2012年4月27日金曜日

みずうみにきえた村









「みずうみにきえた村」(ジェーン・ヨーレン/文 バーバラ・クーニー/絵 掛川恭子/訳 ほるぷ出版 1996)

六つのころ、わたしは、この世にこわいものなんか、なんにもないと思っていました。ママはひとりで学校まで歩いていかせてくれ、十字路にでるまでは、ジョージ・ウォレンにも、ナンシー・ヴォーンにも会いませんでした。夏の昼下がり、わたしとジョージは糸に手づくりのハリをつけて、スウィフト川でマスを釣りました。みんなで墓地にいってクギ投げをしたり、ウィルおじいちゃんのお墓の上でピクニックしたりしました。おじいちゃんの黒いお墓は、あつい夏の日をいっぱい浴びて、一日中ぽかぽかしていました。

夏の夜はよく庭にでて、ナンシー・ヴォーンとカエデの木の下で眠ります。ある夜、ナンシー・ヴォーンが町に住んでいるいとこのサラを連れて、ガラスびんを3つもってやってきます。わたしたちはホタルをつかまえると、びんに入れ、手でふたをしたのですが、様子をみにきたママが首を振っていいます。「はなしてやらなきゃだめよ、サリー・ジェーン」。そこで、わたしはママにいわれたとおり、ホタルをはなしてやります――。

ジェーン・ヨーレンは「月夜のみみずく」で、バーバラ・クーニーは「にぐるまひいて」「ルピナスさん」で、それぞれ高名です。文章はディティールに富み、絵は語り口に応じた端正なもの。このあと、ボストンのひとたちの飲み水のため、貯水池をつくることになり、村は湖に沈むことになります。まず、はじまったのがお墓の引っ越し。インディアンのお墓はそのままにしておくことになり、〈わたし〉はこう思います。「わたしはインディアンたちが聖なる地に残れてよかったと思いました」。ラストでは、大人になったわたしが父と湖を訪れます。ディティールをゆるがせにしなかったことが、ここで大いに生きてきます。小学校高学年向き。

シーフカ・ブールカ まほうの馬










「シーフカ・ブールカ まほうの馬」(M・ブラートフ/再話 松谷さやか/訳 B・ディオードロフ/絵 福音館書店 1997)

昔、あるところにおじいさんが住んでいました。おじいさんには3人の息子がいて、末の息子は“イワンのばか”と呼ばれていました。あるとき、みごとに小麦が実ったおじいさんの畑を、何者かが夜のうちにめちゃくちゃに踏み荒らしてしまいました。そこで、おじいさんは3人の息子に見張りを命じました。上の息子たちは、居眠りをしていて気づきませんでしたが、イワンは目をさまし、悪いやつがくるのを待ちかまえていました。

イワンの前にあらわれたのは、銀色と金色の毛なみをした、耳から煙が立ちのぼり、鼻から炎を吹く魔法の馬でした。イワンは魔法の馬に縄をかけ、背にとび乗ってしがみつきます。馬はイワンを振り落とそうとしますが、とうとう降参し、「はなしてください。あなたのためになんでもしますから」といいだします。「よし、わかった。はなしてやろう。だけど、おまえをみつけたいときはどうすりゃいいんだい?」とイワンが訊くと、馬はこうこたえます。「広い野原にきて、いきおいよく三度口笛を吹いてから、大きな声でこう叫んでください。“シーフカ・ブールカ魔法の馬よ、さあ駆けてこい”って」

ロシアの昔話をもとにした絵本です。絵を描いたのはロシアのひと。色づかいや風俗のえがきかたなど、その国のひとにしかだせないと思われる味わいがあります。このあと、「高い塔の窓辺にすわっているエレーナ姫のところまで馬で飛び上がり、姫の指から金の指輪を抜きとった者が姫のむこになる」という、王様のおふれがだされます。イワンは魔法の馬のいうとおり、馬の右耳から入り、左耳からでて美しい若者になると、塔のエレーナ姫にむかって飛び上がります。このときは、姫のところまで、あと丸太三本分だけたりなかったのですが、次の日は…と、お話は続きます。男の子版シンデレラといったおもむきのある一冊です。小学校低学年向き。

2012年4月25日水曜日

クリスマスのふしぎなはこ










「クリスマスのふしぎなはこ」(長谷川摂子/文 斉藤俊行/絵 福音館書店 2008)

男の子が、縁の下で箱をみつけました。あけてみると、なかではサンタさんがベッドで寝ていました。男の子は、箱をベッドの下にこっそりかくし、「お母さん、サンタさんもう出発したかなあ」と訊きました。また箱をあけると、サンタはちょうどこれから出発するところでした。

クリスマス絵本の1冊です。不思議な箱をあけると、サンタの動向がわかります。文章は〈ぼく〉の1人称。絵は、おそらくCGでえがかれたもの。写真のような構図と、メリハリのある色づかいが特徴です。このあと、箱をのぞいて、サンタが自分のいる町の上を飛んでいるのに気づいた男の子は、いそいで布団に入り、ぎゅっと目をつむります。幼児向き。

2012年4月24日火曜日

はちうえはぼくにまかせて










「はちうえはぼくにまかせて」(ジーン・ジオン/文 マーガレット・ブロイ・グレアム/絵 もりひさし/訳 ペンギン社)

トミーは、旅行をするひとの鉢植えをあずかって、世話をすることにしました。おかげで、家中は鉢植えだらけ。お父さんは帰ってくるなり植木鉢にけつまずいて怒鳴りました。「こんなくだらないもの、いっぱいならべたのはだれだい?」「うちでは夏休みにどこにもいかないから、なんでも好きなことをやっていいっていったでしょ。それで、ぼく、鉢植えをあずかることにしたんだ。植木鉢1個で、1日2セントだよ」

トミーは鉢植えの世話が上手です。日陰の好きな鉢植えは日陰に、日なたの好きな鉢植えは日なたに置いてやります。一週間がたち、二週間がすぎると、鉢植えはどんどん伸びて、からまりあって、うちのなかはジャングルのようになり──。

「どろんこハリー」の作者として高名なグレアム夫妻による絵本です。このあと、植物が育ちすぎて家がこわれてしまう夢をみたトミーは、図書館で園芸の本を読み、せっせと鉢植えを刈りこみます。そして、休みが終わるころ、鉢植えを受けとりにやってきた近所のひとたちは、だれもが、「まえより素敵になってる」と喜んで帰っていきます。最後に、文句ばかりいっていたお父さんが、洒落たオチをつけてくれます。小学校低学年向き。

きんぎょがにげた










「きんぎょがにげた」(五味太郎/作 福音館書店 1982)

〈きんぎょが にげた
どこに にげた
おや また にげた
こんどは どこに〉

金魚は宙をゆき、カーテンの柄になったり、鉢植えの花になったり、アメ玉になったり、イチゴになったしながら逃げ続けます。

「福音館の幼児絵本」の一冊。初出は1977年。すでに古典となった一冊でしょう。絵は水彩(カラーインク?)。ものの形がはっきりした、明快な絵柄です。金魚があちこちに隠れるさまが楽しくえがかれています。幼児向き

2012年4月21日土曜日

ナスレディンのはなし










「ナスレディンのはなし」(八百板洋子/再話 佐々木マキ/絵 福音館書店 2012)

トルコのとんち話の主人公、ナスレディン・ホジャのお話をもとにした絵本です。本書には、「ナスレディンと裁判官」「ナスレディンのおいのり」「スイカとクルミ」「ロバになった男」の4話が収録されています。このなかから、「スイカとクルミ」をみてみましょう。

暑い夏の日、ナスレディンは荷車を引いて歩いていました。途中でくたびれたので、スイカ畑のそばのクルミの木下で休みました。ナスレディンは、足もとのスイカをっみながらひとりごとをいいました。「それにしても、アラーの神もどうかしておられる。大きなスイカがこんな細い茎になるのに、小さなクルミがこんな大きな木になるなんて。ふつう、大きな木には大きな実がなるものだろうに」。すると、さーっと風が吹き、クルミの実がナスレディンの頭に落ちました。

頭をさすった頭をさすったナレスディンは、アラーの神の真意を悟ります──。

文章はタテ書き。八百板洋子さんによる再話は、すばらしくこなれています。佐々木マキさんのユーモラスな絵とあいまって、非常に楽しい低学年向きの読物絵本になっています。小学校低学年向き。

2012年4月20日金曜日

いしになったかりゅうど










「いしになったかりゅうど」(大塚勇三/再話 赤羽末吉/絵 福音館書店 1981)

昔、モンゴルにハイブリという若い狩人がいました。ハイブリはとても親切で、鳥やけものをとってくると自分だけのものにせず、ほかのひとにも分けてあげたので、みんなにとても好かれていました。ある日のこと、山奥へ狩りにいったハイブリは、木の下で眠っている小さな白いヘビをみつけました。ヘビを起こさないように、そっとわきを通ろうとすると、ふいに大きなマナヅルがやってきて、白いヘビを食わえ、空に舞い上がりました。ハイブリが急いで矢を射ると、マナヅルは白いヘビを落として逃げていきました。

次の日、きのうと同じ場所にきたハイリブのもとに、たくさんのヘビたちが一匹の白ヘビをとりかこんでやってきます。白ヘビはじつは竜王の娘で、父と母がお礼をしたいというので、お迎えにきたとハイリブに告げます──。

モンゴルの民話をもとにした絵本です。このあと、白ヘビはハイブリに忠告をします。お父さんとお母さんがなにかさしあげたいといったら、お父さんが口のなかに入れている宝の玉がほしいといいなさい。その玉を口に入れれば、あなたは鳥やけものの言葉がなんでもわかるようになります。でも、けっしてほかのひとに話してはいけません。もし話したら、あなたは石になって死んでしまうのです。白ヘビのいうとおりにしたハイブリは、鳥やけもののことばがわかるようになり、おかげで狩りをするのがとても楽になります。ところが、ある日、鳥たちが「早く逃げよう。あしたはここらの山がみんなくずれるぞ。大水があふれだし、野原なんか水びたしになる」と話しているのを耳にして…とお話は続きます。動物の声が聞こえるようになった場面や、ハイブリが石になってしまう場面、大水の場面など、赤羽末吉さんのすばらしい仕事が堪能できます。小学校中学年向き。

2012年4月19日木曜日

とんでとんでサンフランシスコ










「とんでとんでサンフランシスコ」(ドン・フリーマン/作 やましたはるお/訳 BL出版 2005)

サンフランシスコにある高いビルの屋上に、ネオンサインの看板がそびえていました。その看板のBの文字の内側に、一羽のハトがすんでいました。通りの向かいのビルディングの張りだしに巣をつくっているハトたちは、あんなところにすむなんて、かなりいかれたやつだと思っていました。でも、白い羽の雌バトだけは、お向かいのハトはきっとあの文字にすむちゃんとしたわけがあるにちがいないわと信じていました。

毎朝、灰色バトと白ハトは空中で落ちあい、朝ごはんをついばむためにユニオン・スクエア公園にやってきます。そこには、ハイ・リーさんというひとが決まってやってきていて、紙ぶくろからパンくずをまいてくれ、いつもこの2羽のハトに、「おはよう、シッドとミッジ」と声をかけてくれます。そして、シッドとミッジはBの文字のところで巣づくりをはじめるのですが──。

「くまのコールテンくん」などで高名なドン・フリーマンによる絵本です。絵はおそらく色鉛筆でえがかれたもの。1日の時間の移り変わりや、ハトの飛翔感など、大変たくみにとらえられています。また、ハトがハトらしくえがかれているのもみごとです。このあと、ミッジがタマゴをあたためていると、突然看板がうごきだします。男たちが看板をとりこわしはじめたのです。シッドは、いなくなってしまった看板と、ミッジとタマゴをさがしてサンフランシスコの町を文字どおり飛びまわります。1985年度コールデコット・オナー賞受賞。小学校中学年向き。

2012年4月17日火曜日

はなのすきなうし












「はなのすきなうし」(マンロー・リーフ/文 ロバート・ローソン/絵 光吉夏弥/訳 岩波書店 1954)

昔、スペインに、ふぇるじなんどという可愛い子ウシがいました。ほかの子ウシたちは、毎日とんだり、はねたり、駆けまわったりして暮らしていましたが、ふぇるじなんどはひとり草の上にすわって、静かに花の匂いをかいでいるのが好きでした。牧場のはしにあるコルクの木が大好きで、一日中木陰にすわって、花の匂いをかいでいました。

ふぇるじなんどのお母さんは、ひとりぼっちでさびしくはないかしらと、ときどき息子のことが心配になります。「どうして、おまえはほかの子どもたちと一緒にとんだりはねたりして遊ばないの」とたずねると、ふぇるじなんどは頭を振って、「ぼくはこうして、ひとり匂いをかいでいるほうが好きなんです」とこたえます──。

名作絵本の一冊です。絵は、鋭い描線でえがかれた線画。白と黒のコントラストが鮮やかです。このあと、大きく強いウシに成長したふぇるじなんどは、牛飼いに見こまれ、闘牛に出場するはめになってしまいます。「ふぇるじなんどは とても しあわせでした」という最後の一文が心に残る一冊です。小学校低学年向き。

2012年4月16日月曜日

ふたりの雪だるま












「ふたりの雪だるま」(M・B・ゴフスタイン/作 谷川俊太郎/訳 すえもりブックス 1992)

11月に入って、今年はじめての猛吹雪のあと、気温は零下にさがり、くる日もくる日も雪が降り続きました。やっと日が顔をだすと、私は弟と外にでて、「まず最初に雪だるまをつくるのよ」といいました。

〈私〉は、弟に雪だるまをつくるときのこつを教えます。大事なのは、新しい雪の上を転がすこと。そうしないと、泥や小枝がくっついちゃうよ――。

とてもシンプルで、でも心に残る、ゴフスタインの絵本です。絵はパステルをつかってえがかれた味わい深いもの。このあと、家にもどった〈私〉と弟は、雪だるまをつくったことを後悔します。もう夜になるというのに、雪だるまはひとりでいるからです。すると、それを聞いたお父さんは〈私〉と一緒に外にでて…とお話は続きます。カバー袖の文章によれば、ゴフスタインはアメリカのミネソタ州セント・ポールの町の生まれで、毎年弟の誕生日である11月7日には、その冬はじめての大雪が降ったそうです。大人向き。

2012年4月13日金曜日

ティモシーとおじいちゃん











「ティモシーとおじいちゃん」(ロン=ブルックス/作 むらまつさだふみ/訳 偕成社 1981)

おじいちゃんは、毎朝ティモシーを学校まで送ってくれ、午後には迎えにきてくれました。兄さんも妹も、仲のよい友だちもいないティモシーは、あまり学校が好きではありませんでした。朝の「発表の時間」、ほかの子どもたちはペットをクラスのみんなに見せたり、友だちとしたことを発表したりするのですが、ティモシーにはペットも、みんなに見せられるような素敵なものもありませんでした。

ティモシーはみんなにおじいちゃんのことを話たいと思い、学校におじいちゃんを連れていきます。でも、ティモシーもおじいちゃんも、どんな風に話をはじめたらいいのかわかりません。おじいちゃんは、ただ「みなさん、おはよう…」といったきりになってしまいます──。

絵は、線画。イギリスの田園といった風景が、素晴らしい雰囲気でえがかれています。このあと、ひとりで帰る途中、おじいちゃんはなにか思いつき、翌日、また教室にやってきて…と、お話は続きます。おじいちゃんの粋なはからいが、さりげなくえがかれた絵本です。小学校低学年向き。

2012年4月12日木曜日

おかあさんだいすき












「おかあさんだいすき」(光吉夏弥/訳・編 岩波書店 1983)

「おかあさんのたんじょう日」「おかあさんのあんでくれたぼうし」の2編が収録された絵本です。

まず、「おかあさんのたんじょう日」(マージョリー・フラック/絵)から。
あるところに、だにーという男の子がいました。きょうはお母さんの誕生日です。だにーはお母さんにあげるものをみつけにでかけました。

だにーはメンドリやガチョウやヤギやヒツジやウシに会って、「お母さんにあげるものはないかしら」とたずねます。そのたびに「それじゃ一緒になにかさがしにいきましょう」と、だにーと同行する動物が増えていきます。でも、山のむこうにいるクマさんには、みんな会いにいきたがりません。そこで、だにーはひとりで山にでかけていくのですが──。

マージョリー・フラックの絵は、少ない色数をたくみに組みあわせて見栄えのする画面をつくりだしています。文章はタテ書き。「そこで、だにーはと めんどりと がちょうと ひつじは、ぴょんぴょこ ぴょんぴょこ、かけて いきました」という、くり返し部分の躍動感が魅力的です。

もう一編は、「おかあさんのあんでくれたぼうし」(大澤昌助/絵)。
あるところに、あんでるすという男の子がいました。あんでるすは、お母さんが編んでくれた、とてもきれいな帽子をもっていました。帽子をかぶり、どこかへでかけたくなったあんでるすき、表へ散歩にいきました。

あんでるすは、兄さんの友だちから、ナイフと帽子をとりかえっこしようといわれます。でも、「だめ!」とあんでるすは断ります。御殿の舞踏会にいき、お姫さまから、首飾りと帽子をとりかえっこしようといわれても、まだうんといいません。このあと、王様に冠と帽子をとりかえっこしようといわれるのですが──。

絵は親しみやすい水彩。文章はタテ書き。2つのお話とも、最後、男の子はお母さんの胸に飛びこみます。ちなみに、「おかあさんのたんじょう日」の原書“ASK MR.BEAR”をみると、日本語版のレイアウトの巧みさに驚かされます。幼児向き。

2012年4月11日水曜日

ジオジオのかんむり












「ジオジオのかんむり」(岸田衿子/文 中谷千代子/絵 福音館書店 1980)

ジオジオはライオンのなかでも一番強いライオンでした。ジオジオの冠がちかっと光ると、だれでもこそこそかくれてしまいました。でも、白髪が生え、目がよくみえなくなってきたジオジオは、キリンを追いかけるのもシマウマを追いかけるのもいやになり、だれかとゆっくり話したくなっていました。

ある日、灰色の小鳥がやってきて「ジオジオの王さま、つまらなそうですね」と話かけてきます。「わたしもつまんないんです。6つもあったタマゴがみんななくなってしまったんですよ。3つはヒョウが盗んだんです。2つはヘビが飲みこんだんです。あと、ひとつは川に落っことしてしまったんです」。それを聞いたジオジオは、「あーっと、いいこと考えた。タマゴを生みたいならいいところがあるぞ」と、灰色の小鳥に耳打ちします──。

「かばくん」の作者たちによる絵本です。「かばくん」同様、文章は大変洗練され、ジオジオの造形はじつにみごと。さて、ジオジオが考えた「いいところ」とは、頭の上の冠のなか。灰色の小鳥は喜んで、そこにタマゴを生み、ぶじヒナをかえします。年をとったライオンが、小鳥に冠のなかを貸すという、どことなく愁いのきいた一冊です。小学校低学年向き。

2012年4月10日火曜日

たんじょうび









「たんじょうび」(ハンス・フィッシャー/作 福音館書店 1979)

森のそばの野原に、リゼッテおばあちゃんの家がありました。おばあちゃんは、オンドリを1羽、メンドリを6羽、アヒルを7羽、ウサギを8匹、それにヤギを1匹飼っていました。それから、マウリとルリという2匹のネコと、ベロという犬がいました。マウリとルリとベロは、うちの仕事もしましたが、ついでにいたずらもやりました。

さて、76歳の誕生日を迎えたおばあちゃんは、村へ買いものにいき、牧師さんの家で少しおしゃべりしてこようとでかけていきます。そこで、ベロとマウリとルリは、おばあちゃんの誕生日のお祝いをしようと、動物たちをあつめます──。

「ながぐつをはいたねこ」などで名高い、フィッシャーによる絵本です。絵は、軽妙な線でえがかれ、ところどころ着色されたもの。文章は現在形を多用し、絵と同様、いきいきしています。。このあと、ウサギたちはロウソクを76本買いにいき、メンドリたちはタマゴを36個生み、ヤギはテーブルに飾る花をつみ、マウリとルリとベロはケーキを焼いて…と、お祝いの準備をします。最後のページにいる子ネコは、きっと「こねこのぴっち」にでてくる、ぴっちなのでしょう。小学校低学年向き。

くいしんぼうのはなこさん











「くいしんぼうのはなこさん」(いしいももこ/文 なかたにちよこ/絵 福音館書店 1979)

ある日、お百姓の家に子ウシが生まれました。顔の真ん中に鼻がにゅっと突きでていたので、家のひとたちは、はなこという名前をつけました。

はなこはとてもわがままで、干し草をやれば干し草はいや、トウモロコシをやれば青いクローバーがほしいといいます。春になり、牧場に連れていかれたはなこは、ほかの子ウシたちと一緒にされます。「これで、はなこも大勢の友だちとつきあって少しはわがままも直るだろう」と、お百姓は思うのですが──。

絵は油絵でしょうか。ウシの造形が大変みごとです。このあと、子ウシたちはチャンバラをはじめ、はなこはそれに勝ち抜いて牧場の女王になります。おかげで、はなこはさらにわがままになるのですが、ある日おイモとカボチャを食べすぎて…とお話は続きます。石井桃子さんの落ち着いた語り口と、色鮮やかな絵が楽しい一冊です。小学校低学年向き。

2012年4月6日金曜日

ぞうのババール












「ぞうのババール」(ジャン・ド・ブリュノフ/作 やがわすみこ/訳 評論社 1976)

大きな森の国で、小さなゾウが生まれました。名前はババールといいました。ババールはすくすくと大きくなりましたが、ある日、母さんにおんぶしてもらって散歩していたところ、悪者の狩人があらわれて、母さんを撃ってしまいました。狩人につかまりそうになったババールは逃げだし、どんどん逃げて、とうとう町に着きました。

町についたババールは、大金持ちのおばあさんと出会います。ひとを喜ばせるのが大好きなおばあさんは、ババールに財布をくれます。そのお金で洋服をあつらえて、ババールはおばあさんと一緒に暮らしはじめます──。

「ぞうのババール」シリーズの1作目です。副題は「こどものころのおはなし」。絵は、線画に薄く着色された、お話によくあったもの。このあと、おばあさんの家で暮らして2年たったある日、ババールの前にいとこのアルチュールとセレストがあらわれます。いとこたちを歓待したババールは、2人と一緒に森に帰ることにして…とお話は続きます。最初こそ悲しい出だしですが、そのあとはあきれるほどなにもかもうまくいく読物絵本です。子どもはきっと、なにもかもうまくいくお話を読みたくなるときがあるのだと思います。小学校低学年向き。

2012年4月5日木曜日

くろうまブランキー












「くろうまブランキー」(伊東三郎/再話 堀内誠一/絵 福音館書店 1980)

原っぱの真ん中の小さなお百姓のところで、ブランキーという名前の真っ黒な子馬が生まれました。ブランキーは、お金持ちになった主人の家をつくるために、大きな石をはこんだ重い荷馬車を引きました。立派な家ができましたが、ブランキーは家のそとで寝ました。主人が、ブランキーのすむ小屋をつくってくれなかったからです。

ブランキーは年をとり、大きな荷物をはこぶことができなくなってしまいます。「このおいぼれ馬め!」と、主人に力一杯たたかれたブランキーは、道の上に倒れてしまうのですが――。

絵は、油絵のよう。このあと、その晩はちょうどクリスマスの晩だったので、ブランキーのもとに天からサンタクロースがやってきます。ブランキーはもう叩かれる心配をせず、サンタのそりを引くようになります。静かな印象のクリスマス絵本です。小学校低学年向き。

2012年4月4日水曜日

彼の手は語りつぐ












「彼の手は語りつぐ」(パトリシア・ポラッコ/作 千葉茂樹/訳 あすなろ書房 2001)

南北戦争に参加した、15歳の白人の少年シェルダンは、傷を負い、2日ほど草原で横たわっていました。すると、同じくらいの年の、シェルダンと同じ北軍の制服を着た黒人の少年があらわれました。少年はシェルダンを介抱し、「ひところにじっとしてたら敵に見つかっちまう。歩き続けないとだめなんだ」と、シェルダンをかつぎ上げ、よろめきながら歩きだしました。

身をかくすために地面に伏せるうちに、顔も口のなかも土まみれになりながら、2人は進みます。気がつくと、シェルダンはベッドに横たわっています。そこは、モーモー・ベイという黒人少年のお母さんの家。助けてくれた少年はピンクス・エイリーと名乗ります。「おまえさんの傷が治ったら、すぐここを発とう。おれたちがここにいると、モーモー・ベイがあぶないんだ」と、ピンクス・エイリーはいうのですが──。

南北戦争を題材にした絵本です。絵は、鉛筆による線画に、おそらくマーカーで色づけしたもの。本文は〈ぼく〉というシェルダンの1人称。本文の前後には、この物語の成り立ちが記されています。「わたしは、この物語が実話だということを知っています。シェルダン・ラッセル・カーティス本人が、娘のローザに語った話だからです。ローザ・カーティス・ストウェルは、その娘、エステラに語りつぎました。そして、エステラ・ストウェル・バーバーは、息子ウィリアムに。ウィリアムは、その娘パトリシア、つまりわたしに語ってきかせました」。物語はこのあと、過酷なできごとが待っています。小学校高学年向き。

2012年4月3日火曜日

ふしぎの森のミンピン












「ふしぎの森のミンピン」(ロアルド・ダール/作 パトリック・ベンソン/絵 おぐらあゆみ/訳 評論社 1993)

ビリーはずっと前から“あやまちの森”と呼ばれる大きな黒ぐろとした森を探検してみたいと思っていました。でも、ママはいいました。「あの森には、チヲスイ・ハヲヌキ・コナゴナニシテポイがいるの。そいつは鼻から熱い煙を吹きだしながら追っかけてくるの」。ビリーは、ママはぼくを怖がらせようとしているだけだと思いました。

ある日、ビリーは窓から抜けだし、“あやまちの森”に入りこみます。すると、荒あらしい鼻息の音が聞こえ、オレンジ色の煙がビリーのほうにむかってきます。あれが、チヲスイ・ハヲヌキ・コナゴナニシテポイなんだ、とビリーは命からがら逃げだすのですが──。

カバー袖の文章によれば、本書はロアルド・ダールが子どものために書いた最後の作品だということです。絵を描いたのは「よるのおるすばん」のひと。線画に水彩で着色された、とても細密にえがかれた絵は、じつに迫力と雰囲気があります。このあと、木によじ登ってバケモノをやりすごしたビリーの前に、ミンピンと呼ばれる小人たちがあらわれます。ビリーは、バケモノを退治する作戦を考え、ミンピンと協力し、白鳥の背に乗って…と物語は続きます。そして、バケモノを退治しても、まだまだミンピンとビリーの物語は続きます。印象的な絵とともに語られた、物語の楽しさに満ちた一冊です。小学校中学年向き。

2012年4月2日月曜日

はたらきもののじょせつしゃけいてぃー











「はたらきもののじょせつしゃけいてぃー」(バージニア・リー・バートン/作 いしいももこ/訳 福音館書店 1987)

けいてぃーは、キャタピラのついている、赤い立派なトラクターでした。いろんな部分品をつけると、ブルトーザーになったり、除雪車になったりしました。ジェオポリスという町の道路管理部ではたらいていて、夏のあいだはブルトーザーになって道を直し、冬になり、雪が降ると、部品をとりかえ除雪車となりました。

冬、雪が降りはじめましたが、まだ少しなので、けいてぃーの出番にはなりません。でも、ある日、とうとう大雪が降り、けいてぃーの出番がやってきます。出動したけいてぃーは、雪の下に埋もれたジェオポリスの町を、どんどんかき分けていきます──。

「ちいさいおうち」で名高いバートンによる絵本です。本書もまた古典として知られています。作中、ジェオポリスの地図やトラクターの種類などが細ごまえがかれていて、みているだけで楽しくなります。町のひとたちは、みんなけいてぃーを頼りにしていて、警察も郵便屋さんも消防署も、「頼みます!」というと、けいてぃーは「わたしについてらっしゃい」とこたえます。物語はこびも、レイアウトも非常に工夫され、見所が満載。くたびれても仕事を投げださない、はたらきもののけいてぃーに感心することうけあいの一冊です。小学校低学年向き。

余談ですが、けいてぃーは原文では“She”がつかわれています。「マイク・マリガンとスチーム・ショベル」にでてくる、スチーム・ショベルのメアリーアンも“She”ですし、「いたずらきかんしゃちゅうちゅう」のちゅうちゅうも“She”がつかわれているので、女の子のようです。