2012年6月29日金曜日

ぼくにげちゃうよ










「ぼくにげちゃうよ」(マーガレット・W・ブラウン/文 クレメント・ハード/絵 いわたみみ/訳 ほるぷ出版 1978)

あるところに、子ウサギがいました。ある日、子ウサギは家をでて、どこかにいってみたくなりました。そこで、母さんウサギにいいました。「ぼくにげちゃうよ」。すると、母さんウサギはいいました。「おまえが逃げたら、母さんは追いかけますよ。だって、おまえはとっても可愛い、わたしの坊やだもの」

「ぼくは小川の魚になって泳いでいっちゃうよ」と子ウサギがいうと、「母さんは漁師になって、おまえを釣り上げますよ」と、母さんウサギがいいます。「母さんよりもずっと背の高い山の上の岩になる」と、子ウサギがいうと、「母さんは登山家になっっておまえのところまで登っていきますよ」と、母さんウサギはいいます──。

作者は、「おやすみなさいおつきさま」を手がけたひとたち。白黒とカラーが交互にくる構成で、白黒ページでは、子ウサギと母ウサギの会話が記され、カラーページでは、その会話にもとづいた絵が見開きでえがかれます。「漁師になっておまえを釣り上げますよ」の場面では、次のカラーページに、長ぐつをはいて川に入り、子ウサギの鼻先にむけてニンジンをキャスティングする母さんウサギがえがかれています。どんどん変身を続ける子ウサギと母さんウサギのやりとりは、大変ユーモラス。今後とも読まれ続けていくであろう傑作絵本です。幼児向き。

2012年6月28日木曜日

みんなうんち










「みんなうんち」(五味太郎/作 福音館書店 1981)

〈おおきい ぞうは
  おおきい うんち

 ちいさい ねずみは
  ちいさい うんち

 ひとこぶ らくだは
  ひとこぶ うんち

 ふたこぶ らくだは
  ふたこぶ うんち

 これは
  うそ!〉

タイトル通りの絵本です。魚も鳥も虫もみんなうんち。いろんな形、いろんな色、いろんな匂い。歩きながら、止まりながら。いろんなところで、決めたところでうんちをします。決めたところでうんちする場面では、タヌキとともに人間がえがかれているところがユーモラス。みごとにうんちひと筋の一冊です。初版は1981年。手元の2011年版は89刷。まさにロングセラーといえるでしょう。小学校低学年向き。

2012年6月27日水曜日

もしゃもしゃちゃん








「もしゃもしゃちゃん」(マレーク・ベロニカ/作 みやこうせい/訳 福音館書店 2005)

もしゃもしゃちゃんは、本当はマリカといいました。でも、髪をとかさず、歯も磨かず、お風呂にも入らないマリカのことを、みんなはもしゃもしゃちゃんと呼んでいました。ある日、みんなで仮装パーティーをすることになり、なりたいものの絵を描くことになりました。もしゃもしゃちゃんが妖精の絵を描くと、みんなは大笑いしました。「きみが妖精? 髪の毛がもしゃもしゃのくせに!」

悲しくなって、森へでかけたもしゃもしゃちゃんは、折れた木をハンカチで結んでやり、水に落ちたテントウムシを助けてやり、巣から落ちたヒナを巣にもどしてやります。それから、草の上に寝ころんで泣いていると、ハリネズミのミシュレがやってきて、もしゃもしゃちゃんを仲間のところに連れていき──。

「ラチとライオン」で名高い、マーク・ベロニカによる絵本です。絵は、デザイン性の高いシンプルで可愛らしいもの。さて、このあと、ハリネズミたちはもしゃもしゃちゃんをなぐさめようとするのですが、うまくいきません。そこで、ミシュレはほかの子たちに会いにいき、子どもたちの書いた手紙をもしゃもしゃちゃんに届けます。前半の伏線が、後半の仮装の場面で見事に生かされています。小学校低学年向き。

2012年6月26日火曜日

ボルカ











「ボルカ」(ジョン・バーニンガム/作 きじまはじめ/訳 ほるぷ出版 1993)

昔むかし、ポッテリピョンという名前の、夫婦のガチョウがいました。春になると、イギリスに東海岸の荒れ果てた沼地にもどってきて、巣を手入れし、タマゴを生みました。ある晴れた春の日、6羽のヒナがかえりました。そのうちの1羽、ボルカには、羽がまるで生えていませんでした。

心配になったポッテリピョン夫婦は、小さな革カバンをもったお医者さんガチョウを呼んできます。でも、羽がないというほか、ボルカにはどこも悪いところはありません。お医者さんガチョウにすすめられ、お母さんはボルカのために、羽に似た灰色の編みものを編んでやります。

「ガンビーさんのふなあそび」「ひみつだから!」などで名高い、ジョン・バーニンガムによる絵本です。本書は、バーニンガムの処女作。羽のないガチョウのボルカが、自分の居場所をみつけるというお話です。さて、ほかのヒナが飛んだり泳いだりできるようになっても、ボルカはそれらのことができません。秋がきて、仲間たちが暖かい場所めざして旅立つと、ボルカはひとりぼっちになってしまいます。とにかく乾いたところをみつけようと、入り江にいる船に乗りこんだボルカは、そこでイヌのファウラーや、マッカリスター船長と出会ってロンドンにいくことになり…。1964年度ケイト・グリーナウェイ賞受賞。小学校中学年向き。

三びきのこぶた











「三びきのこぶた」(瀬田貞二/訳 山田三郎/絵 福音館書店 1967)

昔、あるところにお母さんブタと3匹の子ブタがいました。お母さんブタは貧乏で、子どもたちを育てきれなくなり、自分で暮らしていくように3匹をよそへだしました。最初にでかけた子ブタは、わら束をかついだひとに出会いました。「どうかそのわら束をくださいな。家を建てるんですから」。子ブタはわらの家を建てました。すると、まもなくオオカミがやってきました。

オオカミは、子ブタがなかに入れてくれないというので、「ふうふうのふうで、この家吹き飛ばしちまうぞ」といって、家を吹き飛ばし、子ブタを食べてしまいます。2番目の子ぶたは、木の枝で家を建てるのですが、やっぱりオオカミに食べられてしまいます。そこで、3番目の子ブタはレンガで家を建て──。

ご存知、イギリスの昔話「3匹の子ブタ」をもとにした絵本です。文章はタテ書き。このあと、レンガの家が吹き飛ばせないので、オオカミは「あした6時にカブをとりにいこう」と、子ブタを誘います。そこで、子ブタは5時に起き、ひと足先にカブをとってしまい…とお話は続きます。お話会などでよく使われる、すでに定評のある一冊です。小学校低学年向き。

2012年6月22日金曜日

海賊日誌











「海賊日誌」(リチャード・プラット/文 クリス・リデル/絵 長友恵子/訳 岩波書店 2003)

1716年9月23日、10歳のジェイク・カーペンターは、ノースカロライナ州のホリオークという村から、船乗りになるために、チャールストンの港にいくことになりました。医者をしているジェイクの父さんは、息子が医者になる前に広く世間を知るべきだと考えて、甲板員をしている弟のウィル(ウィルおじさん)に、ジェイクを預けることにしたのでした。

さて、9月25日火曜日、いざチャールストンに着いてみると、乗るはずだったサリー・アン号の姿がみえません。ウィルおじさんが港湾長にたずねたところ、思ったより早く積み荷があつまったサリー・アン号は、夕潮に乗って出帆してしまったということです。そこで、2人は乗組員をさがしているグレイハウンド号に乗りこむことになり──。

歴史絵本、あるいは知識絵本の一冊です。絵は、非常に具体的かつ説明的。巻末には、時代の説明や、海賊についての解説、索引や参考文献が記されています。物語は波瀾万丈。2人が乗りこんだグレイハウンド号のニック船長は残酷なひとで、へまをしたジェイクを部下に命じてムチ打たせようとします。「やめてくれ」と頼んだウィルおじさんは、ジェイクの代わりにムチ打たれ、ボートに乗せられ海に放りだされてしまいます。その後、グレイハウンド号は海賊の襲撃をうけ乗っとられ、海賊のヘンリー・ジェニングスとともにスペイン人の野営地を襲うことになり…と、リアリティのある興味深いストーリーがまだまだ続きます。本書の姉妹編に「中世の城日誌」(2003)があります。ケイト・グリーナウェイ賞受賞。小学校高学年向き。

2012年6月21日木曜日

すばらしい季節










「すばらしい季節」(ターシャ・チューダー/作 末盛千枝子/訳 すえもりブックス 2000)

農場に住んでいるサリーは、冬から春へ、夏から秋へ季節が変わっていくとき、自分のからっだ全部をつかって、それをたしかめます。ある日、小さなクロッカスの花をみつけたら、もう春です。小鳥の歌が聞こえ、小川の流れる音が聞こえ、池からはカエルの声が聞こえます。水仙の花と黒い土からは春の匂いがします。小さな子ネコを抱っこするのは、春の楽しみです──。

アメリカ、ヴァーモンド州での豊かな農場生活で名高いターシャ・チューダーによる絵本です。作者は、季節の移り変わりが五感にもたらす喜びを、主人公のサリーを通して、次つぎと教えてくれます。野バラは夏の匂い、ドングリをあつめるのは秋の楽しみ、冬には冷たい空気の匂いとたきぎの燃える匂い…。絵は水彩。サリーの小さな女の子らしいしぐさが、よくえがかれています。小学校高学年向き。

2012年6月20日水曜日

きつねとねずみ










「きつねとねずみ」(ビアンキ/作 山田三郎/絵 内田莉莎子/訳 福音館書店 1979)

キツネがネズミのところにやってきます。
「おい、ネズミ。ネズミ。鼻がどろんこ。どうしたんだい?」
「「地面を掘ったのさ」
「なんだって地面を掘ったんだい?」
「巣穴をつくったのさ」
「なんだって巣穴をつくったんだい?」
「キツネさん。あんたから隠れるためさ」

ネズミの一家が、キツネからうまく逃げ出すお話です。絵は、写実的で、かつ愛嬌のあるもの。キツネがあたりをものほしげにうかがいながら近づいてくる様子が、目にみえるようにえがかれています。タテ書きの文章は詩のよう。冒頭を引用してみましょう。

〈きつねの
 だんなが、
 やってきた。

 じろ。

 じろ。

 じろ。

 なにか
 いいこと
 ないかなあ。〉

お話会などでもよくつかわれる、もはや古典となった定番絵本の一冊です。小学校低学年向き。

2012年6月19日火曜日

あしたうちにねこがくるの











「あしたうちにねこがくるの」(石津ちひろ/文 ささめやゆき/絵 講談社 2000)

ママのお友だちが、あしたうちにネコを連れてきてくれることになりました。いったい、どんなネコがくるのでしょう。ライオンみたいに大きなネコだったら? 怪獣みたいに乱暴なネコだったら? もしも、わたしのおやつを盗んでばかりのネコだったら──。

ネコを飼うことになり、どんなネコがくるのかと、女の子が想像をたくましくするという絵本です。絵は、親しみやすい水彩。このあと、「もしも、まねき猫みたいにうごかなかったら」とか、「もしも、カメレオンみたいにからだの色が変わるネコだったら」とか、女の子の想像はとどまることを知りません。もちろん、最後にはかわいい子ネコがやってきます。小学校低学年向き。

2012年6月18日月曜日

ぺにろいやるのおにたいじ











「ぺにろいやるのおにたいじ」(ジョーダン/文 吉田甲子太郎/訳 山中春雄/絵 福音館書店 2009)

山の上に、王様の城がありました。谷の真ん中に鬼の城がありました。鬼は、王様の城にいくひとたちを、いつもおどかしていました。そこで、「ぼくがやっつけてやろう」と、王子のロジャーは黒馬のハリケーンに乗って、勇ましくでかけました。

でも、ロジャーとハリケーンは手もなく鬼につまみ上げられ、放りだされてしまいます。小さくなって逃げ帰った王子と馬は、もとの大きさにもどるまでに2日も3日もかかってしまいます。王子は今度は兵隊と大砲をしたがえて、鬼の城にでかけるのですが、それでも鬼にはかないません。つぎは鬼が攻めてくると、みんな地下室に逃げこみます。すると、いつもみんなからお人好しの意気地なしと思われていた、ぺにろいやるが、「ぼくが鬼のところへいって、どこかに引っ越してもらうように頼んでこよう」と、石けり玉と凧とタイコをもって、鬼のところへでかけていきます──。

1957年に月刊「こどものとも」に発表され、2009年に絵本となった作品です。絵は、パステルカラーが美しい、童画めいたもの。このあと、ぺにろいやるは鬼の城におもむくのですが、剣や大砲ではなく、おもちゃをもっているぺにろいやるを、鬼は邪険にすることができません。お面をはずし、男の子の姿となった鬼は、ぺにろいやると一緒に遊びます。王子や馬の大きさが変わったり、お城がいつのまにかテントになったりと、状況に応じて姿かたちが変化する、いかにもメルヘンといった趣きの可愛らしい一冊です。小学校低学年向き。

2012年6月15日金曜日

ワニのライルがやってきた











「ワニのライルがやってきた」(バーナード・ウェーバー/作 小杉佐恵子/訳 大日本図書 1984)

プリムさんの一家は、東88番通りの家に引っ越してきました。家のなかでは、シュッ、シュッ、バシャン、バシャンという不思議な音が響いていました。「小さなカミナリが鳴っているだけよ」と、プリムさんの奥さんはみんなを安心させましたが、音のするお風呂場をのぞいてびっくりしてしまいました。「あなた、うちのお風呂のなかにワニがいるわ!」。プリムさんと奥さんがあわてていると、玄関に変てこな身なりの男のひとがやってきて、ジョシュア君に1通の手紙を渡しました。「これを読めば、あのワニのことがなにもかもわかるよ」

変てこな身なりをしたひとは、舞台と映画のスター、ヘクター・バレンティさん。ワニのライルは素晴らしい芸がたくさんできるので可愛がってやってくださいと、手紙に書いてありました。そのとおり、芸達者でとても気のきくライルを、プラムさんたちは喜んで家族の一員にするのですが──。

「ワニのライル」シリーズの1冊目です。カラーと白黒のページが交互にくる構成。絵は、サインペンでさっと書かれたような、生き生きとしたものです。このあと、公園で遊んだり、アイスクリームを食べたり、パレードに混ざったりして楽しく暮らしていたライルでしたが、ある日、バレンティさんがライルを引きとりにやってきます。バレンティさんと一緒に世界の舞台に立ったものの、プリムさんたちのことが忘れられず、ライルは悲しみに沈んでしまい…とお話は続きます。気だてのいいワニのライルが活躍する、楽しい読物絵本です。小学校低学年向き。

2012年6月14日木曜日

クリスマスのうさぎさん










「クリスマスのうさぎさん」(ウィル/作 ニコラス/作 わたなべしげお/訳 福音館書店 1985)

もうひとつ寝るとクリスマスです。デービーは夜になるのが待ちきれません。階段をのぼったり降りたりしていると、「長靴をはいて、雪のなかでも歩いてきたら」と、お母さんがいいました。そこで、デービーはコートを着て、手袋をはめ、長靴をはいて、リスにあげるナッツと小鳥にあげる種をポケットに入れ、ウサギたちにあげるサラダ菜をひとにぎりもって、表にでかけていきました。

小川のそばの切り株の上に動物たちの贈りものをひろげたデービーは、雪の上にウサギの足跡をみつけます。足跡をたどって森のなかに入っていくと、ワナかかったキツネに出会います。「このワナをはずしておくれ」と、キツネがいうのでデービーは驚きます。「キツネさん、お話ができるの」「できるとも。今夜はクリスマス・イブじゃないか」

「みつけたものとさわったもの」の作者による絵本です。カラーと白黒のページが交互にくる構成。絵は非常に伸びやかです。このあと、キツネを助けたデービーは、動物たちのパーティーに参加します。サンタもやってきて、みんなでごちそうを食べたり、遊んだりします。最後、クリスマスツリーのもとに、「みつけたものとさわったもの」の絵本が置かれているのはご愛敬でしょう。小学校低学年向き。

2012年6月13日水曜日

みつけたものとさわったもの











「みつけたものとさわったもの」(ウィル/作 ニコラス/作 晴海耕平/訳 童話館出版 1997)

ナップとウィンクルという2匹の犬が、庭で穴を掘っていました。2匹は休まず掘り続け、とうとう1本の骨をみつけました。「この骨はぼくのだよ。ぼくが最初にみつけたんだからね」とナップがいうと、「この骨はぼくのだよ。ぼくが最初にさわったんだから」とウィンクルはいいました。そこで、2匹は骨はどちらのものか、通りがかった農夫に訊いてみることにしました。

ちょうど荷車がぬかるみにはまりこんでしまった農夫は、ナップとウィンクルにこういいます。「荷車をぬかるみから引き出すのに手をかしてくれないか。そうしたら考えてあげるよ」。そこで、2匹は農夫を手伝って、荷車を引き出すのですが、すると農夫は「骨のことなど知ったことか」と、2匹の前に干し草を放りだしていってしまいます。そこへ、こんどはヤギがやってきたので、2匹はヤギに訊いてみることにするのですが──。

絵は、白、黒、赤、茶の4色で表現された版画風のもの。絵と同じように、お話も明快です。このあと、2匹は床屋と大きな犬にたずねるのですが、またもや骨折り損になってしまいます。ですが、最後、2匹は力をあわせます。絵もお話もよく整った、出来映えのよい一冊です。小学校低学年向き。

2012年6月12日火曜日

バオバブのきのうえで









「バオバブのきのうえで」(ジェリ・ババ・シソコ/語り みやこみな/再話 ラミン・ドロ/絵 福音館書店 2005)

昔、ジョレという村にひとりの赤ちゃんが生まれました。赤ちゃんが生まれて3ヶ月もたたないうちに、お父さんが亡くなり、5ヶ月たつとお母さんも亡くなってしまいました。そこで、ジョレの村のひとたちは、お父さんとお母さんが次つぎに死んだのは生まれてきた子どものせいだといって、男の子を遠い森に捨ててしまいました。

森に捨てられた男の子は、動物たちが乳を飲ませ、食べものを分けてくれたおかげで大きく育ち、木や虫や石の話すことばや、夜空の星の音楽がわかるようになります。でも、ある日、自分と動物はちがうことに気づいた男の子は、雨の季節がくると大きなバオバブ木に登り、歌をうたうようになります。男の子が歌をうたうと、大きな風が起こって、雨雲が吹き飛び、おかげでジョレには雨が降らなくなってしまいます──。

アフリカのマリの昔話をもとにした絵本です。巻末の作者紹介によれば、再話者のジェリ・ババ・シソコは、サハラ砂漠に近い北辺の村ニオロの生まれで、8歳から語り部であった父親に語りと四弦ンゴニの弾きかたを仕込まれたといいます。また、絵を描いたラミン・ドロは、ドゴン族の祭司の家に生まれ、高校の美術教師のかたわら、マリ国会議事堂の壁画なども制作したひとだということです。絵は非常に雰囲気のある線画。このあと、男の子の歌のために雨が降らなくなったことを知った村人たちは、バオバブの木の上に登った男の子をむかえにいきます。簡潔な語り口が印象深い、昔話絵本です。小学校低学年向き。

2012年6月11日月曜日

くだもの











「くだもの」(平山和子/作 福音館書店 1981)

赤ちゃん絵本の代表作です。ページを開くと、まず、まるごとのスイカがあらわれます。次のページを開くと、切って、フォークがそえられ、お皿にのせられたスイカがあり、「さあ、どうぞ」。次はモモ、その次はブドウ、その次はナシと続きます。

絵は、水彩でえがかれた、大変写実的なもの。ただ写実的なだけではなく、思わずつばを飲みこんでしまうような、味覚を刺激せずにはおかない素晴らしい絵です。そのあまりの出来映えには、大人も絵に近づいて見てしまうほど。また、果物の名前が書かれたフォントと、「さあ、どうぞ」と書かれたフォントは使い分けられていて、2つのことばの意味のちがい(「モモ」は読者全員に向けられたことば、「さあ、どうぞ」はほかならぬ自分に向けられたことば)をあらわしています。

さて、この絵本の具体的な使い方については、「絵本が目をさますとき」(福音館書店 2010)という本のなかで、長谷川摂子さんが懇切丁寧に書いています。

〈まるごとのすいかの場面、私は必ず「切って食べようね」と話かけながらページをめくる。あかちゃんは「うん」とうなずく。めくると、ちゃんと切られた、水もしたたる赤いすいかが皿にのっている。「さあ、どうぞ」とすすめれば、たいていのあかちゃんは手を出すし、もし戸惑うようだったら、お母さんがまず手を出して食べるまねをして「ああ、おいしい、おいしい」って言ってあげればきっとだいじょうぶ〉

長谷川摂子さんによる本書の使用法は、まだまだ続きます。幼児向き。

2012年6月8日金曜日

なみだでくずれた万里の長城








「なみだでくずれた万里の長城」(唐亜明/文 蔡皋/絵 岩波書店 2012)

昔、人里はなれた小さな村に、孟(もう)さんと姜(きょう)さんが、となり同士で住んでいました。2人の家には子どもがありませんでした。ある年の春、孟さんの家の軒下にツバメが巣をつくったので、2人はそのツバメをとても可愛がりました。すると、2羽のツバメは翌春もやってきて、孟さんの手のひらに、ひょうたんの種をひと粒落としました。孟さんがその種を庭に埋めると、つるはどんどん伸び、姜さんの庭まで届きました。つるは、姜さんがつくった棚に青あおとした葉っぱを茂らせましたが、ひょうたんはたったひとつしか実りませんでした。いつしか、ひょうたんは驚くほど大きくなり、2人が半分に分けようとしたところ、なかから女の子の赤ちゃんがあらわれました。そこで2人は、この赤ちゃんを、孟姜女――孟と姜の娘――と名づけ、大事に育てました。

さて、歳月がたち、美しい娘に成長した孟姜女の前に、あるとき万喜良(ばんきりょう)という若者があらわれます。万喜良は、万里の長城をつくるための人手として、役人に連れていかれそうになったところを逃げてきたのです。孟さんと姜さんは、万喜良をかくまうことにし、万喜良と孟姜女は仲良くなります。ところが、2人の結婚式の晩、役人がやってきて、万喜良連れ去られてしまいます――。

孟姜女伝説に材をとった絵本です。絵は、味わい深い水彩。このあと、何年も帰ってこない夫を探しに、孟姜女は万里の長城へと旅立ちます。途中、大きな川やけわしい山は、孟姜女のために道をつくってくれます。孟姜女はどこまでもどこまでも歩いて、ついに長城にたどり着くのですが…。悲しい伝説を品格のある絵でえがいた、美しい絵本です。小学校中学年向き。

2012年6月7日木曜日

漂流物









「漂流物」(デイヴィッド・ウィーズナー/作 BL出版 2007)

「レッドブック」「ちいさな天使と兵隊さん」同様、文章のない、サイレントによるマンガ形式の絵本です。海岸に打ち上げられたカメラを、遊びにきていた男の子がみつけます。カメラにはフィルムが入っていて、お店にいって現像してみると、海の世界の驚くべき光景が写し出されています。さらに、東洋人の女の子の写真があり、女の子が手にもっている写真をよくみると、その写真のなかで男の子が写真を手にしています。その写真には、また写真を手にした男の子がいます。虫メガネでは倍率が足りなくなり、顕微鏡でのぞいてみると――。

ウィーズナーは、非常に写実的な絵で、奇妙なできごとをえがく名手です。本書でも、ウィーズナーの画力はいかんなく発揮されています。不思議なカメラがとらえた写真には、機械仕掛けの魚が泳いでいたり、タコの一家がソファでくつろいでいたり、ハリセンボンの気球に乗って、魚たちが空を富んでいたりします。ラスト、カメラはまた海に帰るのですが、その後のカメラの旅には、北斎を模した絵があったりします。精妙な画力でえがかれた、遊び心あふれる一冊です。2007年度コールデコット賞受賞。小学校中学年向き。

なお、ウィーズナーはこのときが3度目の受賞です。1度目は「かようびのよる」(徳間書店 2000)、2度目は「3びきのぶたたち」(BL出版 2002)です。

2012年6月6日水曜日

たからもの










「たからもの」(ユリ・シュルヴィッツ/作 安藤紀子/訳 偕成社 2006)

昔、アイザックという男がいました。たいそう貧しく、お腹をすかせたまま床につくこともめずらしくありませんでした。ある晩、アイザックは夢をみました。「都へゆき、宮殿の橋の下で宝物を探しなさい」。朝、目をさましたアイザックは、「あれはただの夢だ」と思って、気にもとめませんでした。

しかし、それから2度も同じ夢をみたアイザックは、「もしかしたらほんとうかもしれない」と、都にむかって旅立つことにします。

シュルビッツは、「おとうさんのちず」「よあけ」などで高名な絵本作家。本書でも、複雑な色あいの、美しい水彩画をえがいています。文章はいささかぶっきらぼうなもの。レイアウトは、左ページがほぼ空白で文章だけ、右ページに絵を小さめに載せています。このあと、アイザックは森を抜け、山をこえ、とうとう都にたどり着きます。宮殿の橋の下にはいつも何人もの衛兵がいるのですが、しいて宝物をさがそうとしないアイザックは、ただ橋のあたりを歩きまわって…。おそらく、お話はなにかの昔話だと思われます。1980年度コールデコット賞オナー賞受賞。小学校低学年向き。

2012年6月5日火曜日

わたしのきもちをきいて 家出









「わたしのきもちをきいて1 家出」(ガブリエル・バンサン/作 もりひさし/訳 BL出版 1998)

女の子は、「この家をでていこう」と思います。紙とペン、糸と針、貯金箱をバックに入れて、町を抜け、森をめざします。荒れた道を歩きながら、女の子は自問します。どうして、わたしの話を聞こうとしないの。ママもパパもいままでなにも気づいていなかったのかしら。いつしか、森のなかの水辺にたどり着いた女の子はこう思います。「ママとパパに、わたしの話たいことみんな書こう」──。

「アンジュール」「おてがみです」などで名高い、ガブリエル・バンサンによる絵本です。絵は淡彩。文章は女の子による〈わたし〉の1人称。大きな景色のなかをゆく女の子の小さな姿が、その心情をよくあらわしています。このあと、女の子は森のなかで迷子になってしまうのですが…とお話は続きます。続編の「わたしのきもちをきいて2 手紙」では、パパとママに渡す手紙を書くために、女の子は手紙を書く場所をさがして広いお屋敷の庭に入りこみます。大人向き。

真昼の夢










「真昼の夢」(セーラ・L.トムソン/文 ロブ・ゴンサルヴェス/絵 金原瑞人/訳 ほるぷ出版 2006)

だまし絵絵本の一冊です。画材は油絵でしょうか。子どもたちが水面に映る木の枝をよじ登り、家はいつのまにか木の上にあって、建築中のツリーハウスとなる…といった不思議な空間が表現されています。積み木は摩天楼になり、ブランコは木の上をこいています。

だまし絵といえば、エッシャーのものが有名ですが、本書の絵はより具象的です。絵には、それぞれ詩のような文章がつけられています。表紙になっている、巨大な(にみえる)砂のお城にはこんな文章が。

〈ある日、砂のお城が
 くずれない。
 どんな波にも
 くずせない。〉

同じ作者たちの絵本に、「どこでもない場所」(2010)「終わらない夜」(2005)があります。小学校中学年向き。

2012年6月1日金曜日

光の旅かげの旅










「光の旅かげの旅」(アン・ジョナス/作 内海まお/訳 評論社 1984)

だまし絵絵本の1冊です。白と黒の2色でえがかれ、まず明けがた、家を出発するところからはじまります。ひと通りのない町なかをゆき、谷間の小さな農場をすぎ、麦畑を抜け、高速道路に乗って海へ。海岸を走って、大きな街へたどり着きます。

さて、最後まで読んでから、本をさかさまにしてページをめくると、別の物語が浮かび上がります。今度は帰り道となり、わが家にもどるまでがえがかれます。1枚の絵が2つの意味をもち、しかもそれがつながってひとつの物語になるという、大変凝った趣向の一冊になっています。小学校中学年向き。