2010年8月31日火曜日

ねぼすけはとどけい












「ねぼすけはとどけい」(ルイス・スロボドキン/作 くりやがわけいこ/訳 偕成社 2007)

スイスの山奥にある小さな村に、小さな時計屋がありました。店の鳩時計は毎時間、規則正しく鳴きました。ですが、一羽の鳩時計だけは、いつも決まってほかの鳩より遅れて鳴きだしました。ある日、ガラビア国の王様が、ゾウに乗った召使いを大勢つれて、なにかおみやげはないかとこの村にやってきました。

時計屋の前で、鳩時計が3時を打つのを待っている村の子どもたちを見つけた王様は、時計屋をのぞきこみ、鳩時計をすっかり気に入ってしまいました。しかも、店にある鳩時計の数は123個。自分を入れて、ちょうど親戚にあげるぶんだけあります。王様が、全部買うぞと、時計屋のおじいさんに告げると、店のなかの鳩時計がいっせいに鳴きだしました。でも、一羽の鳩時計だけが、遅れて鳴きはじめて…。

遅れて鳴きはじめた鳩時計をみた王様は、一羽だけ正しいのか、それとも一羽だけまちがっているのかと考え、全部買うのはやめだといいだします。そこで、おじいさんは、正確でないのは一羽の鳩時計だけなこと、あの時計は明日の朝までに直しておくことを王様に約束しますが──。

「百まいのドレス」のさし絵などで高名な、ルイス・スロボドキンによる読物絵本です。なぜ、この鳩時計は遅れてしまうのでしょう。そして、おじいさんはどうやって時計を直すのでしょうか。ラスト、だれもが納得する絶妙な解決が待っています。小学校低学年向き。

2010年8月30日月曜日

北の魔女ロウヒ












「北の魔女ロウヒ」(バーバラ・クーニー/絵 トニ・デ・ゲレツ/原文 さくまゆみこ/編訳 あすなろ書房 2003)

遠い北の国にロウヒという魔女が住んでいました。ある朝、目をさましたロウヒは雪が降っているのを見ると、スキーをはいてでかけることにしました。でも、ロウヒは魔女。いつのまにか、スキーは地面をはなれ、ロウヒは空を飛んでいました。

やがてロウヒは、ワイナモイネンが石に腰をかけて、カンテレ(フィンランドの伝統的な楽器。木の胴に張った弦を指ではじいて音をだす)を弾いているのに出会いました。美しい楽の音に、森のけものや、鳥や魚、太陽や月までもがあつまってきました。すると、それまで隠れていたロウヒは、いたずら心を起こし、ワシに姿を変えると、太陽と月をつかんで飛び去ってしまいました。

こうして、ロウヒが太陽と月をあかがね山に閉じこめてしまったので、世界は暗闇に沈んでしまいます。ワイナモイネンは、鍛冶屋に太陽と月をつくってほしいとお願いし、鍛冶屋は金から月を、銀から太陽をつくるのですが、金の月も銀の太陽もちっとも輝きません。いきりたった鍛冶屋は、鉄の首輪と鎖をこしらえて、月と太陽を盗んだ泥棒を捕まえようとしますが──。

フィンランドの民族叙事詩「カレワラ」をもとにした絵本です。訳者あとがきによれば、ロウヒがいたずらな魔女に描かれている点や(原典ではもっとよこしまな魔女)、月と太陽をつくってほしいと鍛冶屋に頼むのがワイナモイネンである点など(原典では若い娘たち)、ところどころに変更がほどこされているようです。クーニーはこの絵本でも、様式的でかつ実感がともなった、叙事詩にふさわしい見事な仕事をしています。小学校中学年向き。

2010年8月27日金曜日

りすがたねをおとした

「りすがたねをおとした」(ハリス・ペティ/作 わたべようこ/訳 ペンギン社 1978)

マザーグースの「ジャックがたてた家」や、絵本の「これはのみのぴこ」(谷川俊太郎/作 和田誠/絵 サンリード 2007)と同趣向の絵本です。リスが落としたサクランボの種が、芽をだし、男の子の手で植え代えられ、雨が降り、日が照って、芽は木になり、花を咲かせる──。物語の進展にともない、どんどん文章が積み上げられていきます。

「りすが たねをおとした」ではじまった文章は、じきにこんな具合になります。

「りすが たねをおとした。
 そのたねから めがでた。
 そのめを おとこのこが うえかえた。
 そのめに あめとたいようが そそいで、きがのびた。
 そのあめとたいようが、つちのなかのむしたちを そだてた。
 そのむしが つちをこやした。
 そのつちに、のびたきが ねをはった。
 そのきに、はながさいた」

これで終わりではありません。お話はまだ続きます。

絵は、線画にフラットな色づけをほどこしたもの。少々バタ臭いと感じる向きもありそうです。巻末に、「さくらんぼタルトのつくりかた」が載っています。小学校低学年向き。

2010年8月26日木曜日

ちへいせんのみえるところ












「ちへいせんのみえるところ」(長新太/作 ビリケン出版 1998)

曇り空の下に地平線のみえる草原があります。「でました」ということばとともに、男の子があらわれます。つぎの「でました」では、ゾウが。その次の「でました」では、なんと火山が。その次の「でました」では──。

文章は「でました」の一語のみ。ページをめくると、「でました」のことばとともに、次から次へと奇想天外なものがあらわれます。子どもに読んで聞かせると、なぜか大受けします。おそらく、長新太さんの最高傑作の一冊です。小学校低学年向き。

以下は余談。
ミネルヴァ書房から発刊されている雑誌「発達」の2004年夏号(99号)には、「子どもと本の出会い」という大変読みごたえのある特集が掲載されています。そのなかの一編、佐々木宏子さんによる「新しい絵本と子どもの発達」に、「ちへいせんのみえるところ」を読んだ男の子の反応が紹介されています。

1歳2ヶ月になるその男の子が「ちへいせんのみえるところ」に出会ったのは外出先の喫茶店。母親がその店に置いてあったこの絵本をなにげなくみせたところ、最初こそ無反応でしたが、「でました」とともに絵本のなかに男の子があらわれると、突然大笑いをしたそうです。その後、「でました」とページをめくるたびに笑いは爆発的になり、喫茶店の客に、なにごとかと思われたそう。

佐々木さんが、この男の子の様子をみる機会を得たのがそれからひと月後。男の子が「ちへいせん…」に惹かれるのは、「でました」という言葉のリズムではないかと考えた佐々木さんは、母親に図鑑風の絵本で「でました」といって読んでもらいます。ですが、男の子は不思議そうな顔をするだけでした。

ところが、「ちへいせん…」を読んでもらうと、その男の子は「でました」という言葉にあわせて、

「身体をギュッと締め、さもおかしそうに「アハッ」とか「キエッ」という奇声に近い声を上げていました」

「とくに、象や鯨、氷の上のペンギン、水たまりのなかの小さな魚などの場面になると、「そうだこれなんだよなこれが現れたんだよ、おかしいじゃないか」といわんばかりの表情で、そのページをドンと手でたたきました」

…そう、「ちへいせん…」を読むと、「そうだこれなんだよなこれが現れたんだよ、おかしいじゃないか」といいたくなります。

なお、絵本作家の五味太郎さんと編集者小野明さんによる絵本についての対談集、「絵本をよみつづけてみる」(平凡社 2000)にも、「ちへいせん…」をとり上げた1章があります。

2010年8月25日水曜日

まちねずみジョニーのおはなし












「まちねずみジョニーのおはなし」(ビアトリクス・ポター/作 いしいももこ/訳 福音館書店 2002)

田舎のねずみチミーは、ある日、町へはこばれる野菜のかごに入りこみ、豆をいくつか食べているうちに、ぐっすり眠りこんでしまいました。気がつくと、かごは馬車にのせられ、何キロもはなれた町の一軒の家にはこばれていきました。怖くて怖くて死にそうだったチミーは、コックさんが野菜かごを開けたとき、ぴょんとかごから飛びだして、壁の小さな穴に逃げこみました。そして、ネズミたちがパーティーをしているテーブルの真ん中に、転がり落ちてしまいました。

ピーターラビットの絵本の一冊です。「まちのねずみといなかのねずみ」を、作者がじつに作者らしくアレンジしています。とくに、野菜かごをつかって、田舎と町をいききするアイデアが秀逸です。話の最後には、イソップ寓話のように教訓(というか感想)がそえられています。引用してみましょう。

「あるひとは あるばしょがすきで
 またべつなひとは べつなばしょがすきです。
 わたしは どうかといいますと
 チミーとおなじように いなかにすむほうがすきです。」

小学校中学年向き。

2010年8月24日火曜日

まちのねずみといなかのねずみ









「まちのねずみといなかのねずみ」(イソップ/原作 ポール・ガルドン/絵 木島始/訳 童話館出版 1997)

昔、田舎のネズミのところに、王様の宮殿に住む友だちが訪ねてきました。田舎のネズミは大喜びで、チーズやベーコンやとれたばかりの小麦やトウモロコシで、友だちをもてなしました。すると、町のネズミはいいました。「ほんとうに、まあ、よくきみはこんなにぱっとしないところで、こんな田舎の食べもので元気にしておれるなあ。これじゃあのんびりしすぎだよ」。そこで、田舎のネズミは、町のネズミと一緒に宮殿にいってみることにしました。

ご存知、「まちのねずみといなかのねずみ」のお話です。このあと、田舎のネズミは宮殿のごちそうに舌つづみを打ったものの、犬やネコや人間に、さんざんに脅かされます。

岩波文庫の「イソップ寓話集」(1999)には「田舎の鼠と都会の鼠」としてこの話が収録されています(話数243番)。イソップ寓話には、話の最後にいつも教訓がそえられているのですが、この話にはこんな教訓がつけられています。

「この物語が明かすのは
 質素に暮らして 不安なく 生きていく方が
 恐怖の中に苦しんで 贅沢するより 優っているということだ」

小学校低学年向き。

2010年8月23日月曜日

月夜のみみずく












「月夜のみみずく」(ジェイン=ヨーレン/詩 くどうなおこ/訳 ジョン=ショーエンヘール/絵 偕成社 1989)

冬の夜、みんなが寝静まったころ、わたしはお父さんとみみずくを探しに森へむかいました。風はぴたりとやんで、木はまるで大男の銅像のよう。月の光がきらきらこぼれて、空一面にまぶしく、はるか遠くで汽車が汽笛を鳴らしました。松の森についた父さんは、「ほうーほう ほ・ほ・ほ ほーーーう」と、みみずくの歌声で呼びかけました。でも、返事はありません。そこで、わたしと父さんは、さらに森のなかに入っていきました。

わたしはじっと黙ったまま、父さんのあとをついていきます。みみずくに会いたければ静かにしなくてはいけません。父さんが再び呼びかけると、山びこのように返事が返り、みみずくの形をした影がふわりと飛んできて──。

文章は〈わたし〉の一人称による詩です。少し引用してみましょう。

《雪は しゃりっと こおってた
 ふたりの足音も しゃりしゃりいった
 足あとは 灰いろの ちいさなくぼみ
 ふたりのうしろに てんてんてん
 とうさんの影は ほっそり長い
 わたしの影は ちんまりまるい
 とうさんのあと おいかけて
 ときどき ちょっと はしったら
 ちんまりまるい 影ぼうしも
 わたしのうしろで
 はねていた》

絵は水彩。冬の夜、森のなかを歩いてみみずくに会いにいくという話を、臨場感たっぷりに描いています。1988年コールデコット賞受賞作。小学校中学年向き。

2010年8月20日金曜日

フーベルトとりんごの木












「フーベルトとりんごの木」(アルブレヒト・リスラー/絵 ブルーノ・ヘヒラー/文 講談社 2001)

ある小さな町のはずれに住んでいるフーベルトは、自分の庭に生えている大きなりんごの木が大好きでした。毎朝、起きてりんごの木を見るだけで心がはずみ、夕方仕事から帰ってきてりんごの木を見ると、ほっとした気持ちになりました。りんごの木は、春になれば花を咲かせ、夏には寝転ぶのにちょうどいい木陰をつくりました。フーベルトはだんだん年をとっていきましたが、毎日りんごの木を見る楽しみは変わりませんでした。たまに、近所のいたずらっ子たちがこっそりりんごをもぎとっているのをみつけると、笑ってこう叫びました。「そのりんごはとびきりおいしいぞ!」

ところが、ある秋の夜、嵐がやってきて、りんごの木はカミナリに打たれ、幹が裂けてしまいます。それから、わずかに花を咲かせたものの、りんごの木はかつての美しさをとりもどすことはありませんでした。そこで、フーベルトは──。

年をとったフーベルトと、同じく年をとったりんごの木のお話です。パステルで描かれた絵に、しみじみとした風情が漂います。小学校中学年向き。

しらゆきべにばら












「しらゆきべにばら」(グリム/原作 バーバラ・クーニー/絵 鈴木晶/訳 ほるぷ出版 1995)

昔、夫をなくした貧しい女のひとが、ふたりの娘と暮らしていました。庭にはバラの木が2本あり、1本は白バラ、もう1本は紅バラでした。娘たちはそのバラに似ていたので、ひとりはしらゆき、もうひとりはべにばらと呼ばれていました。ふたりは、とてもよい子で、よくはたらき、いつも陽気でした。

ある晩、3人がいつものように家のなかで座っていると、だれかがせわしなくドアを叩きました。べにばらが、可哀想なひとが立っているのだろうと思いドアを開けると、そこにはクマが立っていました。3人がおびえると、クマがいいました。「こわがらないでください。なにもしませんから。寒くて凍えてしまいそうなので、火のそばで暖まりたいだけなんです」

その日から、クマは毎日やってきて子どもたちの遊び相手になります。しらゆきもべにばらもよくクマになつくのですが、春がくるとクマはこなくなってしまいます。それから、しばらくしてふたりは森で、木にひげをはさまれた小人に出会います。しらゆきがハサミでひげを切って、助けてあげるのですが、恩知らずにも小人は文句ばかりいって去っていき──。

グリム童話をもとにした絵本です。このあと、クマの話と小人の話は思いがけなくつながります。巻末の解説によれば、このお話は「グリム童話」の第3版ではじめて収録されたそうです。口伝えの昔話を採集したのではなく、カロリーネ・シュタールというひとが書いた「恩知らずの小人」というお話を、グリム兄弟、とりわけウィルヘルム・グリムが結末を創作して、一遍の物語として仕立て直したと考えられているそうです。クーニーの絵は、わずかに色彩をつかった上品なモノクロ調のもの。しらゆきとべにばらが大変かわいらしく描かれています。

2010年8月18日水曜日

2ひきのいけないアリ












「2ひきのいけないアリ」(C.V.オールズバーグ/作 村上春樹/訳 あすなろ書房 2004)

1匹のアリが、きらきら光る美しいクリスタルを抱えて巣にもどってきました。それを召し上がった女王アリがいいました。「こんなにおいしいものは、生まれてこのかた食べたことがありません。私が望むのは、これをもっと食べることです」。そこで、アリたちはクリスタルをみつけたアリを先頭に、夕暮れ前に巣穴を出発しました。

アリたちは森のなかを行進し、果てしない壁を這いのぼり、窓から人家に侵入して、みんなでクリスタルをもち帰ります。ところが、2匹のアリは帰ろうとしません。「ぼくらはここに残って、毎日好きなだけクリスタルを食べることもできるんだよね」と、2匹はうごけなくなるまでクリスタルを食べ、お腹いっぱいになって眠ってしまいます。すると──。

絵は版画風(版画?)でグラフィカル。オールズバーグの用いる構図は、いつも静かでありつつ劇的です。このあと、単独行動をとった2匹のアリたちは、矢継ぎ早に災難に出くわします。絵も文章も、はっきり書かずにほのめかす手際が大変巧みです。小学校中学年向き。

余談ですが、本書には村上訳以前に、木島始さんによる翻訳、「くいしんぼうのあり」(ほるぷ出版 1989)があります。作者名も「C.V.オールズバーグ」ではなく、「クリス・バン・オールスバーグ」という表記なので、ネットなどでは検索しづらいかもしれません。木島さんと村上さんの訳文はだいぶちがっていますので、冒頭をくらべてみましょう。

村上訳
「ニュースは、トンネルからトンネルへと、アリたちの世界をかけめぐりました。一ぴきの探しアリが素晴らしいものを見つけて、巣に戻ってきたのです。きらきらと光る美しいクリスタルをひとつ抱えていました。探しアリがそのクリスタルを女王アリに差しあげると、女王様はこりっとひとかじりし、それからあっという間に丸ごと召しあがってしまいました。」

木島訳
「すごいしらせが やってきた
食べものさがしに いったアリが
きれいな きらきら光るもの もってきて
女王アリに はいどうぞと さしだしたら
女王は かりり かりかりかりっと 食べてしまった」

2010年8月17日火曜日

月へミルクをとりにいったねこ












「月へミルクをとりにいったねこ」(アルフレッド・スメードベルイ/作 たるいしまこ/絵 ひしきあきらこ/訳 福音館書店 1996)

あるところに、母さんネコと4匹の子ネコが暮らしていました。母さんネコは子ネコたちを立派なネコにしようと、栄養たっぷりの牛のミルクを毎日たくさん飲ませました。ところが、ある日大変なことが起こりました。ネコたちの住んでいる農家の、雌牛の乳がでなくなってしまったのです。

母さんネコが犬小屋の屋根にうずくまって困っていると、犬がミルクのあるところを教えてくれます。それは月。月には、おじいさんとおばあさんが桶をはこんでいる姿が浮かんでいますが、あの桶にはミルクが入っているのです。ネコは、途中で出会ったブタやオンドリや子牛と一緒に、月にむかって走り続けますが──。

物語が進むにつれ、仲間たちはどんどん脱落していきます。ですが、母さんネコだけは頑固一徹、決してあきらめません。そのおかげで、月にはたどり着けなかったものの、ぶじにミルクにありつきます。日本では、月にいるのはウサギですが、北欧(作者はスウェーデンのひと)では、月にいるのはおじいさんとおばあさんなのでしょうか? 絵は柔らかいタッチのもので、月夜の感じがよくでています。小学校低学年向き。

がちょうときつね












「がちょうときつね」(ジャック・ケント/作 いしざわひろこ/訳 リブリオ出版 2002)

ある日、森のなかでジョギングをしていたガチョウは、同じくジョギングをしていたキツネに出会いました。「おはよう!」とガチョウが元気よく声をかけると、キツネはこたえました。「ばかなガチョウめ! もう朝じゃないんだぞ!」。たしかに、日は高くのぼっています。「自分が馬鹿と知らないなんて、ほんとに大馬鹿だ!」

さて、しばらくするとガチョウは叫びました。「あぶない! にれの木が倒れてくるわ!」「馬鹿なガチョウめ、これはかしの木っていうんだぞ」。そういうと、キツネはかしの木の下敷きになってしまいました。ガチョウが穴を掘ってキツネを助けてやると、キツネはこういいました。「にれの木と、かしの木のちがいもわからないなんて、馬鹿なやつがいるもんだ!」

以後は同じパターンのくり返し。キツネはワニに食べられ、ワシにさらわれ、キツネ狩りの一団に出会いますが、そのたびにガチョウに助けられます。それでも、威張っているキツネがおかしいです。小学校中学年向き。

2010年8月13日金曜日

おじいさんならできる












「おじいさんならできる」(フィービ・ギルマン/作・絵 芦田ルリ/訳 福音館書店 1998)

ヨゼフが赤ちゃんのとき、おじいさんが素敵なブランケットを縫ってくれました。でも、ヨゼフが大きくなると、素敵なブランケットはだんだん古くなっていきました。「もう捨てちゃいましょうね」というお母さんに、ヨゼフはいいました。「おじいちゃんならきっとなんとかしてくれるよ」。おじいさんは、ブランケットを受けとると、よーくながめ、ハサミでちょきちょき切り、針でちくちく縫って、素敵なジャケットをつくりました。ところが、ヨゼフはだんだん大きくなり、ジャケットはすっかり短くなってしまいました。そこで──。

以下はくり返しです。おじいさんはこのあと、ベスト、ネクタイ、ハンカチ、ボタンと、ブランケットを仕立て直していくのですが、ついにボタンもなくなる日がやってきます。が、そのあとに洒落たラストが待っています。絵は、よく描きこまれていて見どころがたくさんあるもの。絵の下部に描かれている、床下のネズミ一家が、ブランケットの端切れをちゃっかり服やカーテンや布団にしているのがおかしいです。小学校低学年向き。

2010年8月12日木曜日

でてきておひさま











「でてきておひさま」(堀内路子/再話 堀内誠一/絵 福音館書店 2004)

あるとき、大きな黒雲が空をおおっって、おひさまが3日もでてこなくなりました。そこで、ひよこたちはおひさまを探しにいくことにしました。「どこにみつけにいくつもり?」とメンドリのお母さんがたずねると、ひよこたちはいいました。「知らないけれど、会ったひとに訊いていくよ」

9羽のひよこたちは、まずキャベツに住んでいるかたつむりにカササギを紹介してもらいます。それから、ウサギ、カモ、ハリネズミを訪ね、みんなで雲にのってお月様を訪ね、ついにお日様の家にたどり着きます。お日様は、3日も黒雲がかぶさったせいで真っ黒だというので、みんなはお日様を思い切り洗うことになり──。

「こどものとも年中向き」(2009年10月号通通巻283号)。スロバキア民話をもとにした絵本です。ひよこたちのしぐらが可愛らしく、クライマックスは大変盛り上がります。この本の作者、堀内路子さんと堀内誠一さんはご夫婦ですが、付録の「絵本のたのしみ」によれば、夫婦でつくった絵本はこの1冊だけだということです。小学校低学年向き。

2010年8月11日水曜日

アリババと40人の盗賊












「アリババと40人の盗賊」(馬場のぼる/作 こぐま社 1988)

昔、ペルシャのある町に、ふたりの兄弟が住んでいました。兄の名はカシム、弟の名はアリババといいました。ふたりはもともと貧しい育ちでしたが、兄のカシムのほうはお金持ちのお嫁さんをもらい、市場にちょっとした店をもつ身分になりました。いっぽう、弟のアリババは、貧乏な家の娘さんをもらったので、貧乏なままでした。

ある日、売りものにする薪をあつめに森にいったアリババは、40人もの盗賊の一団がやってくるのに出くわしました。盗賊たちはてんでに盗品をかかえ、森のかげの大岩のまえに集合し、かしらとおぼしき者が岩壁にむかい妙な呪文をとなえました。「開けェ、胡麻!」。すると、岩の壁にぽっかり大きな洞穴があらわれました。

──ご存知、アリババと40人の盗賊のお話。盗賊が去ってから、アリババはこっそり洞穴に入り宝を少々いただいてくるのですが、宝を手に入れたことをカシムの奥さんに見抜かれてしまいます。そこで、こんどはカシムが10頭ものロバをつれて洞穴にいくのですが、なかに入ったものの呪文を忘れてしまい、帰ってきた盗賊たちに殺されてしまいます。

このあたりまでが前半。後半は、宝をとりもどそうとする盗賊と、それをふせごうとするカシム家の賢い女奴隷モルジアナとの駆け引きが話の中心になります。馬場のぼるさんの絵は、いつもながらユーモラス。でも、お話はしっかりしています。小学校中学年向き。

2010年8月10日火曜日

マンゴーとバナナ












「マンゴーとバナナ」(ネイサン・クマール・スコット/文 T.バラジ/絵 なかがわちひろ/訳 アートン 2006)

インドネシアのジャングルに住む、まめじかのカンチルは、サルのモニェと一番の仲良しでした。あるとき、カンチルがいいました。「ねえモニェ、食べものを探しまわらなくても手に入れる方法があるんだよ。人間みたいに好きな果物の木を植えて育てればいいのさ」。そこで、カンチルはマンゴーの木を、モニェはバナナの木を植えました。

さて、待って待って待ち続けて、とうとうバナナとマンゴーに食べごろの実がなりました。ところが、いまになって気づいたのですが、まめじかのカンチルは木にのぼれません。そこで、モニェがマンゴーとバナナを両方もいできて、2人で半分こにすることにしました。ところが──。

バナナの木にのぼったモニェは、ついついバナナを全部食べてしまいます。カンチルはとても腹を立て、「マンゴーはぜんぶぼくのものだ。さあ、木にのぼってもいできておくれ」というのですが、マンゴーの木にのぼったモニェは、またしてもマンゴーを食べはじめてしまいます。そこで、カンチルは一計を案じるのですが…。

インドネシアの民話をもとにした絵本です。副題は「まめじかカンチルのおはなし」。訳者あとがきによれば、まめじかはインドネシア民話では、トンチのあるところを見せる人気者だそうです。この絵本でも、カンチルはうまくモニェを出し抜きます。また、本書の絵は、カラムカリと呼ばれるインドの伝統的染色芸術(インド更紗)によってつくられており、巻末にはそのつくりかたが紹介されています。小学校低学年向き(ただし、インド更紗の解説は大人向きです)。

2010年8月9日月曜日

まじょのかんづめ









「まじょのかんづめ」(佐々木マキ/作 福音館書店 1999)

女の子と犬が、いつものように森へ遊びにいくと、見たことのない家が建っていました。窓からそっとのぞいてみると、なにか彫刻のようなものが置いてあるのがみえました。女の子と犬が、家のなかに入ってみると、どこからか、「たすけてくれえ」というちっちゃな声が聞こえてきました。

声は、台所にあるかんづめから聞こえてきます。そこで、女の子が缶切りをつかって、かんづめをひとつ開けてみると、なかから象があらわれれます。次のかんづめを開けるとクマが、その次はブタが。いったい、だれがこんなことをしたのでしょう──。

佐々木マキさんの、シンプルかつユーモラスな絵が楽しい一冊です。バーゲンにでかけていて家を留守にしていたとおぼしき魔女も憎めません。小学校低学年向き。

2010年8月6日金曜日

年をとったひきがえる












「年をとったひきがえる」(バーニース・フレシェット/文 ロジャー・デュボアザン/絵 はるみこうへい/訳 童話館出版 2001)

暑い夏の日、年をとったひきがえるが岩の上にうずくまっていました。赤い色のリスが枝から枝へと飛びうつり、太ったヤマアラシが林の小道をのぼっていくのがみえました。それに、小さなシカが水を飲むのがみえましたし、キツツキがかえでの木をコツコツと突っつくのが聞こえました。ですが、年をとったひきがえるには、池の岸にそってゆっくりと歩いてくるサギの姿はみえませんでした。

お腹をすかせたサギは、ゆっくりと注意深くひきがえるに近づいていきます。ひきがえるは眠っているようにみえますが──。

のどかな風景のなか、カエルがサギに食べられそうになる、という絵本です。じわじわと近づいてくるサギが、たまらなく緊張感があります。でも、コラージュでできた絵は、むしろ静かな印象です。見返しの、水中からサギを見上げるひきがえるの悠ゆうとした態度が魅力的です。小学校低学年向き。

2010年8月5日木曜日

生命の樹












「生命の樹」(ピーター・シス/作 原田勝/訳 徳間書店 2005)

副題は、「チャールズ・ダーウィンの生涯」。「ダーウィン」と同じく、ダーウィンの生涯を絵本にしたものです。押さえている伝記的事実のポイントは「ダーウィン」とほとんど変わりありませんが、表現の仕方はまるでちがいます。オーソドックスな「ダーウィン」に対し、「生命の樹」は絵も文章もずいぶん散らかっていて、その散らかり具合が魅力的です。この絵本の魅力は細部にあり、いったん手にとって読みはじめるとなかなかやめることができません。

また、「ダーウィン」とちがうところは、ビーグル号の航海が、精緻な絵とともに詳しくえがかれているところです。航海から帰ってきたダーウィンの生活を、本書では、「公(おおやけ)の生活」「私生活」「秘密の生活」の3つに分けています。「秘密の生活」とは、もちろん進化論についての思索のこと。最後に、この本から末尾にあるダーウィンのことばを引用しましょう。

《たとえ自分ではどんなに気に入っている仮説でも(しかも、わたしはあらゆる問題について仮説をたてずにはいられないのだが)、それに反する事実が明らかになれば、すぐにその仮説をすてられるよう、つねに心を自由にしておく努力を重ねてきた》

2004年ボローニャ国際児童図書展ノンフィクション大賞受賞。小学校中学年向き

2010年8月4日水曜日

ダーウィン












「ダーウィン」(アリス・B.マクギンティ/文 メアリー・アゼアリアン/絵 千葉茂樹/訳 BL出版 2009)

チャールズ・ダーウィンは、幼いころから石やコインをあつめるのが大好きでした。兄のエラズマスがする化学実験を手伝うのも好きで、あやしげな気体や化合物ばかりつくっていたので、「ガス」というあだ名がつけられました。実験ばかりしているチャールズは成績が悪く、16歳のとき父親に学校をやめさせられ、医者になるためにエジンバラ大学にいかされました。でも、チャールズにとっては医学の勉強も退屈でした。2年後、父親にまたも学校をやめさせられたチャールズは、こんどはケンブリッジ大学で、牧師になるための勉強をすることになりました。牧師の勉強も、チャールズにはやっぱり退屈でした。が、この学校で植物学のヘンズロー教授と親しくなり、よく一緒に長い散歩をするようになりました。

さて、父親を喜ばせようと猛勉強をし、ぶじ大学を卒業したチャールズに、思いがけないチャンスが訪れます。ヘンズロー教授から、南アメリカを探検し、世界を一周してもどってくる航海に参加しないかという手紙が届いたのです。チャールズは、反対する父親を説得して、ビーグル号に乗りこみます。

チャールズ・ダーウィンについての伝記絵本です。副題は、「日記と手紙にかくされた偉大な科学者の努力と夢」。ダーウィンの生涯を述べる文章あいまに、メモや手紙が挿入されています。探検から帰ったダーウィンは、教会の反発を恐れて、秘密のノートに自分の考えを書いていましたが、ついに1859年、「種の起源」で進化論の考えを発表します。

絵は色合いの美しい版画。ダーウィンの生涯が簡潔にえがかれた、優れた伝記絵本です。小学校高学年向き。

2010年8月3日火曜日

一わだけはんたいにあるいたら…












「一わだけはんたいにあるいたら…」(グンナル=ベーレフェルト/作 ビヤネール たみこ/訳 偕成社 1984)

昔、海のむこうの島に、あるき鳥が住んでいました。あるき鳥たちは不思議なことに、いつも列をつくり、同じほうを向いて、きちんと並んで歩いていました。ところが、ある日のこと、一羽のあるき鳥が反対のほうへ歩きだしました。

反対のほうに歩いたあるき鳥は、ほかのあるき鳥たちから、ののしられ、踏みつけられ、突っつかれ、脅され、怒鳴りつけられます。でも、もう一羽のあるき鳥がはばたいたとき、皆は大きな可能性に気がつきます。

線画だけのシンプルな絵本です。絵は、単純ですが子どもが描いたような躍動感があります。構成はじつに巧み。一羽が反対に歩いたことによって、皆が大きな自由に気がつくというストーリーが、過不足なく語られます。小学校低学年向き。

2010年8月2日月曜日

ボヨンボヨンだいおうのおはなし












「ボヨンボヨンだいおうのおはなし」(ヘルメ・ハイネ/作 ふしみみさを/訳 朔北社 2006)

昔、あるところにひとりの王様がいました。大きな国の立派なお城に住んでいましたが、とても忙しくて、遊ぶひまもありませんでした。夜遅くに自分の部屋にもどっても、頭のなかは心配ごとでいっぱいでした。ただ、寝るまえにちょっとだけ、ベッドでピョンピョン飛びはねると、王さまはそれはぐっすり眠れました。

ところが、ある晩ひとりのもの好きな大臣が、カギ穴から王様が飛び跳ねている光景をみてしまいます。翌日には、王様の庭の動物たちまで、「王様は、夜ベッドの上ではねまわるんだって」とささやく始末。ベッドではねまわるなんて王様らしくない振る舞いだと、大臣たちは会議を開き、王様は仕方なく、「夜、ベッドの上で飛びはねてはならない」というおふれをだします。が、ちっとも眠れなくなってしまった王様は、病気になってしまい──。

へんてこなくせのある王様のお話です。コラージュをつかったユーモラスな絵が魅力的です。簡潔な絵柄なのですが、ちゃんと王様がベッドの上で飛びはねているようにみえるから不思議です。ラストは、なんとも愉快な大団円が待っています。小学校低学年向き。

なお、この本は「王さまはとびはねるのがすき」(ヘルメ・ハイネ/作 松代洋一/訳 佑学社 1991)を改訂改訳したものです。読みくらべてみるとレイアウトもちがっています。タイトルは以前のもののほうがよかったと思いますが、どうでしょうか。