2011年2月14日月曜日

スーホの白い馬










「スーホの白い馬」(大塚勇三/再話 赤羽末吉/絵 福音館書店 1967)

昔、モンゴルの草原に、スーホという貧しい羊飼いの少年がいました。年とったおばあさんと2人きりで暮らしていて、大人に負けないくらいよくはたらきました。ある日、暗くなってもスーホが帰ってこないことがありました。おばあさんも、近くに住む羊飼いもどうしたものだろうと心配していると、スーホはなにか白いものを抱きかかえてもどってきました。それは生まれたばかりの、小さな白い馬でした。

スーホは白い馬を大変可愛がります。白馬(しろうま)は立派に育ち、ある晩、ヒツジを襲いにきたオオカミを1頭で立派に防ぎます。月日は飛ぶようにすぎ、ある年の春、殿様が町で競馬の大会を開き、一等になった者には殿様の娘と結婚させるというお触れをだします。スーホは羊飼いたちにすすめられ、大好きな白馬にまたがって、競馬の開かれている町へとむかいます。

馬頭琴の由来を語った、モンゴルの民話をもとにした絵本です。横長の画面を生かし、広大な草原を見事にえがきだしています。

「こどものとも」の折りこみ付録「絵本のたのしみ」に載せられた、「私の絵本づくり」という文章で、赤羽さんは「スーホの白い馬」について触れています。それによれば、満州でジンギスカン廟の壁画の一部を依頼された赤羽さんは、風俗研究のため内蒙古に入り、そこで、「地球の半分がいっぺんにみられるような」雄大なスケールの草原に感激したということです。そして、いつか蒙古を舞台にした大作を描きたいと思い、「少しだけ大げさにいえば命がけ」で、禁じられていたスケッチや写真をひそかにもち帰ったそうです。後年、絵本を描くようになった赤羽さんは、「日本の子どもに蒙古をみせたい、私の感激をわかちあいたい」と思うようになり、大塚勇三さんの原稿を得てつくられたのが、この「スーホの白い馬」だということです。

「あらゆることにすぐれている日本人にたった一つ欠けたものは、スケールだと思うが、こんな天地のあることを日本の子どもに知ってほしかった」

ちなみに、「こどものとも」として発表された「スーホのしろいうま」と、絵本の「スーホの白い馬」は、絵も文章もずいぶんちがっています。読みくらべると、「畢生の作にしよう」という、赤羽さんの意気ごみが伝わってきます。小学校低学年向き。

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