2011年3月31日木曜日

じぶんだけのいろ











「じぶんだけのいろ」(レオ=レオニ/作 谷川俊太郎/訳 好学社 1978)

オウムは緑、金魚は赤、ゾウは灰色、ブタは桃色、動物たちにはそれぞれ自分の色があります。でも、カメレオンだけは別。いく先ざきで色が変わります。ある日、自分だけの色をほしいと思っていた一匹のカメレオンがいいました。「もし、ずうっと葉っぱの上で暮らしたら、いつまでも緑色。ぼくも自分の色がもてるってわけだ」

カメレオンは一番緑色の葉っぱによじ登ります。でも、秋になると葉っぱは黄色になり、秋が深まると赤になり、冬がくると葉っぱもカメレオンも吹きとばされてしまいます──。

自分の色をもちたいと思ったカメレオンのお話です。レオ=レオニの絵本は非常にシンプルですが、テーマをみごとに表現しています。また、自分の色をもちたいと思ったカメレオンの解決法は大変ユニークです。「ごちゃまぜカメレオン」「ストライプ」(デヴィッド・シャノン/作 清水奈緒子/訳 セーラー出版 1999)とも、その解決法はちがっています。小学校低学年向き。

ごちゃまぜカメレオン












「ごちゃまぜカメレオン」(エリック・カール/作 やぎたよしこ/訳 ほるぷ出版 1978)

緑色の葉っぱに、小さな緑色のカメレオンがいました。カメレオンは、茶色の枝にうつると茶色っぽい色になり、赤い花の上で休んでいるときは、赤っぽい色になりました。ある日、カメレオンが丘の上にのぼって下を見下ろすと、そこには動物園がありました。美しい動物たちをこんなにたくさんみたのは、生まれてはじめてでした。

自分がちっぽけで、のろまで、弱虫だと感じるカメレオンは、ホッキョクグマのようになりたいと思います。すると、カメレオンのからだは、ホッキョクグマのように大きく白くなります。それから、フラミンゴみたいになれたらいいなあと思うと、からだからピンクの翼と長い脚が生えてきます。キツネみたいに、魚みたいに、シカみたいに、キリンみたいに、カメみたいに、ゾウみたいに、人間みたいになりたいと思ったカメレオンは、だんだんわけのわからない生きものになっていきますが、そこに一匹のハエがあらわれて──。

名高い絵本作家、エリック・カールの代表作の一冊です。さまざまな動物たちの特徴がどんどん足されていくさまが、ユーモラスにえがかれています。「この絵本は、何百人もの作家(子ども)たちが協力してつくりあげたのです」と、エリック・カールはいっていますが、子どもたちはカメレオンがごちゃまぜになっていくたびに、歓声をあげたのではないかと思います。似た絵本に、「ストライプ」(デヴィッド・シャノン/作 清水奈緒子/訳 セーラー出版 1999)や「じぶんだけのいろ」(レオ=レオニ/作 谷川俊太郎/訳 好学社 1978)がありますので、読みくらべてみるのも面白いでしょう。小学校低学年向き。

2011年3月29日火曜日

クリスマスのおくりもの












「クリスマスのおくりもの」(ジョン・バーニンガム/作 長田弘/訳 ほるぷ出版 1993)

クリスマス・イブの夜、おじいさんサンタとトナカイたちは、やっとうちにもどってきました。トナカイたちをベッドに寝かしつけ、自分もベッドに入ろうとしたとき、おじいさんサンタは、贈りものがまだひとつ袋のなかに残っているのをみつけました。それは、ハービー・スラムヘンバーガーへの贈りものでした。

おじいさんサンタは、贈りものを届けるため、飛行機、自動車、バイク、スキー、それに登山家のロープをつたって、ハービー・スラムヘンバーガーの住む、ずっとずっと遠くはなれたロリーポリー山のてっぺんにむかいます。

おじいさんサンタが、出会ったひとたちに助けをもとめると、そのひとたちは気さくに手を貸してくれます。ですが、途中でトラブルが起こり、また別のひとに助けをもとめます。絵は、コラージュを効果的につかったもの。おじいさんサンタが、世界の果てのようなところで暮らしているのがよくわかります。ちゃんと、おじいさんサンタの帰り道について描かれているのも楽しいです。小学校低学年向き。

わたし












「わたし」(谷川俊太郎/文 長新太/絵 福音館書店 1992)

さまざまなひとからみた、〈わたし〉を考察した絵本です。

〈わたし
 おとこのこから みると
 おんなのこ

 あかちゃんから みると
 おねえちゃん

 おにいちゃんから みると
 いもうと

 おかあさんから みると
 むすめの みちこ

 おとうさんから みても
 むすめの みちこ〉

このあと、おばあちゃん、ケンイチ叔父さん、お医者さん、レントゲンと、考察はどんどん広がってきます。絵は長新太さん。お母さんとお父さんがでてくる場面では、お母さんが新聞を読み、お父さんが料理をしています。さまざまな〈わたし〉に迫った、洒落た味わいの一冊です。小学校低学年向き。

2011年3月25日金曜日

つきよ












「つきよ」(長新太/さく 教育画劇 1986)

うちに帰る途中、三日月が山の斜面を滑り降りるのをみたタヌキは、びっくり仰天して、お腹を両手でぎゅうっとつかんでしまいました。水音がしたので、森のなかの池にいってみると、そこに月が浮かんでいました。

池で、月は舟になったり、橋になったり、島になったり、ジョーズのように泳いだり、もぐったりと、さまざまなことをします──。

長新太さんが得意とする、ワン・シチュエーション絵本です。この絵本では、森のなかの池で遊ぶ三日月がえがかれます。タヌキがお腹を引っ張ったりして、一向に幻想的にならないところが長新太さんらしいところです。本文はタヌキの一人称で記されています。小学校低学年向き。

2011年3月24日木曜日

おばけのジョージー










「おばけのジョージー」(ロバート・ブライト/作 光吉夏弥/訳 福音館書店 1978)

ニューイングランドの小さな村にホイッティカーさんの家がありました。この小さな家の小さな屋根裏部屋に、ジョージーというおばけが住んでいました。ジョージーは、毎晩同じ時間に、階段をみしりといわせ、広間のドアをぎーといわせました。すると、ホイッティカーさんと奥さんには、もう寝る時間だとわかり、猫のハーマンにはネズミを探しまわる時間だとわかり、フクロウのオリバーには、目をさまして、ほーほーと鳴く時間だとわかりました。

ところが、ある日、ホイッティカーさんはふと思い立って、階段のゆるんだ板にクギを打ち、広間のドアの蝶番に油をさします。すると、階段はみしみしいわなくなり、ドアはぎーといわなくなるのですが、おかげでみんなは時間がわからなくなってしまいます。そして、ジョージーは、もっとおばけが住むのにふさわしい家を探しにでかけるのですが──。

巻末の文章によれば、本書は1944年、作者の娘と息子のために描かれたそうです。絵は、さっと描かれた描線が味わい深い、白黒のもの。このあと、ジョージーは村中でただ一軒おばけの住んでいない、クロームズさんの家にいくのですが、そこはとても気味の悪い家で…と、物語は進みます。怖がりのおばけが可愛らしい1冊です。なお、「おばけのジョージー」シリーズは、絵本ではなく読物として、何冊か徳間書店から出版されています。小学校低学年向き。

2011年3月23日水曜日

とこちゃんはどこ














「とこちゃんはどこ」(松岡享子/作 加古里子/絵 福音館書店 1970)

とこちゃんは、おばあちゃんからもらった赤い帽子が気に入って、どこへいくときもかぶっていきます。ある日、とこちゃんはお母さんと一緒に市場にいきました。お母さんが、ばったり会ったお友だちとおしゃべりしていると、とこちゃんはとことこ駆けだして、どこかにいってしまいました。一体どこへいってしまったのでしょう──。

見開きいっぱいに描かれたひとごみのなかから、とこちゃんをさがしだす──という絵本です。「ミッケ」「ウォーリーをさがせ」に似た絵本だといえばわかりやすいでしょうか。ただ、本書のほうは多少お話があります。また、先の2作よりは簡単です。見開きの場面は、大勢のひとたちがいきいきとえがかれていて、見所がたくさんあります。「ミッケ」がまだむつかしい子も、「とこちゃん」なら楽しめるかもしれません。小学校低学年向き。

2011年3月22日火曜日

まつぼっくりのぼうけん












「まつぼっくりのぼうけん」(ブリギッテ・シジャンスキー/文 バーナデット・ワッツ/絵 松岡享子/訳 瑞雲舎 2008)

木も生えていない高い山の岩から、透きとおった水がしみだしていました。水は流れをつくり、小さな川となりました。やがて、川は松の木がたった1本生えているところにやってきました。5つのまつぼっくりたちは、枝の上から下を見下ろして、あの小川は踊りながらどこへいくのだろうと思いました。そのうちに、まつぼっくりたちは枝をはなれ、ポシャン!と流れる水のなかへ落ちました──。

まつぼっくりたちは、谷を下り、凍った川の上を転がり、滝を落ち、大きな都会を通りながら、それぞれ自分の居場所をみつけていきます。

5つのまつぼっくりの、川下りをえがいた絵本です。表紙の見返しは山のなか、裏表紙の見返しは海になっています。読み終えると、まつぼっくりたちと一緒に川のはじからはじまで旅をしたような気分になります。この絵本もまた、傑作絵本の一冊でしょう。小学校低学年向き。

2011年3月19日土曜日

あかりの花












「あかりの花」(肖甘牛(シャオカンニュウ)/採話 君島久子/再話 赤羽末吉/絵 福音館書店 1985)

昔むかし、ある村にトーリンという若者が住んでいました。トーリンは毎日山へいき、だんだん畑をつくっていました。ある夏の日、山ではたらいていると、トーリンの額からひと粒の汗がこぼれ落ちました。汗は地面を転がって、ぽとんと岩のくぼみに落ちました。すると、そこから緑の茎がすうっと伸びて、真っ白なユリの花が咲きました。ユリは風にゆられながら歌をうたい、この日からトーリンは山へいくのが楽しみになりました。

ところが、ある朝、トーリンが山へいってみると、ユリの花が踏み倒されていました。トーリンはユリの花を助けおこし、うちにもち帰ると、石臼のなかに植えて窓のそばに置きました。ユリの花は毎日美しい歌声を聞かせてくれました。十五夜の晩、トーリンが明かりの下で竹かごを編んでいると、突然、明かりの灯心が大きくゆらめき、ぱっと赤い花になってひらきました。そして、なかから美しい娘があらわれました。

トーリンと娘は、一緒に畑仕事をするようになります。夜、トーリンが竹かごを編むと、娘は刺繍をし、市が立つ日には作物や竹かごや刺繍を売って、2人はいつしか裕福になります。そのため、トーリンは毎日毎日ぶらぶら遊び歩くようになり──。

中国苗(みゃお)族につたわる民話をもとにした絵本です。巻末には、「この絵本は、1967年「母の友」誌上に発表された「あかりの花」(君島久子/再話 赤羽末吉/絵)をもとに、君島・赤羽両氏による、中国貴州省苗族地区取材をへて作られました」とあります。だんだん畑の感じや、登場人物の衣装などは、取材が生かされたところかもしれません。このあと、娘はトーリンに愛想をつかし、月の世界に去ってしまうのですが、話はそこで終わりません。トーリンは心を入れ替えます。この絵本も、数多い赤羽末吉さんの、傑作のうちの一冊といえるでしょう。小学校低学年向き。

2011年3月17日木曜日

ベスとベラ












「ベスとベラ」(アイリーン・ハース/作 たがきょうこ/訳 福音館書店 2006)

寒い冬の日の午後、そとでお人形と遊んでいたベスは、一緒に遊ぶ友だちがほしいなあと思いました。すると、雲のなかから一羽の小鳥が落ちてきました。「こんにちわ。わたしの名前はベラよ」と、小鳥はいいました。

ベスがベラをパーティーに招待するとベラは小さな旅行カバンから、テーブルクロスにぴったりの大きなショールやお茶の入ったポット、きれいな模様の器に入った焼きたてのパンなどをとりだします。

正方形の、小振りなかわいい絵本です。絵は繊細にえがかれた水彩。内容も可愛らしく、このあと犬の消防士たちやネズミの家族があらわれ、お茶会はにぎやかに続きます。小学校低学年向き。

2011年3月16日水曜日

ふゆねこさん












「ふゆねこさん」(ハワード・ノッツ/作 まつおかきょうこ/訳 偕成社 1977)

ことしはじめての雪が降り、冬がやってきました。茂みのなかにいる灰色の猫には、はじめての冬でした。翌朝、あたりは一面真っ白になり、子どもたちは灰色の猫をみつけました。灰色猫は子どもたちに声をかけられるのは好きでしたが、そばにこられると逃げだしました。あたりは、すっかり雪景色になり、灰色猫もいまではこれが冬なんだとわかりました。

子どもたちは、灰色猫のことを「ふゆねこさん」と呼びます。ふゆねこさんのため、子どもたちは毎晩残りものをベランダにだしてやります。

冬の野原にいる野良猫と、子どもたちとの交流をえがいた絵本です。絵は白黒で、冬の感じがよくでていいて、それでいて暖かい感じがします。子どもたちと、ふゆねこさんの距離が、徐々にちぢまっていくところが、印象的に描かれています。小学校低学年向き。

2011年3月15日火曜日

レイチェルのバラ












「レイチェルのバラ」(バーナデット/絵 カレン・クリステンセン/文 八木田宜子/訳 西村書店 2000)

ある日、レイチェルは遊びにきたおばあちゃんから、プレゼントにバラの花たばをもらいました。レイチェルはママに教わり、茎のはしの乾いているところを切り落としてから、きれいな花瓶に生けました。花が咲くと、真ん中に黄色い芯がみえ、深くて強い、いい匂いがしました。ところが、ある朝、レイチェルはバラの頭がたれ下がっているのに気がつきました。そして、つぎの日の朝、レイチェルがバラをみにいくと、花瓶がなくなっていました。ママが、バラをごみ箱に捨ててしまったのです──。

「バラはまだ枯れてない──」と、レイチェルは大泣きします。ママはおばあちゃんに電話をし、レイチェルと一緒に苗木屋さんにいって、バラの苗木を買ってきます。部屋の窓の下にバラを植えたレイチェルは、秋も冬も世話をして──。

バラの大好きなレイチェルのお話です。画材は、水彩に色鉛筆、クレパスなどでしょうか。お話によくあった可愛らしい絵です。レイチェルの一途な気持ちが印象に残ります。巻末に、バラの育てかたがついています。小学校低学年向き。

2011年3月14日月曜日

ほしになったりゅうのきば










「ほしになったりゅうのきば」(君島久子/再話 赤羽末吉/絵 福音館書店 1977)

昔むかし、ある村に、じいさまとばあさまが住んでいました。ふたりは毎日、だんだん畑をたがやしながら、子どもがほしいといい暮らしていました。ある日、大きな石が落ちてきて、目のまえでぱっと割れ、「おぎゃあおぎゃあ」と声がしました。おじいさんが白い綿を引き裂くと、なかから男の赤ん坊があらわれました。じいさまとばあさまは大喜びで子どもを育て、子どもは日増しに大きくなりました。「この子はいまに、強くて、えらい者になる。だからサン(英雄)と名づけよう」と、じいさまはいいました。

こうして、サンは立派な若者に成長します。ところが、あるとき南山の竜と北海の竜が桃のとりあいでケンカをし、天を破ってしまいます。天の裂け目はちょうどサンの村の上にあり、暑い日にはそこから雨が滝のように降りそそぎ、寒い日には冷たいヒョウが石のように落ちてきます。ひとびとは、山の洞穴に逃げこんだまま外にでることができません。そこで、サンは村人を救うため、天のつくろいかたを知っているという、ライロン山の鳥の巣に住む、緑のひげの老人を訪ねにいきます。

中国の昔話をもとにした絵本です。ストーリーはとても壮大です。このあと、緑のひげの老人の教えで、サンはクマ王を三度訪ね、末の娘を嫁にします。そして、クギと槌(つち)にするため竜たちから牙とツノをとったのち、2人で天にむかいます。赤羽末吉さんの、色鮮やかで神話的な世界が楽しめる読物絵本です。小学校低学年向き。

2011年3月13日日曜日

てんのくぎをうちにいったはりっこ












「てんのくぎをうちにいったはりっこ」(かんざわとしこ/作 ほりうちせいいち/絵 福音館書店 2003)

昔むかし、大空がまだおナベをふせたようだったころ、森の丸太小屋に気のいいクマのばあちゃんが、親を亡くしたハリネズミのはりっこと一緒に住んでいました。クマばあちゃんは、はりっこによくこんな歌をうたって聞かせました。空の丸天井を支えている、天のクギを打ったのは、クマの鍛冶屋の大男、わが家のひいひいじいさまよ…た。大きくなったはりっこは、木にのぼって空を見上げ、「ぼくも天にのぼってみたいなあ」と思いました。

ある晩、ぎいーという音ともに、丸太小屋がぐらぐらゆれました。天のクギが抜けそうになっているのです。天のクギが抜けたら、天も地もこっぱみじんに砕けてしまいます。だれかがクギを打ちにいかなければなりません。そこで、はりっこは「ぼくだ。ぼくがいく」と、名乗りをあげます──。

空を支えている天のクギを打ちにいくという、壮大かつ勇壮なお話です。このあと、はりっこは、天につづくはしごの根元にいるヘビを打ち倒し、はしごを上って、クギを7回打ちにいきます。物語は、力強く進み、手に汗にぎらずにはいられません。はりっこの勇ましさが印象に残る、力強い一冊です。小学校低学年向き。

2011年3月10日木曜日

ふゆめがっしょうだん












「ふゆめがっしょうだん」(富成忠夫/写真 茂木透/写真 長新太/文 福音館書店 1991)

《みんなは
 みんなは
 きのめだよ
 はるに なれば
 はが でて はなが さく》

冬の木の芽の写真を、絵本に仕立てた1冊です。冬の木の芽は、なんとなく顔のようにみえます。ですが、巻末の文章によれば、顔のようにみえる部分は落葉した葉の柄がついていた跡で、顔の上にあるのが冬芽なのだそうです。また、巻末には、それぞれの木の名前が載せられています。長新太さんによる文章はリズミカル。なにより素晴らしいのはタイトルでしょう。この絵本を知ると冬芽をみるたびに、合唱団のことを思わずにはいられなくなります。小学校低学年向き。

2011年3月9日水曜日

ぼくはあるいたまっすぐまっすぐ












「ぼくはあるいたまっすぐまっすぐ」(マーガレット・ワイズ・ブラウン/作 坪井郁美/文 林明子/絵 ペンギン社 1984)

ある日、〈ぼく〉のところへ、おばあちゃんから電話がかかってきました。ひとりで、おばあちゃんのうちにいくことになった〈ぼく〉は、おうちの前の道をまっすぐまっすぐ歩いていきます。

おばあちゃんに、「まっすぐまっすぐ歩いてらっしゃい」といわれたとおり、田舎道を通り、川を渡ったり、チョウチョウや馬や犬に出会いながら、〈ぼく〉はまっすぐまっすぐ歩いていきます。

まっすぐまっすぐおばあちゃんのうちを目指す〈ぼく〉のお話です。本文は〈ぼく〉の1人称。巻末の文章によれば、この絵本は、マーガレット・ワイズ・ブラウンの“Willie’s Adventures”に収められた3編のうち、“Willie’s Walk”をもとにつくられたそう。和風の顔立ちをしている〈ぼく〉が、西洋風の景色のなかを歩いていくのはこのせいかもしれません。また、余白をたっぷりとったレイアウトが、大変みごとです。小学校低学年向き。

まほうのかさ












「まほうのかさ」(R.ファイルマン/原作 E.コルウェル/再話 松岡享子/訳 浅木尚実/訳 ジョン・シェリー/絵 「こどものとも」1999年3月号通巻516号 福音館書店)

昔、あるところにひとりの魔法使いがいました。魔法使いは1本の魔法のカサをもっていました。ある晩、仲間の集まりに市場にでかけた魔法使いは、そのカサを屋台に置き忘れてしまいました。次の日の朝、ひとりのお百姓さんがそれをみつけ、だれももち主がいなかったので、うちにもっって帰り、おかみさんに渡しました。

このカサの魔法とは、こういうものです。

〈このカサを手にもったまま、「1、2、3」と“3”まで数えると、どこにいても、つぎの瞬間家に帰ってしまいます。“5”まで数えると、そのとき一番いきたいと思っているところにいってしまうし、“7”まで数えると、空中に舞い上がって、一番近くの教会の塔のまわりをグルグルまわってしまいます〉

ある日、雨が降っていたので魔法のカサをもち、おかみさんが市場にタマゴを買いにでかけると──。

もちろん、このあとおかみさんは、“3”や“5”や“7”まで数えてしまいます。数を数える状況のつくりかたがとてもたくみです。予想通りのことが、予想外の新鮮さで語られるので、夢中で読んでしまいます。小学校低学年向き。

2011年3月7日月曜日

ねずみのけっこん

「ねずみのけっこん」(ジュディス・デュプレ/文 ファブリシオ・ヴァンデン・ブレイク/絵 晴海耕平/訳 童話館 1994)

昔むかし、とても美しい娘をもったネズミの夫婦がいました。夫婦は、なにが起こるかわからないことでいっぱいの世の中へ娘がでていくことを思うと、とても心配になりました。そこで、美しい娘のために、娘と同じくらい気高く頼もしい、申し分のない夫をみつけることにしました。

ネズミ夫婦は、まず水平線に顔をだしたお月さまに、「この世で一番頼もしくて強いかたはどなたでしょうか?」とたずねます。「それはもちろんお日さまですよ」と、お月さまはこたえます。そこで、ネズミの夫婦は、娘をシダの葉でよそおい、お日さまのところにいくのですが、お日さまは、「雲は私の光をさえぎる。雲がいちばん強い」といいだします──。

マヤ族の昔話をもとにした絵本です。巻末の「作者から」によれば、このお話はメキシコ、チァパス州の多雨林地帯に住む、コール・インディオによって語られてきたそうです。このあと、ネズミは、雲、風、壁、そしてネズミを訪ねていきます。ほとんど日本の「ねずみ女房」と同じ話であることに驚かされます。でも、絵は多雨林地帯につたわる話らしく、いささか味の濃いものになっています。小学校低学年向き。

2011年3月4日金曜日

ほら いしころがおっこちたよ ね、わすれようよ











「ほら いしころがおっこちたよ ね、わすれようよ」(田島征三/作 偕成社 1980)

きょうはとびきりの上天気です。普段は失敗ばかりしているおじいさんも、こんな日はなにもかもうまくいくような気になってしまいます。ところが、ニワトリ小屋にタマゴをとりにいったおじいさんは、けつまずき、タマゴを落として割ってしまいます。おじいさんはしょんぼり、おばあさんはがっかり。でも、おじいさんは、どうすればさっきの気持ちにもどれるか、一所懸命考えました。そして、足元の小石をひとつ拾い上げると、なるべく明るい声でおばあさんにいいました。「な、ここに石ころがある」。手をはなすと、小石がぽとんと地面に落ちました。「ね、忘れようよ」

このあとも、おじいさんは失敗ばかりします。が、そのたびに2人は石ころや、長ぐつや、バケツや、ホウキを落っことし、失敗をなかったことにします。絵は、抽象的な、不思議な感じのもの。石ころを落っことして立ち直ろうとする2人ですが、それがかろうじてというところがおかしいです。また、とても身につまされます。タイトルも非常に印象的。子どもより、大人が気に入る絵本かもしれません。小学校低学年向き。

2011年3月3日木曜日

はらぺこガズラー












「はらぺこガズラー」(ハアコン・ビョルクリット/作 かけがわやすこ/訳 ほるぷ出版 1979)

あるところに、1匹のぶちネコがいました。とびきりの大食らいだったので、名前もガツガツ・ガズラーといいました。ある日、飼い主のダンナさんが、「これじゃ、そのうちすっからかんになるまで、あいつに食いつくされてしまう。めしをやるのもきょうが最後だ。腹いっぱい食わせたら、袋に押しこんで、海に捨ててこい」と、かみさんにいいました。。でも、その話を、ガズラーはテーブルの下ですっかり話を聞いていました。

かみさんがだしてくれた食べものをガツガツ食べたガズラーはこういいます。「おれが食べたのは、皿の魚、釜のかゆ、水差しのミルク──たったのそれだけさ。まだ腹ぺこで死にそうだ。だから、いっちょ、ちょっくら、おまえとかみさんを食ってやる」。そして、ガズラーは、だんなとかみさんをガツガツ食べてしまいます──。

おそらく北欧の昔話をもとにした絵本です。このあと、ガズラーはそとにでて、でぶブタ、煙突そうじ、牧師さん、花嫁と花婿さん、船長と船員たち、海を渡った国の王様、そしてお月さまをガツガツ食べてしまいます。話は、「はらぺこねこ」や「ふとっちょねこ」に大いに似ていますが、細部とラストがちがいます。小学校低学年向き。

2011年3月2日水曜日

まちにはいろんなかおがいて












「まちにはいろんなかおがいて」(佐々木マキ/文・写真 「こどものとも」1997年9月号通巻498号 「こどものとも年中向き」2010年10月号通巻295号  福音館書店)

「ぼくが てくてく あるいていくと
 まちには いろんな
 かおが いて
 つぎつぎ
 かおが
 かおを だす」

町のなかに隠れているいろんな顔を、カメラで採集した絵本です。ボタン式信号機のボタンのところも、マンホールも、工場らしきどこかの壁も、公園の遊具も、よくよくみると、みんな顔があらわれます。裏表紙のマンホールにある、「友」の一字が洒落ています。小学校低学年向き。

2011年3月1日火曜日

かさじぞう












「かさじぞう」(瀬田貞二/再話 赤羽末吉/絵 福音館書店 1966)

昔、あるところに貧乏なじいさんとばあさんがいました。じいさんは毎日、編み笠をこしらえては、それを売って暮らしていました。ある年の大晦日、笠を5つこしらえたじいさんは、正月のもちを買いに町へでかけました。ところが、笠はひとつも売れませんでした。

帰り道、吹雪にさらされたお地蔵さまを見かけたじいさまは、お地蔵さまに、売れなかった笠をすべてかぶせます。すると、笠がひとつ足りなくなったので、最後のお地蔵さまには、自分のかぶっていた笠をぬいでかぶせます──。

ご存知、かさ地蔵のお話です。見開きに扇形の画面がつくられ、そこに絵が描かれています。文章はタテ書き。方言がかった言葉がつかわれています。本書は、赤羽末吉さんがはじめて手がけた絵本でもあります。赤羽さんは、このとき50歳でした。小学校低学年向き。