2011年9月30日金曜日

まほうつかいのノナばあさん












「まほうつかいのノナばあさん」(トミー・デ・パオラ/作 ゆあさふみえ/訳 ほるぷ出版 1978)

昔、イタリアのカラブリアという町に、「魔法使いのおばあさん」という意味の、ストレガ・ノナと呼ばれるおばあさんが住んでいました。ストレガ・ノナのところには、司祭さまも修道女さまもやってきて、油と水とヘアピンで頭が痛いのを治してもらったり、いぼをとってもらったりしていました。でも、だんだん年をとってきたストレガ・ノナは、うちの掃除や畑仕事を手伝ってくれるひとがほしくなりました。そこで、町の広場に「手伝ってくれるひと求む」と貼り紙をだしました。

貼り紙をみてやってきたのは、うっかり者でノッポのアンソニイでした。ストレガ・ノナはアンソニイに仕事を教えると、スパゲッティをゆでる釜を指さしていいました。「あの、スパゲッティをゆでる釜には、けっしてさわっちゃいけないよ」

ある日の夕暮れ、アンソニイがヤギのミルクをしぼっていると、ストレガ・ノナがなにやらうたっているのが聞こえました。窓からのぞきこむと、ストレガ・ノナはスパゲティの釜のそばに立ち、うたうと、釜がブクブク煮え立って、あっというまに釜がスパゲッティでいっぱいになりました。「あれこそは、魔法の釜にちがいない」と、アンソニイは思いました──。

イタリアの昔話をもとにした絵本です。このあと、アンソニイはストレガ・ノナのうたう歌をおぼえるのですが、最後にストレガ・ノナが魔法の釜に3回キスするところを見逃してしまいます。そして、ストレガ・ノナが家を留守にしたある日、アンソニイは歌をうたい、釜をスパゲッティでいっぱいにするのですが…と、お話は続きます。魔法の止めかたがわからなくなってしまった、魔法使いの弟子のお話です。1976年度コールデコット賞オナー賞。このノナばあさんの本はシリーズ化したらしく、、「まほうつかいのノーナさま」というシリーズ名で、偕成社から3冊出版されています。小学校中学年向き。

2011年9月29日木曜日

バックルさんとめいけんグロリア












「バックルさんとめいけんグロリア」(ペギー・ラスマン/作 ひがしはるみ/訳 徳間書店 1997)

ナップビルという町でおまわりさんをしているバックルさんは、安全メモの名人でした。安全メモというのは、みんなが事故を起こさないための短い注意です。バックルさんは、ときどきナップビル小学校に安全教室をしにいくのですが、バックルさんの安全教室にすっかりあきてしまった子どもたちは、だれもちゃんと聞きません。ところが、ある日、ナップビル警察にグロリアという名前の警察犬がやってきました。バックルさんがグロリアと一緒に安全教室をやると、子どもたちは大喜びしました。おかげで、ナップビル小学校で事故は起こらなくなりました。

バックルさんの安全教室が評判になったのは、バックルさんの後ろで、グロリアが安全メモにちなんだ芸をするからでした。そのことにバックルさんは気づいていなかったのですが、あるときテレビの取材を受けたバックルさんは、10時のニュースをみてそのことに気づきます──。

絵は水彩で着色された漫画風のもの。絵のなかにストーリーの伏線がさまざまにえがかれていて、おかげで何度も読んで楽しめる一冊になっています。小学校低学年向き。

2011年9月28日水曜日

ふしぎな500のぼうし












「ふしぎな500のぼうし」(ドクター・スース/作 わたなべしげお/訳 偕成社 2009)

バーソロミュー・カビンズは、1本の羽根が空にむかってぴんと突きでた赤い帽子をかぶっていました。ある朝、町へでかけると、護衛隊と王様の馬車が通りました。王様が通るときは、帽子をとるのが決まりだったので、バーソロミューも帽子をとりましたが、そこへ一度は通りすぎた王様がもどってきていいました。「おまえの頭にのっているそれをとるんじゃ」

バーソロミューの手には帽子があるのに、なぜか頭には帽子がのっています。とってもとっても、頭には新しい帽子がのったままです。お城につれていかれたバーソロミューの頭から、帽子づくりの名人スニップス卿や、物知りのナッドが帽子をとろうと試みますが、それでも帽子はとれません──。

とってもとってもとれない帽子をえがいた読物絵本です。絵は漫画風のもので、帽子だけ赤で着色されています。このあと、王様の甥で、高慢ちきなウィルフレッド大公が、弓矢で帽子をはじきとばしますが、それでも帽子はなくなりません。帽子がとれないなら首をちょん切れというウィルフレッドの進言で、バーソロミューは首切り役人のいる地下牢に連れていかれるのですが…と、物語は続きます。ぜんぜん頭からなくならなかった帽子でしたが、500個目に、不思議なことが起こります。小学校中学年向き。

2011年9月27日火曜日

いまがたのしいもん












「いまがたのしいもん」(シャーロット・ゾロトウ/文 エリック・ブレグヴァド/絵 みらいなな/訳 童話屋 1991)

わたしは小さな女の子です。ある日、母さんがわたしに、「あなたは大きくなったらどんなひとになるのかしら」と訊きました。わたしは、「大きくならないで、いまのまんまがいいわ」とこたえました。

うれしいときスキップできるし、テーブルの下でおままごとして、絨毯のバラの花を指でなぞるのよ。アイスクリーム屋のおじさんは、名前を呼んでくれるし、なんにもしないでいつまでもすわっていたり、きれいだなって思ったら、クレヨンで描いちゃえる。大人になったら、もうクレヨンはつかわないでしょ──。

女の子とお母さんの会話ですすむ絵本です。いまが楽しいという理由を、女の子はまだまだ並べたてます。絵は水彩で、雨の降る町や雪景色などがとても美しくえがかれています。最後、「大人だって楽しいもん」といお母さんの言葉を聞いて、わたしは大きくなるのも素敵だと思いますが、でも…と思い直します。小学校低学年向き。

2011年9月26日月曜日

ちいさなちいさなおんなのこ












「ちいさなちいさなおんなのこ」(フィリス・クラシロフスキー/文 ニノン/絵 福本友美子/訳 福音館書店 2011)

昔、あるところに小さな小さな女の子がいました。バラの木よりも小さくて、台所の椅子よりも小さくて、お母さんのお針箱よりもちいさな女の子でした。すわるのは、小さな小さな椅子で、小さな小さなテーブルでごはんを食べ、小さな小さなベッドで眠りました。

ところが、ある日、小さな小さな女の子は、金魚鉢に手がとどくようになりました。ネコを抱っこできるようになりましたし、バラの木よりも、台所の椅子よりも、お母さんのお針箱よりも大きくなりました──。

女の子の成長をえがいた絵本です。絵は、繊細なイラスト風の鉛筆画。ところどころ、女の子向けらしく、ピンクと黄緑で色づけされています。アメリカでの初版が1953年。活字も、古風さを感じさせるものがつかわれており、女の子が大きくなったという場面では、文字も大きくなって、驚くべきことが起こったようにえがかれています。それは、じっさいに驚いていいことだと思います。小学校低学年向き。

2011年9月22日木曜日

ちいさなちいさなおばあちゃん












「ちいさなちいさなおばあちゃん」(エルサ・ベスコフ/作 いしいとしこ/訳 偕成社 2001)

家のなかには、小さな小さなテーブルと、小さな小さな椅子と、小さな小さな腰かけと、小さな小さな手おけがありました。そして、ニャーンと鳴く、小さな小さなネコもいました。それに、牧場にはモォーと鳴く、小さな小さな牝牛がいました。

ある日、小さな小さなおばあちゃんは、小さな小さな手おけをもって、小さな小さな牝牛のミルクをしぼりにいきます。そして、おばあちゃんは、小さな小さなテーブルの上に、ミルクを置くのですが、そこに小さい小さいネコがやってきて──。

スウェーデンの絵本作家、エルサ・ベスコフのデビュー作です。絵と文章は右側のページにだけ描かれ、左側のページは白紙です。絵は、草花で縁どられた輪のなかに、着色された線画でえがかれています。物語の最後で、ミルクを勝手に飲んだネコは家から追いだされてしまうのですが、そのページの下には、小さい字でこう記されています。「でもね やっぱり、そのうちに おばあちゃんちへ かえったと おもいますよ」。巻末の「作者と作品について」によれば、この一文は、子どもたちがネコの心配をしないようにと、初版から50年後、作者がつけ加えたものだということです。小学校低学年向き。

2011年9月21日水曜日

ふわふわくんとアルフレッド












「ふわふわくんとアルフレッド」(ドロシー・マリノ/作 石井桃子/訳 岩波書店 1977)

オモチャのクマのふわふわくんは、アルフレッドが赤ん坊のときからの友だちでした。はじめは、ふわふわくんのほうが大きかったのですが、いまはアルフレッドのほうが大きくなりました。アルフレッドが朝ごはんを食べるときは、ふわふわくんはその脇にすわりました。アルフレッドが夜眠るときは、ふわふわくんも一緒に眠りました。

ところが、ある日、郵便屋さんがアルフレッドに大きな箱をもってきます。開けてみると、なかにはトラのオモチャが入っています。トラにしましまくんと名前をつけたアルフレッドは、ふわふわくんをオモチャ箱に放りこみ、しましまくんと朝ごはんを食べ、しましまくんと一緒に眠るようになります──。

幼年向きの読物絵本です。絵は、親しみやすい線画で、ところどころ赤で塗られています。このあと、木の下で、積み木で家をつくっていたアルフレッドは、「どうしてぼくも仲間に入れてくれないの」という、ふわふわくんの声を耳にします。「ぼくは新しいトラのオモチャと遊ぶんだよ」と、アルフレッドがふわふわくんを放り投げるのですが、ふわふわくんは木の枝にまたがって、降りてこなくなってしまいます。困り果てたアルフレッドが泣きだすと、お母さんとお父さんがやってきて…と、物語は続きます。ファンタジーと現実がたくみに混ざりあった一冊です。小学校低学年向き。

2011年9月20日火曜日

さむがりやのサンタ












「さむがりやのサンタ」(レイモンド・ブリッグズ/作 すがはらひろくに/訳 福音館書店 1974)

12月24日、「やれやれ、またクリスマスか!」といいながら起きだしたサンタは、トナカイにエサをあげ、紅茶を飲み、着替え、朝ごはんを食べると、プレゼントでいっぱいにしたソリを引いて、子どもたちにプレゼントを届ける旅にでます。

漫画風にコマ割りされた絵本です。レイモンド・ブリッグズのえがくサンタは、いささか不平が多いのが特徴です。「煙突なんてなけりゃいいのに!」といいながら煙突に入って煤だらけになり、用意された飲みものをみて、「なんだ、ジュースか」とぼやきます。おかげで、人間味のある、親しみやすいサンタになっています。サンタのクリスマスのすごしかたが、細かいところまで注意深くえがかれていて、ほんとうにサンタはこんな風に暮らしているのではないかと思ってしまいます。続編に、サンタの夏のすごしかたをえがいた、「サンタのなつやすみ」があります。小学校中学年向き。

2011年9月16日金曜日

おやすみなさい










「おやすみなさい」(イヴ・ライス/作 かたやまれいこ/訳 ほるぷ出版 1995)

おやすみなさいが、ゆっくりと屋根の上に降りてきました。すると、とんがり屋根の家の窓から、男のひとが、「おやすみなさい」といいました。下を通る甘栗売りのおじさんも、「おやすみなさい」といいました。

おやすみなさいは、暗闇と一緒に、そおっと町にひろがり、家に帰ってきた女のひとも、赤ちゃんを抱いたお母さんも、おまわりさんも、消防士も、みんな「おやすみなさい」をかわします。でも、屋根の上では子猫が、「だれかぼくといっしょにあそばない?」といっています──。

おやすみ絵本の一冊です。絵は、白、黒、黄色の3色。背景はほとんど黒一色です。版画のような絵柄と、ところどころに配された黄色が、絵本ぜんたいをあたたかいものにしています。小学校低学年向き。

2011年9月15日木曜日

あるひうちゅうで











「あるひうちゅうで」(きたむらさとし/作 佑学社 1991)

ある日、宇宙で迷子になった〈ぼく〉は、白い雲と青い海につつまれた惑星に降りてみました。不思議なかたちが広がっている星の上をどこまでもいくと、野原に動物みたいなものをみつけました。補虫網をもったその動物に笑いかけると、その動物も笑いました。

動物と友だちになった〈ぼく〉は暗くなるまで一緒に遊び、帰りはUFOに乗って、ほかの星に寄り道してから、友だちを家に送ります──。

宇宙人の〈ぼく〉の視点でえがかれたユニークな絵本です。動物というのは、男の子のこと。〈ぼく〉の視点でえがかれているため、〈ぼく〉の絵はまったくありません。絵は、漫画風にディフォルメされた、でも密度がある叙情的なもの。読み終わると、なんだかはるばるとした気分になる一冊です。小学校低学年向き。

2011年9月14日水曜日

ひよこのかずはかぞえるな












「ひよこのかずはかぞえるな」(イングリ・ドーレア/作 エドガー・パーリン・ドーレア/作 せたていじ/訳 福音館書店 1980)

朝、オンドリが「こけこっこう!」時を告げました。メンドリがタマゴを生むと、オンドリは自分で生んだように得意になってまた鳴きました。飼い主のおばさんが起きてきて、タマゴをみて、「よそのメンドリはすぐ休むけど、うちのは毎日かならず生んでくれる」と喜びました。タマゴ棚をたしかめてみると、タマゴは3ダース、36個あったので、おばさんはタマゴを町にもっていって売ってこようと思いました。

町へ歩いていく途中、おばさんはいろいろ考えごとをします。この玉子は一体いくらになるだろう。売ったお金でメンドリを2羽買おう。3羽のメンドリは毎日タマゴを生むから、いまの3倍タマゴをもって市場にはこぶぼう。そしてまた、メンドリを3羽買って、こんどは生んだタマゴを半分売って、残りはヒヨコにかえして、そのうち鳥小屋はいっぱいになって、わたしは大儲け──。

タマゴを売りに町へゆく道すがら、とらぬ狸の皮算用をするおばさんのお話です。カラーと白黒のページが交互にくる構成で、絵は色鉛筆でえがかれたおだやかな味わいのもの。このあとも、ガチョウを2羽と子羊を1匹買って、羽と毛を売って、ブタを2匹、牛を1頭買って、ある日結婚を申しこまれて…と、おばさんの妄想はとどまること知りません。ところが、最後に思わず声を上げそうになるオチが待っています。似た話の絵本にアンデルセン原作の「おおきなおとしもの」があります。小学校低学年向き。

みつけたぞ、ぼくのにじ












「みつけたぞ、ぼくのにじ」(ドン・フリーマン/作 大岡信/訳 岩波書店 1977)

きれいな虹をみた〈ぼく〉は、虹をつかまえて自分のものにしてやろうと思いました。雨合羽を着て、帽子をかぶり、風に負けないスピードで走りましたが、虹のいる場所に着いても、そこに虹の姿はありませんでした。

帰り道、〈ぼく〉は、次の機会には、そっと虹に近づいてやろうと思います。すると虹くんも近づいてきて、ぼくと遊びたがっていることがわかります。ぼくは虹くんの上を馬飛びし、虹くんもぼくの上を飛びこえて──。

虹をつかまえようとした〈ぼく〉のお話です。絵は水彩。ドン・フリーマンの絵本ではめずらしいかもしれません。ハンモックなったり、かくれんぼをしたりと、〈ぼく〉と虹の遊ぶさまが、素晴らしいイマジネーションでえがかれています。最後に、家に帰った〈ぼく〉に洒落た結末が待っています。小学校低学年向き。

2011年9月12日月曜日

おそざきのレオ












「おそざきのレオ」(ロバート・クラウス/文 ホセ・アルエゴ/絵 今村葦子/訳 あすなろ書房 1997)

トラの子どもレオは、なにをするのもへたくそでした。読むこともできませんし、字を書くこともできません。お絵かきもできませんし、食べるのはへたくそですし、、話すこともできません。「この子はどうなっっているんだ」と、お父さんがいうと、お母さんはこたえました。「この子は遅咲きの花なの。あとで立派な花が咲きますよ」

お父さんは、レオの花が咲くしるしを見つけようと、毎日レオをそっと見守るのですが──。

なんにもできなかった子が、いろいろできるようになる、遅咲きのトラの子レオのお話です。絵は、ふにゃふにゃした描線の、漫画風のもの。心配性のお父さんが、レオを見守るさまがおかしいです。小学校低学年向き。

2011年9月9日金曜日

みみずのオッサン












「みみずのオッサン」(長新太/作 童心社 2003)

「オッサン」という名前のミミズが散歩にでかけると、ドシーンと空からなにかが落ちてきました。これは一体何でしょう? ペンキです。大変、ペンキをつくる工場が爆発したのです。さらに、絵の具とクレヨンの工場も爆発してしまい、お母さんもお父さんも、カレーライスもハンバーグも、いろんな動物たちも、ベタベタのドロドロになってしまうのですが──。

長新太さん、晩年の作品です。目にまぶしいピンクと、手書きの文字がじつに印象的です。このあとの展開には唖然とするばかり。読み終えると、大きな時間が流れたような気がする不思議な一冊です。小学校低学年向き。

2011年9月8日木曜日

白雪姫と七人の小人たち







「白雪姫と七人の小人たち」(グリム/文 ナンシー・エコーム・バーカート/絵 八木田宜子/訳 富山房 1996)

冬のさなか、窓辺で縫いものをしていたお妃は、針でちくりと指を刺してしまいました。雪の上に落ちた三滴の美しい血のしずくを見て、お妃はこう思いました。「肌は雪のように白く、ほっぺたは血のように赤く、髪の毛はこの窓枠のように黒い子どもが生まれたらいいのだけれど」。しばらくして、お妃は望んだ通りの女の子を生み、その子は「白雪姫」と呼ばれました。ですが、子どもが生まれると、お妃は亡くなってしまいました。

一年後、王様は次のお妃と結婚します。このひとは美しい女でしたが、気位ばかり高く、自分より美しい女がいるのはがまんできません。鏡に、「鏡よ、鏡、だれが一番きれいかえ?」とたずね、「お妃、あなたが一番きれい」という返事を聞くのに満足していましたが、だんだん大きくなる白雪姫はお妃よりも美しくなり、とうとう鏡はこうこたえます。「この広間ではあなたがきれい。でも、白雪姫はだれよりもきれい」。そこで、お妃はひとりの狩人を呼び、白雪姫を森に連れだして殺し、証拠に肺と肝臓をもってくるように命じます──。

グリム童話の「白雪姫」をもとにした絵本です。ご存じのように、このあと狩人に見逃してもらった白雪姫は、森のなかで七人の小人とともに暮らしますが、白雪姫が生きていることを知ったお妃は、何度も白雪姫の命を狙いにきます。見開きの絵と、文章が、ほぼ交互にくる構成。特筆すべきはその絵です。精緻で美しい絵が、絵本全体の品格を高めています。小学校中学年向き。

2011年9月7日水曜日

こかげにごろり










「こかげにごろり」(金森 襄作/文 鄭香/絵 福音館書店 2005)

山を越え、また山を越えた山里に、それはのどかな村がありました。百姓たちははたらき者で、みんな助けあいながら暮らしていました。ところが、百姓たちに土地を貸している地主は、とても欲張りで、ひまさえあれば、家の前の木陰にすわって、百姓たちがしっかりはたらくように見張っていました。

ある夏の日のこと、地主は木陰でうとうとと眠りはじめました。汗びっしょりの百姓が、ひと休みしようと木陰に入ろうとしたとたん、地主は目をさまして百姓を怒鳴りつけました。「これはわしのじいさまが植えたものだから、この木陰もわしのものじゃ。入りたければ木陰を買いとってから入れ」。仕方なく、百姓たちはたくさんのお米やカボチャやブタやニワトリを村中からあつめて、木陰を買いとりました──。

韓国・朝鮮の昔話をもとにした絵本です。作者は、「おどりトラ」や「おばけのトッケビ」などの絵本をつくったひとたち。このあと、木陰がどんどん長くなるにつれ、百姓たちは木陰と一緒に、地主の家の前からなかへ入っていきます。そして、地主がご先祖様を供養するお祭りのとき、木陰はごちそうの上まで伸びてきて──と、物語は続きます。最後は、地主がいささか気の毒になってしまう一冊です。小学校低学年向き。

2011年9月6日火曜日

ちいさなもみのき












「ちいさなもみのき」(マーガレット・ワイズ・ブラウン/文 バーバラ・クーニー/絵 かみじょうゆみこ/訳 福音館書店 1993)

森のはずれの、大きな緑の木々から少しはなれたところに、小さなモミの木が一本立っていました。モミの木は、自分が小さくて、森からはなれて立っているのを、少しさびしく思っていました。ある日のこと、男のひとがシャベルを肩にかついで、モミの木のところにやってきました。男のひとは、小さなモミの木の周りに穴を掘ると、モミの木を掘りだし、長く伸びた根を麻袋に入れてくるみ、肩にかついで歩きだしました。

男のひとは森を抜けながら、モミの木にこう話しかけます。春がきたら、おまえを見つけたところへ連れていって、また植えてやるからな。毎年冬には、うちにお祝いをしにやってきて、春にはもとの緑の野に帰っていくんだ。ここまでやってこられない、私の息子と一緒に大きくなってやってくれ──。

クリスマス絵本の一冊です。途中、楽譜付きの歌が三度でてきます。バーバラ・クーニーの絵は、色数が少ないにもかかわらず、とても鮮やかです。このあと、足が悪くベッドからでたことのない男の子の部屋にはこばれたモミの木は、そこで飾りつけられクリスマスツリーになります。そして、春になると森のはずれに帰り、冬になると、また男の子の部屋のクリスマスツリーになります。ラストの意外な展開がうれしい一冊です。小学校低学年向き。

2011年9月5日月曜日

川はながれる










「川はながれる」(アン・ランド/文 ロジャンコフスキー/絵 掛川恭子/訳 岩波書店 1978)

はるか彼方の寒い北国、その山奥の、松の木の森で、雪が溶け、氷が溶けて、小さな川が生まれました。森の動物たちは大喜びしましたが、小さい川はまだとても川にはみえませんでした。だんだんと大きくなって、元気いっぱい流れはじめた川は、「どこへいけばいいんだろう」といいました。「ここにいれば」と、水を飲みにきたシカが勧めましたが、川はいいました。「だめだめ、川はどこかにむかって流れていくものなんだ。でも、それがどこだかわからない」

小さな川は、岩場を通り、平野を抜けて、湖にそそぎ、町の水路をくぐって、海にたどり着きます──。

川上から川下までの、川の旅をえがいた絵本です。おそらく色鉛筆でえがかれたと思われる絵は、落ち着いていて、それでいて鮮やかで、見応えがあります。最後、海にたどり着いた川は、「ぼくはいったいどうなってしまうんだろう」と不安にかられるのですが、それにこたえるカモメのセリフが印象的です。この絵本も、数ある傑作絵本の一冊でしょう。小学校低学年向き。

2011年9月2日金曜日

ちいさなとりよ










「ちいさなとりよ」(M.W.ブラウン/文 R.シャーリップ/絵 与田凖一/訳 岩波書店 1978)

子どもたちがみつけたとき、その鳥は死んでいました。鳥は目を閉じていましたが、まだ少し温かでした。心臓の音を聞こうと思って、鳥の胸に指を当てました。でも、心臓は止まっていました。

子どもたちはお墓をつくって、鳥を埋めてやろうと思いつきます。森のなかの地面に穴を掘り、底に柔らかいシダの葉を敷き、ブドウの葉で包んだ鳥を寝かせます。そして、鳥の上にもシダの葉をかぶせ、スミレの花とスターフラワーを飾ります──。

鳥の死体をみつけた子どもたちが、鳥のお葬式をするお話です。文章のパートと、絵のパートがはっきりと分かれているつくりで、文章だけの見開きのあとには、絵だけの見開きが続きます。絵は、青味がかった、適度に抽象化された、落ち着いたもの。全体に品がある、服喪の雰囲気に満ちた一冊です。小学校低学年向き。

2011年9月1日木曜日

パンやのくまさん










「パンやのくまさん」(フィービ・ウォージントン/作 セルビ・ウォージントン/作 まさきるりこ/訳 福音館書店 1987)

くまさんは、朝とても早く起きて、大きなかまどに火を入れます。かまどが充分熱くなるのを待ちながら、朝一番のお茶を飲みます。それから、エプロンをつけ、パンの生地をつくります。生地はふくらむまで寝かせておき、そのあいだに、こんどは本式に朝ごはんを食べます。パンやパイやケーキがぜんぶ焼き上がると、半分は店にならべ、あとの半分は車に積みこみ、通りに売りにでかけます──。

パン屋のくまさんの1日をえがいた絵本です。ティディベアのくまさんは、背が低いので、なにをするにも台に乗らなくてはいけなくて、その姿が可愛らしいです。絵は、ゆっくりとした話のテンポによくあった、ていねいな水彩。読み終えると、1日がきちんとすぎたような感じのする一冊です。この「くまさんシリーズ」は、ほかに、「ゆうびんやのくまさん」「せきたんやのくまさん」「ぼくじょうのくまさん」「うえきやのくまさん」などがあります。小学校低学年向き。