/絵 はせがわしろう/訳 ほるぷ出版 1978)

ある日、パンダのミルトンは、早く起きました。そして、遊びにでかけました。でも、おとなりのキバシリのクリープ(木によじ登る鳥)さんも、イノシシのブィッパースナッパー(つまらないひと)さんも、サイのニン・コン・プープ(とんま)さんも、まだ眠っていました。まるで世界中が眠っているようでした。

みんなが眠っているので、ミルトンはテレビをみたり、飛び上がったり、踊ったり、うたったりします──。

ひとりだけ早起きをした、パンダのミルトンのお話です。絵は、柔らかな描線に水彩で色づけされた、ユーモラスなもの。このあと、大地震が起きたり、つむじ風が吹いたりするのですが、動物たちはいっこうに目をさましません。そこでミルトンは、風でめちゃくちゃに散らかってしまった動物たちを、もといたところにもどしてやります。家族のなかで、ひとりだけ目をさましてしまった感じがよくでた一冊です。小学校低学年向き。

2012年2月15日水曜日

おおきくてもちいさくても……












「おおきくてもちいさくても……」(マリア・エンリカ・アゴスティネリ/絵 エリザベス・ボルヒェルス/作 はせがわしろう/訳 ほるぷ出版 1979)

ご婦人が、悲しそうな顔をして歩いています。新しい服に、新しい帽子、お天気だってとってもいいのに、一体どうしたといいのでしょう。「みんなはすらりとやせているのに、私は太っちょ、100キロなんて」。そこへ、ゾウがやってきたので、女のひとはにっこりします。「太ったゾウの歩きかた、なんて立派なことでしょう」

このゾウは、もう一頭のゾウとくらべたら、特別太っちょなわけではありません。太っちょのゾウは、カバをみてうらやましいと思います。「なんて可愛く小さく素敵なんでしょう。なのに私はこんなに太っちょ」

太っちょな生きものが、自分より小さな生きものをうらやましく思う、という絵本です。絵は、にじみが美しい水彩。このあと、ワニはタゲリを、タゲリはヒタキを、ヒタキはハエをうらやましがります。もちろん、ほかの生きものをうらやむのが、この絵本の本意ではありません。「なにになりたがってもいいけれど、悲しんだりしてはいけません」。詩を思わせる文章の、落ち着いた雰囲気の一冊です。小学校低学年向き。

2012年2月14日火曜日

きたかぜとたいよう












「きたかぜとたいよう」(イソップ/作 バーナデット/絵 もきかずこ/訳 西村書店 1993)

あるとき、北風と太陽がいいあらそいをはじめました。どちらも、強いのは自分だといってゆずりません。ふと下をみると、マントを着た旅の男が歩いています。そこで、北風は太陽に、「あの男のマントを引きはがせたほうが強いってことにするんだ」といいました。

男のマントを引きはがそうと、北風は強く吹きつけます。ですが、北風が強く吹けば吹くほど、男はマントにしがみつきます。

イソップ童話の「北風と太陽」をもとにした絵本です。絵は、おそらく水彩と色鉛筆でえがかれたもの。北風と太陽を擬人化せずに、旅人の振る舞いに焦点を当てています。場面のえがきかたにも工夫をこらし、品格のある一冊となっています。小学校低学年向き。

2012年2月13日月曜日

くんちゃんとにじ












「くんちゃんとにじ」(ドロシー・マリノ/作 まさきるりこ/訳 ペンギン社 1984)

ある春の日、雨がやんだので、子グマのくんちゃんは外へかけだしていきました。すると、外には大きな虹がかかっていました。「虹の根元には金のつまった壺が埋まっていると聞いたことがあるよ」と、小鳥がいったので、くんちゃんはうちからお鍋をもって、虹の根元にむかって走りだしました。

お父さんやお母さんは、「それはただのおとぎ話ですよ」というのですが、くんちゃんは聞きません。途中、リスやウサギやシマリスに道を聞き、虹の根元めざします。

「こぐまのくんちゃん」シリーズの一冊です。絵は、白と黒とオレンジの3色。ちゃんと、虹が虹らしくみえるところが不思議です。虹を追いかけて大きな木のところまできたくんちゃんでしたが、虹は消えてしまいます。でも、くんちゃんは木に登り、代わりに素敵なものをみつけます。小学校低学年向き。

2012年2月10日金曜日

みどりいろのバス












「みどりいろのバス」(ジョン・シャロン/作 こだまともこ/訳 ほるぷ出版 1979)

緑色のバスは、もう年をとってくたびれていたので、あまりはたらくことはできませんでした。運転手の府レッドさんと車掌のチャールズさんは、森のなかに緑色のバスを捨ててしまいました。でも、しばらくすると、ジェーンとスティーブンという2人の子どもがやってきて、緑色のバスをみつけました。「やあ、これは素敵なうちになりそうだよ」と、2人は座席をベッドにつくり変えたり、窓にきれいなカーテンをかけたりしました。

ある日、背の高い男がやってきて、「わしの森にバスをとめるとはけしからんぞ」と、2人は追い出されてしまいます。緑色のバスをどうやってうごかそうかと思っていると、ちょうど垣根のむこうから、おじいさん馬がひょっこり顔をだし、「わたしでよかったら手伝ってあげるよ」といってくれます。そこで、馬がバスを引き、みんなそろって出発します。

絵は、線画に水彩で着色した、柔らかい印象のもの。このあと、緑色のバスとその一行は、火事の市役所から市長さんを助けたり、楽団を乗せて走ったり、坂道をものすごいスピードで走って海に落ちたりします。さまざまな出来事はどこまでも楽天的で、読んでいると自分も緑色のバスと一緒に旅をしているような気分になります。小学校低学年向き。

2012年2月9日木曜日

ネコ横丁












「ネコ横丁」(イブ・スパン・オルセン/作 木村由利子/訳 文化出版局 1980)

ラウラとラッセは、大きなマンションに引っ越してきました。窓からは、ネコのいる横丁がみえました。中庭に降りてみると、いつのまにか、ラッセがいなくなっていました。「大変、さがさなくちゃ」と、ラウラはネコ横丁にむかいました。

ラウラが横丁の家具屋を訪ねると、女の子がいて、寝ているひとがひとりでに服が着られる、ヘンテコなベッドの説明をはじめます。つぎに靴屋にいってみると、子どもたちが大きなブーツをはいて、壁や天井を歩いています。ラウラはラッセを追って、横丁の奥に進んでいきます。

「つきのぼうや」などで高名な、オルセンの絵本です。このあと、ラウラは地下の仕事場にいき、船長の家にいき、馬小屋を通って、カウボーイたちが疾駆する大平原にいき…と、不思議な横丁めぐりはまだまだ続きます。ネコがたくさんいる、ゴチャゴチャとえがかれた横丁が魅力的な一冊です。小学校中学年向き。

2012年2月8日水曜日

たいようとつきはなぜそらにあるの












「たいようとつきはなぜそらにあるの」(エルフィンストーン・ディレル/文 ブレア・レント/絵 きしのじゅんこ/訳 ほるぷ出版 1978)

昔、太陽と水はとても仲良しで、どちらも地面の上に住んでいました。2人のうち、訪ねていくのはいつも太陽のほうで、どういうわけか水は一度も太陽のうちにきたことがありませんでした。ある日、太陽がそのわけをたずねると、水はこうこたえました。「わたしのうちは家族がとても多いのです。みんなを連れていったら、あなたははみだしてしまいますよ」

太陽は奥さんの月と一緒に、大きなうちを建てて、水とその家族を招待します。水の先頭のひとりが、入っても大丈夫かとたずねるので、太陽が、「もちろんですとも、さあどうぞ」とこたえると、水は、魚や海の生きものを引きつれて、家のなかへ流れこんで──。

アフリカの民話をもとにした絵本です。えがかれた絵や風俗は、アフリカ的ではあっても、一種族、一国家のものをモデルにしたものではないと、巻末に断りが記されています。このあと、水と生きものたちは、どんどん家に入ってきて、太陽と月は屋根にのぼるはめになってしまい…とお話は続きます。太陽、月、水といった登場人物たちが、いかにもアフリカ風なイメージでえがかれているのが印象的な一冊です。1969年度コールデコット賞受賞作。小学校低学年向き。

2012年2月7日火曜日

ねずみの王女

「ねずみの王女」(斎藤君子/文 二俣英五郎/絵 ほるぷ出版 1992)

昔、じいさまには3人の息子がいました。上の2人の息子は利口だったので、じいさまはたいそう可愛がり、なんでもいうとおりにしていました。ところが、末の息子はできが悪かったので、じいさまはぼろばかり着せていました。ある日、大きくなった3人は、嫁をみつけにいくことになりました。じいさまは、上の2人には立派な服と立派な馬をやり、末の息子にはなにもやりませんでした。

足の向くままに歩いていった末の息子は、森の中で一軒の小屋をみつけます。なかには一匹のネズミがいて、「旅のおかた、どちらへおいでですか」と、可愛らしい声で訊いてきます。嫁をさがしにいくところだと、末の息子がこたえると、「わたしを、あなたのお嫁さんにしてください」とネズミがいいます──。

ロシアとフィンランドの境、カレリアという土地の昔話をもとにした絵本です。あとがきによれば、カレリアは叙事詩「カレワラ」を生んだ土地だということです。このあと、おじいさんは、嫁が焼いたパンが食べたいと、うちに帰った息子たちにいいます。さっそく、兄たちは花嫁たちのところにでかけますが、ネズミにパンが焼けるはずがないと、末の息子は困ってしまいます。ですが、ネズミはじつは、魔法使いに姿を変えられた美しい娘で、末の息子が眠ると、仲間のネズミたちを指図して、美味しいパンを焼き上げます。最後、花嫁がネズミの馬車に乗っておじいさんを訪ねにいく場面では、大スペクタクルが展開します。小学校中学年向き。

2012年2月6日月曜日

365まいにちペンギン












「365まいにちペンギン」(ジャン=リュック・フロマンタル/文 ジョエル・ジョリヴェ/絵 石津ちひろ/訳 ブロンズ新社 2006)

1月1日、宅急便のお兄さんが箱を届けにきました。なかに入っていたのはペンギンでした。でも、差出人の名前はどこにもありません。すると、お姉ちゃんのアンディーヌが手紙をみつけました。「ぼくはペンギン1号。おなかがすいたらなにか食べさせてね」

翌日も、その翌日もペンギンは届けられます。一週間後、ペンギンは7羽に。みんなで名前をつけていると、ママがぴしゃり、「わざわざ名前なんてつけることないわ。だっていつまでもうちにいるわけじゃないもの」。ですが、ペンギンは毎日増え続け、とうとう1月の終わりには31羽に──。

毎日毎日、ペンギンが増え続けていくという絵本です。絵は、グラフィカルかつユーモラスなもの。かぞえると、ちゃんとペンギンの数があっているのがうれしいところです。このあとも、ペンギンはどんどん増え続け、パパはペンギンの食費の計算をしたり、ペンギンの整頓のしかたを考案します。そして、家中がペンギンだらけになったとき、送り主があらわれます。ちょっとした算数もある、ユーモラスな絵本です。小学校中学年向き。

2012年2月3日金曜日

魔術師の弟子











「魔術師の弟子」(バーバラ・ヘイズン/文 トミー・ウンゲラー/絵 たむらりゅういち/訳 あそうくみ/訳 評論社 1977)

ずっと昔、なんでも知っている魔術師がいました。王子をネズミに変えることも、小石を黄金に変えることも自由自在でした。ライン川を見下ろす城に住み、地下室の研究所にあるカギのかかった本棚に、「魔術用語および呪文大全」という大事な本をしまっていました。研究室の真ん中には水槽があり、これを毎日いっぱいにするのは弟子のフンボルトの仕事でした。フンボルトは、魔術師が雑用ばかりいいつけるのに、うんざりしていました。

さて、魔術師はある日、会議に出席するため城を留守にします。本棚のカギが置き忘れられているのをみつけたフンボルトは、「魔術用語および呪文大全」をとりだし、ほうきの魔術をつかってみます。すると、ほうきはバケツをもち、ライン川から水をくんできます――。

「魔法使いの弟子」の物語をもとにした絵本です。ウンゲラーの絵は、黒と赤と緑を多用した、おどろおどろしくも愛嬌のあるもの。このあと、ほうきは水槽の水をいっぱいにし、それでも水くみをやめなくて…と物語は続きます。小学校中学年向き

2012年2月2日木曜日

ぞうのオリバー












「ぞうのオリバー」(シド・ホフ/作 三原泉/訳 偕成社 2007)

サーカス団に入るために、たくさんのゾウが船に乗ってやってきました。港に着き、サーカス団の団長さんが、船から降りてくるゾウの数をかぞえると、注文したより1頭多い、11頭目のゾウがあらわれました。11頭目のゾウはオリバーといいました。

11頭目のオリバーは、サーカス団にいれてもらえません。見知らぬ土地で、いくあてがなくなってしまったところ、親切なネズミに教わり、とりあえず動物園を訪ねます。「ぼくをここに置いてもらえませんか」と、オリバーは園長さんにたずねるのですが、もうゾウはいるもんでねと断られてしまいます。

「ナガナガくん」「きょうりゅうくんとさんぽ」などで高名なシド・ホフによる絵本です。ユーモアのある明朗な語り口は、この作品でもよく発揮されています。このあと、オリバーは、「ぼくをペットにしたいひといませんかぁ」と、道を歩いてゆき、イヌの真似をしたり、馬の真似をしたりするのですが、いまひとつうまくいきません。ですが、子どもたちと出会って遊んでいるうちに、風向きが変わってきます。小学校低学年向き。

2012年2月1日水曜日

たったひとつのねがいごと












「たったひとつのねがいごと」(バーバラ・マクリントック/作 福本友美子/訳 ほるぷ出版 2011)

お母さんがカゼをひいて寝こんでしまったので、モリーはマントをはおり、帽子をかぶって、晩ごはんの魚を買いにでかけました。すると、知らないおばあさんに声をかけられました。「今夜、あなたのお皿の魚から、骨が1本みつかります。それは、魔法の骨ですから、大事にとっておきなさい。あなたのお願いをどんなことでもひとつだけかなえてくれます」

見知らぬおばあさんがいったとおり、その晩モリーが魚をすっかり食べてしまうと、白い骨が1本あらわれます。弟たちや妹たちは、モリーがなにをお願いするのか知りたくてたまりません。そのうち、弟たちや妹たちは、ぐったりしているウサギを治してほしいとか、お母さんが大事にしている器を割ってしまったので、もとにもどしてほしいとかいってくるのですが──。

作者は、「ないしょのおともだち」などを描いたひと。カバー袖の文章によれば、この作品はディケンズのお話にヒントを得てつくられたそうです。そのせいか、舞台はヴィクトリア朝のロンドンをほうふつとさせます。登場人物はすべて擬人化され、モリーたちは可愛らしいネコの姿をしています。さて、お話ですが、ぐったりしているウサギは赤ちゃんが生まれそうだったからですし、割れた器は、モリーがかけらをつなぎあわせて直します。ですが、一番下の妹のフィリスが、魔法の骨をさがしにいったきりもどってこなくなってしまって…とお話は続きます。精緻にえがかれた絵が、大変見応えのある1冊です。小学校中学年向き。