2011年5月31日火曜日

ベンのトランペット










「ベンのトランペット」(レイチェル・イザドラ/作 谷川俊太郎/訳 あかね書房 1981)

夜、ジャズクラブから音楽が流れてきます。ベンは非常階段にすわって、音楽に耳をすまし、トランペットを吹くまねをします。毎日、学校の帰りにクラブにより、ミュージシャンが演奏するのを見守ります。ベンが一番好きなのはトランペッターです。ベンはどこでも、トランペットを吹くまねをします。けれど、ある日、道のむかいにいた連中に、「ばっかじゃねえか! ペットなんかもってねえくせに」といわれたベンは、ポケットに手を突っこみ、とぼとぼうちに帰るのですが──。

トランペッターにあこがれるベンのお話です。絵は白黒の、シャープで感覚的な、なんとも独特な絵柄。好みが分かれるかもしれませんが、ページからは確実にジャズの音が響いてきます。1979年度コールデコット賞オナー賞受賞。小学校低学年向き。

2011年5月30日月曜日

それは、あらしの夜だった












「それは、あらしの夜だった」(ジャネット・アルバーグ/作 アラン・アルバーグ/作 佐野洋子/訳 文化出版局 1994)

ヤギの番をしていたアントニオは、昼寝をしていたところを山賊にさらわれてしまいました。山奥の洞穴につれてこられ、そとは土砂降りの雨。「退屈で死にそうだぜ! なにか話をしろ!」と山賊の親分にいわれたアントニオは、そこで話をはじめました。「それは、あらしの夜だった」──。

「どしゃぶりの山奥に山賊とオオカミがいた」と、アントニオが続けると、山賊の親分が口をはさみます。「土砂降りはなしだ。雨はむかつくんだよ」。そこで、アントニオは語り直します。「それは凍えそうに寒い夜だった。外は大吹雪で、山にはオオカミとクマが…」。すると、親分はまた口をはさみます。「ほら穴にはうんざりだ。もっとこう広びろした話をしろよ」。そこで、アントニオはまた語り直します。「それは、星明かりのとても気持ちのいい夜だった。金色の月が、銀色の海と浜辺に輝いていた」──。

というわけで、山賊にさらわれたアントニオが、お話をするたびに親分子分に口をはさまれ、そのたびにお話がどんどん変わっていく…という読物絵本です。このあと、海岸に腹をすかせた6匹のクマがあらわれるとアントニオは語るのですが、「クマはだめ」と親分にいわれ、こう語り直します。「南アメリカの悪名高い殺し屋と海賊が突撃してきた…」。「いったいどういう海岸なのよ」と親分があきれるのがおかしいです。絵は、色鉛筆でえがかれた、細部までみどころの多いもの。もちろん最後には、アントニオはぶじ家族のところにもどります。じつに愉快な読物絵本です。小学校中学年向き。

アルド・わたしだけのひみつのともだち












「アルド・わたしだけのひみつのともだち」(ジョン・バーニンガム/作 谷川俊太郎/訳 ほるぷ出版 1991)

ひとりきりで好きなように時をすごすことが多い〈わたし〉には、、アルドという秘密の友だちがいました。アルドは、ほんとうに困ったときに、いつでも〈わたし〉のところにきてくれる特別な友だちでした。いじめられたときも、アルドがきてくれたから、あれだけですんだのです。アルドのことはだれにも話せません。絶対信じてもらえないし、みんな笑うだけだろうから──。

空想上の友だち、アルドについての絵本です。アルドは2本足で立つ、灰色の大きなウサギのような姿をしていて、しましまのマフラーをしています。バーニンガムはコラージュの手法をつかって、〈わたし〉の孤独な心象をみごとに描きだしています。小学校中学年向き。

雪原の勇者












「雪原の勇者」(スターラ・ソーズソン/再話 リーザ・ルンガ‐ラーセン/文 メアリー・アゼアリアン/絵 千葉茂樹/訳 BL出版 2004)

昔、ノルウェーにビルケバイネルと呼ばれる勇猛果敢な戦士たちがいました。ほとんどは貧しい農民で、いくさへいくときは高価なよろいかぶとなど身につけず、白樺の皮をすそに巻きつけるだけで(ビルケバイネルというのは「白樺の足」という意味)でかけました。王に忠誠を誓うビルケバイネルは、バーグラーと呼ばれる連中をさげすんでいました。バーグラーは王に対抗する大金持ちの貴族やいんちき聖職者からなる一派でした。

さて、1206年のクリスマスイブ、ビルケバイネルでもある村の長の小さな小屋に、幼子を胸に抱いたひとりの女性がやってきました。それは、インガ妃とホーコン王子でした。王の死後3週間目に生まれた王子は、自分たちに都合のよい王を望むバーグラーに殺されたと思われていたのですが、じつはシラ・トロンドという人物にかくまわれていたのでした。しかし、バーグラーの勢力は強まり、追っ手は近づきつつあります。そこで、8人のビルケバイネルたちが護衛につき、バーグラーの裏をかいて山をこえ、たくさんのビルケバイネルの頭領がいる北のニダロスを目指すことになりました。

スキーをはいた一行は、吹雪のなかを進み、大変な苦労ののちニダロスにたどり着きます。後半は、王子がほんとうの王子であることを証明するために、インガ妃が「焼き鉄のさばき」を受けるエピソードへと続きます。

副題は「ノルウェーの兵士 ビルケバイネルの物語」。巻末の作者はしがきによれば、王子の生涯を描いた記録、「ホーコン・ホーコン・ソンズ・サーガ」をもとに絵本にしたそうです。版画に彩色をほどこした絵が、歴史ものの雰囲気をよくかもしだしています。この王子救出の物語が、のちにクロスカントリーの由来となったということです。小学校中学年向き。

2011年5月23日月曜日

ねこさんびき












「ねこさんびき」(アン・ブルイヤール/作 すえもりブックス 2000)

文字のない絵本です。木の枝に、なにやら下をみている3匹のネコがいます。下は水面で、赤い魚が3匹泳いでいます。前かがみになった1匹のネコが、ついにジャンプし、水面に飛びこみます。残った2匹もそれに続くのですが──。

大変にひとを食ったオチが、最後に待ちかまえています。この絵本を面白いと思うかどうか、なかなか評価の分かれそうな一冊です。小学校中学年向き。

2011年5月20日金曜日

またもりへ









「またもりへ」(マリー・ホール・エッツ/作 まさきるりこ/訳 福音館書店 1992)

あんまり森がさわがしいので、〈ぼく〉は森にみにいってみました。すると、動物たちがこれから自分の得意なことをして、だれがいちばんいいか腕くらべをするところでした。呼びだし係になった〈ぼく〉がラッパを吹くと、まずキリンがでてきて、長く長く首をのばしました。それをみて、年をとったゾウは、「よろしい、なかなかよろしい」といいました。

このあと、ライオン、サル、クマ、カバ、アヒル、ネズミとヘビ、オウム、ゾウ、そして〈ぼく〉が、それぞれ得意なことを披露します。

「もりのなか」の続編にあたる一冊です。といっても、趣向が同じだけで、話は独立しています。動物たちの腕くらべが大変楽しく、また「もりのなか」同様、ラストがとても秀逸です。小学校低学年向き。

2011年5月19日木曜日

もりのなか










「もりのなか」(マリー・ホール・エッツ/作 まさきるりこ/訳 福音館書店 1980)

〈ぼく〉は、紙の帽子をかぶり、新しいラッパをもって、森へ散歩にでかけました。途中、大きなライオンが昼寝をしていて、〈ぼく〉のラッパで目をさましました。「ちゃんと髪をとかしたら、ぼくもついていっていいかい?」と、ライオンは髪をとかして〈ぼく〉の散歩についてきました。

このあと〈ぼく〉は2頭のゾウ、2匹のクマ、お父さんカンガルーとお母さんカンガルーとその赤ちゃん、1羽のコウノトリと小さなサル、それに1匹のウサギと出会い、森のなかを行列をつくって進んでいきます。

マリー・ホール・エッツの代表作。すでに古典となった1冊です。お話会にもよくつかわれます。子s@m のころこの絵本を読んで、カラーでえがかれているとすっかり思いこんだひとがいたという話を読むか聞くかしたことがありますが、本書はすべて白黒です。画材はパステルでしょうか、深みのある黒が幻想的な世界をささえています。幕切れがじつに見事で、何度読んでも印象深い一冊です。小学校低学年向き。

2011年5月18日水曜日

ダイアナと大きなサイ










「ダイアナと大きなサイ」(エドワード・アーディゾーニ/作 あべきみこ/訳 こぐま社 2001)

ある冬の夕方、リッチモンドの町のクイーンズ通り43番地のジョーンズさんの家では、ジョーンズさんと、奥さんと、娘のダイアナが居間でくつろいでいました。すると、ゆっくりと開いたドアのあいだから、角に赤ちゃんの上着を巻きつけた大きなサイが頭を突きだしました。奥さんは、「キャーッ! サイが赤ちゃんを食べた」と叫んで、床に倒れ、気を失ってしまいました。でも、ダイアナはもののわかった子だったので、「サイが人間の赤ん坊なんか食べるはずないわ、このサイはかわいそうにひどいカゼをひいているのよ」といいました。

ダイアナは戸棚から必要な薬をとりだし、暖炉でトーストをあぶってはサイに食べさせます。ところで、サイが角に赤ちゃんの上着を巻きつけていたのは、サイのことを気に入った赤ちゃんが上着をあげたためでした。いっぽう、ジョーンズさんは警察署や消防署や動物園に電話をし、サイを殺すためにひとがやってくるのですが、ダイアナがサイの前に立ちふさがって──。

カラーと線画が交互にあらわれる構成です。ストーリーはこのあと、ダイアナとサイの生涯に渡る交流をえがいていきます。ひとりの女の子の人生が、ひとつの絵本に収められているのが、とても魅力的です。

本書の冒頭には、「リッチモンドの町のクイーンズ通り43番地に住む孫のスザンナ、クエンティ、ドミニクへ」という献辞が記されています。ひょっとすると、この本にでてくる家の様子などは、お孫さんが住んでいた家なのかもしれません。小学校中学年向き。

2011年5月17日火曜日

ゴールディーのお人形











「ゴールディーのお人形」(M.B.ゴフスタイン/作 末盛千枝子/訳 すえもりブックス 2003)

ゴールディー・ローゼンツヴァイクは、両親が亡くなってから、たったひとりで家に住み、両親が残した人形づくりの仕事をしていました。仕事の好きなゴールディーは、両親が8年間かかってつくったのと同じくらいたくさんの人形を4年でつくりました。そして、いつも間にあわないくらいの注文を受けていました。

ゴールディーはいつも、とてもていねいに仕事をします。いったん、人形の頭と体ができあがると、それを作業台の上に置いたまま寝てしまう気にはなれません。まだ、ゴールディーにしかみえていない、この小さな人形に、責任があるような気がするのです。

人形をつくるときは、いつも森でひろった枝をつかいます。「どうしてきみは、きみの両親みたいに、僕の大工仕事の残りにでる木っ端をつかわないの?」と、友人の大工、オームスはいいますが、きれいに四角く切ってある木だと、生きているような気がしないからです。

ある日、人形を入れる木の箱をつくってもらいにオームスを訪ねたゴールディーは、その足で町にむかいます。金物屋さんにいき、パン屋さんでパンを買ったゴールディーは、ミスター・ソロモンの雑貨屋で、素晴らしく美しい中国のランプと出会います――。

ゴフスタインによる読物絵本です。横書きの、小さくて瀟洒なで、本としてのかたちがよく物語にあっています。このあと、中国のランプを買ったゴールディーは、分不相応な買い物をしたのではないかと落ちこむのですが、そのとき不思議な出会いが訪れます。この本でも、ゴフスタインはシンプルきわまりないスタイルで、心に残る一冊をつくっています。小学校高学年向き。

2011年5月16日月曜日

あかいくるまのついたはこ












「あかいくるまのついたはこ」(モウド・ピーターシャム/作 ミスカ・ピーターシャム/作 わたなべしげお/訳 童話館 1995)

庭の木の下に、赤い車のついた妙な箱がありました。なんだろうな? と、動物たちは開け放しの木戸をならんで通り抜けました。そして、箱をのぞきにいきました。

牛、小馬、ウサギ、4匹の子ガモをつれたお母さんガモ、子ネコ、子イヌが、赤い車のついた箱をのぞきます。なかには、いったいなにがいるのでしょう──?

箱のなかの正体がわかっても、まだ話は終わりません。もうひとひねりしてあります。絵は、必要なものだけをシンプルに、あたたかくえがいたもの。これ以上のものは考えられないという、完璧な絵本の一冊でしょう。幼児向き。

2011年5月15日日曜日

ちいさな赤いとうだい












「ちいさな赤いとうだい」(ヒルデガード・H.スウィフト/文 リンド・ウォード/絵 掛川恭子/訳 2004)

ずいぶん前のこと、ハドソン川の突端の岩場に、小さな赤い灯台が建てられました。灯台の後ろには、大勢のひとが暮らすニューヨークの町がひろがっていました。昼間は、たくさんの船が灯台に挨拶をしながら、いったりきたりしました。夕方になると、灯台守のおじさんがやってきて、灯台に明かりを入れました。すると、小さな灯台はピカッ、ピカッ、ピカッと、すぐにみんなにわかることばで声をかけはじめました。気をつけるんだよ! ぼくはここにいるよ! ピカッ、ピカッ、ピカッ。

みんなに声をかけるとき、小さな灯台はいつも自分が大きくて役に立っていてえらくなったような気になります。ところが、ある日、大勢の男たちがやってきて、灯台のそばの地面を掘りはじめます。それから、鋼鉄の柱が何本も立ち、じき大きな橋がかかります。橋が強力な光を発するのをみた小さな灯台は、意気消沈してしまうのですが、そこへ霧と嵐がやってきて──。

実在する灯台をもとにつくられた絵本です。巻末に灯台の来歴についての文章が記されています。絵は水彩。船や灯台や橋には、なんとなく顔があるようにえがかれています。また、嵐の場面は大変な迫力です。絵もストリーも素晴らしくよくできた傑作絵本です。小学校低学年向き。

2011年5月12日木曜日

ドロボービルのものがたり












「ドロボービルのものがたり」(ジャネット・アルバーグ/作 アラン・アルバーグ/作 佐野洋子/訳 文化出版局 1997)

あるところに、ドロボーのビルが住んでいました。ある夜、ドロボーに入った家で、ビルは小さい穴がたくさん開いている茶色の箱をみつけました。家にもって帰ると、なかからパトカーのような音が聞こえてきました。開けてみると、なかには泣いている赤ん坊がいました。

ビルは赤ん坊に食べものを食べさせ、ピアノを弾いてやり、古いバスタオルをつかっておしめをとりかえてやります。夜になると公園につれていき、夜中の12時ベッドに入って子どものころの夢をみます。ですが、その夜、物音がしてビルははっと目をさまします。「なんてこった。ドロボーの家にドロボーがはいってくるぞ」──。

絵は、色鉛筆で細部までいねいにえがかれたもの。絵の部分と文章の部分がはっきり分かれたレイアウトです。このあと、ビルの家に忍びこんできたのは、女ドロボーのベティで、ビルとベティは意気投合して…と、ストーリーは続きます。ドロボーの改心をえがいた楽しい読物絵本です。小学校中学年向き。

2011年5月11日水曜日

アベコベさん












「アベコベさん」(フランセスカ・サイモン/文 ケレン・ラドロー/絵 青山南/訳 文化出版局 1997)

昔、あるところにアベコベさんの家がありました。アベコベさんの家では、いつも起きるのは真夜中でした。みんなはパジャマに着がえて2階にいき、夕ごはんを食べました。フォークで食べたドッジはお母さんに怒られました。「それは髪をとかすものよ。手の指と足の指をつかいなさい」。

そんなアベコベさんのところに、ある日、おとなりのプラムさんが、「うちのルーシーをみてくれませんか」と留守番を頼みにやってきます。ひとの役に立つことが大好きなアベコベさんたちは、プラムさんの家にいき、部屋を片づけてあげたり(アベコベさん流に)、ルーシーにしつけ(ルーシー! 紙に絵を描いちゃだめ! 壁に描くのよ!)をしたりします──。

さかさに置いたテレビを逆立ちしてみる、アベコベさん一家のお話です。絵は厚塗りの水彩。アベコベさんたちは、やることはアベコベでも、心持ちはアベコベではありません。自分たちの流儀をひとに押しつけたりはせず、「いろんなひとがいるのよ」とすましているのが面白いところです。小学校低学年向き。

スージーをさがして











「スージーをさがして」(バーナディン・クック/文 まさきるりこ/訳 降矢なな/絵 福音館書店 1997)

そろそろ夕ごはんの時間です。でも、スージーの姿がみえません。お母さんはボビーに、スージーをさがしにいくよう頼みました。

ボビーは鳥小屋にいってみましたが、人形と木馬がいるだけでスージーはいません。リンゴ畑にも牛小屋にもスージーはいません。そこで、ボビーは牛小屋の2階にある干し草小屋にのぼっていきます。いっぽう、ボビーがもどってこないので、こんどはアニーが2人を探しにいくことになりますが、アニーも帰ってこなくなります。ついに、お母さんがみんなを探しにいって──。

バーナディン・クックは「いたずらこねこ」「かしこいちいさなさかな」などで高名です。降矢奈々の代表作は「ちょろりんのすてきなセーター」でしょうか。絵は、おそらく色鉛筆でえがかれたもの。多彩な色が、うまくまとまりをもってつかわれています。くり返しと、びっくりするようなオチが楽しい一冊です。小学校低学年向き。

2011年5月9日月曜日

ろばのとしょかん












「ろばのとしょかん」(ジャネット・ウィンター/文と絵 福本友美子/訳 集英社 2011)

コロンビアのジャングルの奥に、ルイスという本を読むのが大好きなひとが住んでいました。ルイスの家は本でいっぱい。「こんなにたくさんどうするのよ。本はおかずになりゃしない」と、奥さんのダイアナは小言をいいました。そこで、ルイスは頭をひねり、いいことを思いつきました。「はるか遠い山のむこうに、本が1冊もないひとたちがいる。そこへ本を届けよう。1頭のロバに本を積み、もう1頭には──ぼくと本!」

ルイスは買ってきた2頭のロバに、アルファとベットと名前をつけます。ロバの背中にかける本箱をつくり、ペンキで「ろばのとしょかんーBIBLIOBURROー」と書き、ダイアナが本をならべて出発します。

このあと、毎週ルイスはアルファとベットをつれて、国中の小さな村を訪ねて歩きます。川を渡るのをいやがるベットを引っ張ったり、途中、追いはぎに襲われたり(追いはぎは本を1冊だけとっていく)しながら、子どもたちに本を届けます。絵は、メリハリのきいた厚塗りのもの。文字と絵のバランスがよくできています。本の最初にコロンビアの地図が、巻末には作者による解説がついています。副題は「コロンビアでほんとうにあったはなし」。巻末の解説にはこんな文章が記されています。

「本を読むのが大好きなルイスさんは、小学校で子どもたちを教えた経験から、読書には、形を変えて大きくなっていく力があることを知っていました」

「2000年から、ルイスさんは2頭のロバに本をつみ、いくつかの村に運びはじめます。70冊ばかりの本からはじめ、やがて4800冊をこえました」

小学校中学年向き。

2011年5月6日金曜日

すばらしいとき












「すばらしいとき」(R.マックロスキー/作 わたなべしげお/訳 福音館書店 1992)

メイン州ペノブスコット湾の入江に浮かぶ小島に住む、作者の暮らしから生まれた絵本です。文章は2人の娘に語りかけるように書かれています。

〈早朝のきりの朝、なぎさにたつと、
 まるで、なにもない世界のはしに、
 ひとりぼっちでたっているように 感ずるだろ。
 すると、なにもない世界から、
 しゅうっ しゅうっ という音が きこえてくる。
 ひとりぼっちじゃない。いるかのかぞくが ちかくにいる。
 アクロバットのように 身をひるがえし、
 海のなかの にしんを たべている。朝ごはんだよ。〉

季節は春から夏へ──。

〈島のちっちゃなみさきの岩は 年をへた岩だ。
 地球が若かったとき、岩は、火のように
 あつかった。おしつぶすような重さで
 氷河が 地球をおおったとき、岩は
 氷のように つめたかった。
 けさ、岩は、太陽にてらされて
 あたたかい。そして、あそびにきた
 子どもたちの うれしそうな声で
 にぎやかだ。〉

クライマックスは嵐の場面です。本土へいって食料とガソリンを大急ぎで買いこみ、手こぎボートを水ぎわから、ずっとはなれたところに引っ張り上げます。たき木をはこび、発電機にガソリンをいっぱい入れ、台所の棚に食料品をのせます。すると、静かに風が吹きはじめ、雨が降りはじめます。そして、嵐がすぎ去ると、大きな木が道をふさいで倒れています。

〈あるきなれた小道や 林の道を、きょうは
 あるけないけれど、たおれた巨人のような
 木のこずえを さぐったり、これまで
 だれもあるかなかった みきや枝の上を
 あるけるんだ。〉

絵は、透明感のある、めりはりの効いた水彩。美しい絵と文章によってつくられた、素晴らしい一冊です。1957年度コールデコット賞受賞。大人向き。

2011年5月4日水曜日

そばがらじさまとまめじさま










「そばがらじさまとまめじさま」(小林輝子/再話 赤羽末吉/画 福音館書店 2008)

昔、そばがらじさまとまめじさまが住んでいました。大雨の続いたある日、そばがらじさまは川上に、まめじさまは川下に〈ど〉(竹で編んだ魚をとる道具)をかけました。つぎの日の朝、2人が川にいってみると、そばがらじさまの〈ど〉には雑魚一匹かかっておらず、代わりに白い子犬が一匹かかっていました。腹を立てたそばがらじさまが子犬を川に投げ捨てると、子犬は今度は川下のまめじさまの〈ど〉に引っかかりました。まめじさまは、その子犬を拾ってわが子のように育てました。すると、と子犬はみるみるうちに大きくなりました──。

まめじさまは、大きくなった白犬を山に連れていきます。犬がほえるたびに、あっちからもこっちからもカモシカがでてきて、おかげでまめじさまは毎日しし汁を食べることができるようになります。それを知ったそばがらじさまは、「その犬、おれさかせ」といって、いやがる犬を連れて山へいきますが、犬はちっともほえません。そこで、そばがらじさまが自分でさけぶと、アブやヘビやハチばかりもじゃもじゃとでたので、そばがらじさまは怒って、棒切れで白犬を殺してしまいます──。

岩手の昔話をもとにした絵本です。花咲じいさんのもとになったお話です。本文は方言で書かれていて、冒頭はこんな感じです。

《むかし あったっけずおん。
 そばがらじさまと まめじさまと すんでいたんだと。
 おおあめの つづいた あるひ、ふたりは、
「こんな ひには、ざっこ いっぺい とれるべぇ」
 と、かわへ いって、どを かけたと。
 そばがらじさまは かわかみに、
 まめじさまは かわしもに、
 ども かけたんだと。》

このあと、まめじさまは犬を埋め、そこにこめこやなぎを植えます。木はぐんぐん伸び、その木を切って〈するす〉(もみすりのための臼)をつくると、白い米がいっぱいでてきます。そこで、そばがらじさまがするすを借りていくと、こんどは馬のふんだの牛のふんだのがでてきたので、するすを割ってかまどにくべてしまいます。もちろん、最後、そばがらじさまは相応の報いを受けることになります。赤羽末吉さんは、白い犬を神様のお使いと考えてえがいたということです。小学校低学年向き。