2010年6月24日木曜日

まのいいりょうし












「まのいいりょうし」(瀬田貞二/再話 赤羽末吉/絵 福音館書店 1975)

昔、あるところに猟師と息子がありました。ある朝、息子の7つのお祝いに山のものでもとっってこようと、猟師がなげしにかけた鉄砲をおろそうとしました。が、うっかり落としてしまい、鉄砲は下にあった石臼にガチンとぶつかり、筒がへの字に曲がってしまいました。「おとっつあ、きょうはげんがわりい、あさみ(夜明けの猟)に、どうぞ、いかねえでくろ」と息子は引きとめましたが、猟師は「臼に当たればこそ、大当たりよ」と、すたすたでかけていきました。

さて、猟師が池にいたカモの群に狙いをさだめて鉄砲を撃つと、13羽のカモすべてに命中します。カモをつかまえに池に入ると、驚いたコイが跳ね、岸のやぶのなかに落ちていき、それを追いかけて池からあがろうと岸の木の根をつかむと、それがウサギで、逃げようとしたウサギは前足でやまいもを15本掘り返し──。

と、まだまだ話は続きますが、すこぶる運のよい猟師のお話。この愉快なお話を、赤羽末吉さんが大らかにえがいています。小学校低学年向き。

余談。
この作品が発表された「こどものとも」増刊号の付録、「絵本のたのしみ」には、作者たちの文章が載っています。瀬田貞二さんの文章は「まのいいりょうしつけたし」という題。それによれば、この話は、まず「母の友」(1960年10月号)に佐藤忠良さんの絵で載せられ、それから、「日本むかし話」(学研 1971)に、瀬川康男さんのさし絵で収録され、今回の赤羽末吉さんで、3度目のお目見えになるそうです。「これこそ「まのいい話」にちがいありません」と、瀬田さんは書いています。

さらに、瀬田さんは「まのいいりょうし」の楽しさについて、こう書いています。

「わたしはむかしから、この物語の躓きのないめでたさが大好きで、「まのいいりょうし」をひいきにしてきました。たいていの場合、まのいいやつは、きまって軽薄で、さいごにはまがわるくなるものなのですが、この猟師にかぎっては天衣無縫、天佑神助がその素朴な頭に宿ったようで、もっとおのずから福がさずかってもいいような気がするくらいです。いくらまがいいといっても、物臭太郎や馬喰八十八のように位人臣をきわめたり、浮世の栄華をかちえたりはしないで、曲がった鉄砲でせいぜい山の幸を足るほどに恵まれるのですから、めでたいのです」

「絵本はみるもの」と題された赤羽末吉さんの文章は、直接「まのいいりょうし」とは関係のないものですが、赤羽さんの絵本観がうかがえて面白いものです。興味深かったところを2、3引用してみます。

「わたしは文章と絵とが、ダブる必要はないとよくいったりしますが、その話の発端や、そのドラマのポイントになるような重要な場面は、くどいぐらいダブらしていいのではないかと思うようになりました」

「最近、梶山俊夫くんが講談社の絵本賞をもらうことによって「いちにちにへんとおるバス」というおもしろい絵本を手にしました。
(中略)
(この絵本は)全編(梶山俊夫さんが描く独特の)山とバスだけで構成された話なのです。いささか写実派の人だったら、視覚的に単調なのでアゴをだすところなんでしょうが、そこは梶山独特のおしてつぶしてひねったような人物群でおもしろくみせてのりきっています」

「けれども、絵本かきのわたしは、たぬきがいっぱいエッサカホッサカ雪かきをしている場面をかくようなストーリーにしてもらいたかったと思わずにはいられません。読者の子どもも、きっと手紙の文面だけでなく、たぬき群の活躍の場面を自分の眼で確認したいだろうと思われます。もしその場面がはいれば、山とバスだけの単調さの中にあって、動きのある大きな山場になって、変化もあるいっそう楽しい絵本になったのではないかと、絵本かきの勝手なモウソウは続きます」

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