2010年5月31日月曜日

三つのオレンジ












「三つのオレンジ」(剣持弘子/文 小西英子/絵 偕成社 1999)

昔、あるところにひとりの王子がいました。ある日、リコックチーズ(チーズをとったあとの凝乳からつくる白い柔らかな乳製品)とパンを食べていた王子は、ナイフで指を傷つけてしまいました。白いチーズに落ちた赤い血をみた王子は、「なんてきれいなんだろう。白くて赤いこんなにきれいな娘がいたら、すぐにも結婚したいものだ」と思いました。そこで、王子は娘をさがしに旅に出ました。

旅の途中、王子は陰気な歌をうたっていたミミズクに斧を投げつけます。じつはミミズクは魔法使い。王子の投げた斧により片目を失い、それによってもとの姿にもどることができた魔法使いは、王子をオレンジ畑につれていき、オレンジを3つとってくるようにとうながします。

王子は魔法使いのいいつけを守らず、途中でオレンジを割ってしまいます。すると、なかから美しい娘があらわれるのですが、すぐ消えてしまいます。3つ目のオレンジのときは、いいつけを守ったので娘は消えず、めでたく王子は娘と結婚します。

でも、話はこれで終わりではありません。よこしまな魔女が登場し、花嫁はツバメに変えられてしまい…と物語は続きます。

本書はイタリアを代表する昔話「三つのオレンジ」を絵本意したもの。巻末には充実した解説があります。それによれば、この昔話は「ペンタネローネ」に「3つのシトロン」というタイトルで収録されており、18世紀にはカルロ・ゴッツィにより仮面劇になっています。20世紀にはプロコフィエルによる歌劇「3つのオレンジの恋」で、世界的に知られるようになったということです。しかし、本書の物語は、トスカーナ地方のエジーディオ・コルテッリという、当時82歳の石工が、1970年に孫や曾孫たちに語ったもので、文学的な作品の影響を受けていない貴重なものだということです。

文章はタテ書きの読物絵本。香気あふれる絵が魅力的です。小学校中学年向き。

2010年5月28日金曜日

猫と悪魔











「猫と悪魔」(ジェイムズ・ジョイス/作 丸谷才一/訳 ジェラルド・ローズ/絵 小学館 1976)

ボージャンシーは古い小さな町で、ロアール川の岸辺にありました。ロアール川はフランスにしてはとても広い川で、あっちの岸からこっちの岸まで、1000歩も歩かなくてはなりません。昔は橋がなかったので、ボージャンシーのひとたちは、舟に乗って川を渡らなければなりませんでした。

さて、悪魔はいつも新聞を読んでいたので、ボージャンシーのひとたちが、橋がなくて困っていることを知っていました。そこで、悪魔は市長さんのところにでかけていって、「橋をかけてあげましょう」といいました。「ただし、一番はじめに橋を渡る者が、わたしの家来になることです」。

本書は、文豪ジェイムズ・ジョイスが孫に書き送った物語を絵本にしたもの。語り口は軽妙で、話はトンチがきいています。アップを多用し、たっぷり間をとったクライマックスが、話を大いに盛り上げます。

また、本書の副題は〈歴史的假名づかひの絵本〉。訳者である丸谷才一さんの主義により、「歴史的仮名づかいを採用し」「漢字を大いに使い」「分かち書きをおこなわない」という表記になっています。巻末には、「表記についてのあとがき」という一文があり、丸谷さんが自説を述べているのですが、その文章には、思わずうなずいてしまうような説得力があります。大澤正佳さんによる解説も充実し、絵本としては、なんとも独特な一冊になっています。

2010年5月27日木曜日

こねこのミヌー












「こねこのミヌー」(フランソワーズ/作 岸田衿子/訳 のら書店 2006)

パリに、ネネットという名前の小さな女の子が住んでいました。ある日、ネネットが飼っていた白い子猫のミヌーがいなくなってしまいました。ネネットは、ミヌー!ミヌー!と子猫を呼びながら、あちこちをさがしました。でも、レストランで訊いても、魚売りのおばさんに訊いても、新聞売りのおばさんに訊いてもみつかりません。一体、ミヌーはどこにいってしまったのでしょう。

「まりーちゃんとひつじ」で有名なフランソワーズの描いた絵本です。太い描線でえがかれた、可愛らしい絵が魅了的です。岸田衿子さんの解説によれば、ミヌーという名前は、日本語で「にゃんこ」「こねこちゃん」に当たることばだそう。また、岸田さんも指摘していますが、この絵本は終わりかたが絶妙です。この終わりかたに気づくのは、大人より子どものほうが早いかもしれません。小学校低学年向き。

2010年5月26日水曜日

りすのヒュータス












「りすのヒュータス」(V.H.ドラモンド/作 やまだしげこ/訳 福音館書店 1988)

ミカン色をした毛糸のリス、ヒュータスは、ジュリアンと、ジュリアンのお父さんとお母さんと一緒に暮らしていました。ヒュータスは、ジュリアンの一番のお気に入りだったので、おもちゃの王様でもありました。ある日、公園に連れていかれたヒュータスが、乳母車でじっとしていると、突然吹いてきた風に木の根っこまで吹き飛ばされてしまいました。そこで、日なたぼっこをしていると、ファンテルという名前の、一匹の灰色リスがやってきました。ヒュータスが「ぼくもリスだよ」とファンネルにいうと、「ええっ! おまえがリス?」とファンテルは指をさして大笑いしました。ヒュータスは泣きだしてしまったので、「毛糸のリスだって素敵だね」と、ファイテルは慰めました。

その後、ヒュータスはぶじ発見され、家に戻るのですが、うちにはお父さんからジュリアンにプレゼントが届いています。それは、大きくてお洒落なウサギのぬいぐるみ、ラルフでした。ラルフはひどいうぬぼれ屋で、勝手におもちゃの王様になると、ヒュータスを床の上に追いやって、自分はベッドに入ってしまいますし、公園にいくと、ヒュータスを乳母車から追いだしてしまいます。すると、それを見ていたファンテルが、ヒュータスのところにやってきてこういいます。「もう、きみ、ほんもののリスに変わりたいだろう」。ファイテルが魔法をかけると、ヒュータスは本物のリスになって──。

長め(48ページ)の読物絵本です。後半は、公園の管理人、モートンさんが大活躍。物語は二転三転し、これからどうなるのだろうと思うのですが、最後はなにもかもうまくいきます。

水彩でさっと描かれた絵が、じつに見事です。話もしっかりしていて、読物絵本の傑作のひとつでしょう。小学校中学年向き。

2010年5月25日火曜日

おおきなおとしもの











「おおきなおとしもの」(H.C.アンデルセン/原作 ジャン・ウォール/文 レイ・クルツ/絵 ともちかゆりえ/訳 ほるぷ出版 1979)

おばさんは1羽のメンドリと一緒に暮らしていました。メンドリは毎日立派なタマゴを生みます。ある日、メンドリがタマゴを12個も生み、おばさんは町にいってそれを売ることにしました。

タマゴの入ったかごを頭にのせ、町までいくあいだ、おばさんはタマゴが売れたらなにを買おうかと、大いに夢をふくらませます。まずメンドリを3羽買い、するとまたタマゴが売れるので、こんどは6羽。タマゴの半分はヒヨコにかえして、大きな鶏小屋を建てて、ヒツジを飼って…と、おばさんはすっかりその気になるのですが──。

アンデルセンの詩をもとにした絵本です。話の舞台は中世風。頭のなかで皮算用したただけで、おばさんはじつにうれしそうな顔をします。絵の色合いもはっきりしていて、お話会向けの一冊です。紙芝居もあり。小学校低学年向き。

2010年5月24日月曜日

まほうのなべ












「まほうのなべ」(ポール・ガルドン/再話・絵 晴海耕平/訳 童話館出版 1998)

昔むかし、村はずれの小さな家に、女の子とお母さんが住んでいました。とても貧乏で、食べるものがなにもなくなると、女の子は近くの森へクルミやイチゴをさがしにいきました。ところが、ある寒い朝、女の子は暗い森のなかを歩きまわりましたが、食べるものはなにひとつ見つかりません。倒れた木に腰かけて泣いていると、長いマントを着たおばあさんがあらわれていいました。「これは魔法のなべじゃ。火にかけてこう唱えなさい。〈煮えろ、小さななべよ煮えろ!〉。そうすると、なべはおいしいオートミールでいっぱいになる。食べるだけ食べたら、こう唱えなさい。〈とまれ、小さな鍋よとまれ〉」

さて、おばあさんからおなべをもらった女の子は、走って家に帰ると、さっそくなべを火にかけてみます。〈煮えろ、小さななべよ煮えろ!〉というと、オートミールが煮え、〈とまれ、小さな鍋よとまれ〉というと、煮えるのがぴたっととまります。こうして、いつでも好きなだけオートミールが食べられるようになりましたが、ある日、女の子が友だちのうちに遊びにいったとき、お母さんはおなべをとめる呪文を忘れてしまい、オートミールはねべからこぼれ、家のなかを埋めつくし、ついには村のなかにまであふれでて──。

村中がオートミールだらけになる場面が圧巻です。これからどうなるんだろうと、読んでいてはらはらしてしまいます。また、村のひとたちが、うれしそうにオートミールを食べる姿も印象的です。小学校低学年向き。

なお、本書は「まほうのおなべ」(ポール・ガルドン/再話・絵 田中とき子/訳 岩崎書店 1980)としても出版されています。タイトルや訳者はちがいますが、同内容の絵本です。

2010年5月21日金曜日

仕立屋のニテチカさんが王さまになった話












「仕立屋のニテチカさんが王さまになった話」(コルネル・マクシンスキ/再話 足達和子/訳 ボグスワフ・オルリンスキ/絵 偕成社 2010)

タイダライダという小さな町に、仕立屋のユゼフ・ニテチカさんが住んでいました。とてもやせっぽっちで、スパゲッティのほかはのどを通らないので食べられないほどでした。あるとき、足をけがしたロマ女の傷口をきれいに縫ってあげると、ロマ女はお礼に手相をみてくれました。「日曜日に町をでて、西へ西へといきなされ。あんたを王さまにしてくれる国につきまする」。その夜、ほんとうに王さまになった夢をみたニテチカさんは、ふろしきに針を100本、糸を1000キロメートル、それに指ぬき、アイロン、裁ちバサミを包んで、西にむかって旅立ちました。

ポーランドの昔話を絵本にしたもの。このあと、ニテチカさんは、たまたま知りあった、かかしの伯爵とともに、さまざまな冒険をし、近ごろ王さまが亡くなったというパツァヌフをめざします。文章はタテ書きの読物絵本。登場人物も物語も、陽気で奇想天外です。ラストの壮大さにはびっくりします。

巻末のあとがきでは、物語をていねいに解説しています。それによれば、パツァヌフは実在の町ですが、昔話では必ずおかしなひとばかりが住んでいて、おかしなことばかりが起こる町(昔話研究用語で〈愚か村話〉と分類される話〉)として語られる町だということです。小学校中学年向き。

2010年5月20日木曜日

おおきな木












「おおきな木」(シェル・シルヴァスタイン/作 ほんだきんいちろう/訳 篠崎書林 1976)

昔、大きなりんごの木がありました。木は、かわいいちびっこと仲良しでした。ちびっこは、落ちてくる木の葉をあつめたり、冠をつくって王様を気どってみたり、木によじ登ったり、りんごを食べたりしました。ちびっこは木が大好きでしたし、木もちびっこが大好きでした。けれども、時は流れ、ちびっこは大きくなり──。

大人になり、ひさしぶりにやってきたちびっこは木にいいます。「ぼくはもう大きいんだよ。木登りなんておかしくて。買い物がしてみたい。だからお金がほしいんだ。おこづかいをくれるかい」。そこで木は、りんごを町で売ったらどうだろうと提案し、ちびっこは木によじ登って、りんごをみんなもぎとります。「木はそれでうれしかった」。

このあとも、木はちびっこに自分の全てををあたえ続けます。原題は“The Giving Tree”。大人から子どもまで楽しめ、考えさせられる、忘れがたい絵本です。小学校中学年向き。

追記。2010年に、あすなろ書房より、村上春樹訳が出版されました。そこで、ほんだ訳と村上訳をならべてみたいと思います。

ほんだ訳
《むかし りんごのきが あって…

 かわいい
 ちびっこと
 なかよし。

 まいにち
 ちびっこは
 やってきて

 きのはをあつめ

 かんむり
 こしらえて
 もりの おうさま きどり。》

村上訳
《あるところに、いっぽんの木がありました。

 その木は
 ひとりの少年の
 ことが
 だいすきでした。

 少年はまいにち
 その木の下に
 やってきました。

 そして はっぱを いっぱい あつめ ました。

 はっぱで
 かんむりをつくり
 森の王さまになりました。》

「きのはをあつめ」と「そしてはっぱをいっぱいあつめました。」の箇所は、木の葉が落ちるように文字組みがデザインされています。

2010年5月19日水曜日

グースにあった日











「グースに会った日」(キャリ・ベスト/文 ホリー・ミード/絵 まえざわあきえ/訳 福音館書店 2003)

春になると、沼にグースの群がやってきます。グースは人間と変わりありません。おじいさんやおばあさん、おじさんおばさん、若いグース。みんな黒と白と灰色と茶色の羽をもち、地面にすわりこんだり、眠ったり、水を飲んだりと好きなことをしています。犬のヘンリーが走っていってグースを追い散らすと、一羽だけ飛び立たないグースがいました。そのグースは片足がちぎれていました。

女の子の〈わたし〉が語る絵本です。〈わたし〉は1本足のグースが気になってしかたありません。うちで飼おうといいますが、パパとママに、「野生のグースは、弱くても、自分で生きていくことをおぼえなくてはいけないの」と、いわれてしまいます。そのうち秋になり、群はいなくなりますが、〈わたし〉は1本足のグースのことが忘れられません。そして、春がやってきて──。

絵は、切り絵による、立体感のあるもの。最後の1行がぐっとくる、感動絵本です。小学校中学年向き。

2010年5月18日火曜日

ちびフクロウのぼうけん












「ちびフクロウのぼうけん」(ノーラ・スロイェギン/文 ピルッコ・リーサ・スロイェギン/絵 みむらみちこ/訳 福音館書店 2009)

みんな朝ですよ、寝る時間ですよ、と母さんフクロウが子どもたちにいいました。でも、末っ子のちびフクロウはちっとも眠くありません。そろそろと木を降り、雪の上でぴょんぴょんしている動物に近づくと、「ねえ、ぼくと遊ぼうよ」といいました。

ぴょんぴょんしていたのはウサギでした。でも、ちびフクロウはウサギのように、ぴょんぴょん飛び上がることはできません。クマやリスにも会いますが、クマのように大きな足はありませんし、リスのように松ぼっくりの種を食べたくありません。すると、母さんフクロウがあらわれて、こういいます。「わたしたちは、空を飛べるわ」

「こすずめのぼうけん」によく似た絵本です。絵は、毛の感触までつたわってくるような緻密な水彩画。登場する動物たちの演技が多少擬人化されています。小学校低学年向き。

2010年5月17日月曜日

こすずめのぼうけん









「こすずめのぼうけん」(ルース・エインワース/作 堀内誠一/絵 石井桃子/訳 福音館書店 1977)

あるところに、一羽の子スズメがいました。子スズメが大きくなると、お母さんは飛びかたを教えました。「石垣の上までいったら、きょうのお稽古はそれでおしまい」。さっと前に飛び立つと、驚いたことに、子スズメはちゃんと空中に浮かんでいました。「ぼく、これならあの石垣のてっぺんよりも、もっと遠くへ飛んでいける」と、子スズメは石垣の先へ先へと飛んでいきました。

そのうち、くたびれてしまった子スズメは、ひと休みしようとカラスの巣を訪れます。でも、カラスの鳴き声がだせないから仲間じゃないと、巣に入れてもらえません。以下はくり返しです。子スズメはハトやフクロウやカモの巣を訪ねますが、いずれも断られてしまいます──。

堀内誠一さんの絵が、大変素晴らしいです。子スズメが可愛らしいのはもちろん、空を飛んでいるところなど、いかにも感じがでています。また、だんだんと日が暮れていく描写もみごとです。小学校低学年向き。

2010年5月14日金曜日

おおきなかぬー









「おおきなかぬー」(大塚勇三/再話 土方久功/画 福音館書店 2005)

遠い南の島にラタという若者がいました。あるとき、ラタのお父さんが亡くなってしまいました。そこで、ラタはお父さんの亡きがらをはこぶために、だれもみたことがないような立派なカヌーをつくろうと思いました。ラタは森へいき、どの木よりもずっと高くまっすぐにそびえ立つ木をみつけると、その木を石斧で切り倒しました。

ところが、その晩、一番大事な木が切られたことに腹を立てた森の精たちは、森じゅうの生きものをあつめて、木を元通りに立て直します。以下はくり返しです。倒しても、倒しても木が元にもどるのは森の精のしわざにちがいないと思い、夜通し見張りをしたラタは、何百何千という鳥や虫たちが木を元通りにするさまを目の当たりにします。

木を元通りにするとき鳥たちがうたう歌は、こんな歌です。
《こっぱよ きくずよ とんでこい
 どんどん くっつけ しっかり くっつけ
 すばらしい きよ さあ たちあがれ》

森のなかで、鳥たちの合唱が聞こえてくるような絵本です。小学校低学年向き。

2010年5月13日木曜日

エドワルド せかいでいちばんおぞましいおとこのこ












「エドワルド せかいでいちばんおぞましいおとこのこ」(ジョン・バーニンガム/作 千葉茂樹/訳 ほるぷ出版 2006)

エドワルドはどこにでもいる普通の男の子です。でも、ときどきものをけっとばすと、大人にこういわれます。「乱暴者のエドワルド、おまえはいつでもけっとばしてる。世界中のだれよりも乱暴者のエドワルド」 すると、エドワルドはますます乱暴に。

小さい子に意地悪すると、「世界中のだれよりも意地悪」。
猫をみつけて追いかけると、「世界中のだれよりも野蛮」。
部屋を散らかしていると、「世界中のだれよりもだらしない」。
ついにはみんなに、「世界中のだれよりもおぞましい子どもじゃないか!」

ところが、ある日、エドワルドがけっとばした植木鉢が、柔らかい地面に着地すると、こういわれます。「なるほど、花壇をつくるんだね。素晴らしいじゃないか」。花を育てるのがうまかったエドワルドは、みんなに呼ばれて庭の手入れを頼まれるように──。

本書はエセー風の絵本。つぎからつぎへと、いろんなな例を挙げていきます。後半は、前半と同じことをしても、すべてうまくいくようになるのですが、ずいぶん強引にうまくいかせるところもあって、そこが笑いを誘います。また、数々の例を挙げたのちの結論にはほれぼれします。小学校低学年向き。

2010年5月12日水曜日

でもすきだよ、おばあちゃん












「でもすきだよ、おばあちゃん」(スー・ローソン/文 キャロライン・マガール/絵 柳田邦男/訳 講談社 2006)

ソフィーのおばあちゃんは、ショートケーキをつくるのが上手です。でも、ぼくのおばあちゃんはケーキをつくれません。マイケルのおばあちゃんは、ピエロの鼻みたいに真っ赤な口紅を塗っています。でも、ぼくのおばあちゃんは、自分で口紅を塗ることはできません──。

右のページに、よそのおばあちゃんについて描かれ、ページをめくると、「でも、ぼくのおばあちゃんは…できない」と続く構成です。〈ぼく〉の描写だけを追うと、ベッドから起き上がり、外にでて、花を摘んで、歩いていくといった、一連の姿がえがかれます。

絵は、達者な筆づかいで描かれた水彩画。おばあちゃんたちの顔が大変魅力的です。また、〈ぼく〉の歩いている後ろ姿が印象に残ります。重いテーマをよく昇華した一冊です。小学校高学年向き。

2010年5月11日火曜日

うえにはなあにしたにはなあに









「うえにはなあにしたにはなあに」(ローラ M.シェーファー/文 バーバラ バッシュ/絵 木坂涼/訳 福音館書店 2008)

本書は、タテにして読む絵本。
「もぐらの頭の上にはなにがある?」
ページをめくると──「土がある」。
根っこの上には草があり、「草の上にはなにがある?」
ページをめくると──「ぴょーんとはねてる足がある」。

どんどん上にいって、ついにはお月さままで。すると、こんどは本をひっくり返して、「月の下にはなにがある?」と、下へ下へと続きます。

たんに、上には(下には)なにがあるのか並べただけでなく、カエルがヘビから逃げているところなど、ドラマチックな展開があるのが楽しいです。絵は、おそらくパステルで描かれたもの。タテ長の画面を生かした、臨場感のある絵が魅力的です。お話会向けの一冊といえるでしょう。小学校低学年向き。

2010年5月10日月曜日

おだんごぱん

「おだんごぱん」(プラートフ/再話 エフゲーニ・M・ラチョフ/絵 遠藤のりこ/訳 らくだ出版 1975)

同じ「おだんごぱん」でも、こちらはラチョフが絵を描いたもの。「らくだ世界の絵本シリーズ ソ連編」の第4巻です。本書には、「おおきなかぶ」「おだんごぱん」「おひゃくしょうとくま」「ババヤガーのおばけどり」の4編が収録されています。「ババヤガーのおばけどり」は「ババヤガーのしろいとり」として知られているお話です。

ちなみに、「おだんごぱん」の歌はこんな風になっています。

「ぼくは おだんご おだんごぱん
こやのなかを はきよせて
はこのすみを ほじくって
すっぱいミルクで こねられて
ペチカのなかに いれられて
まどのところで さまされた
おじいさんから にげだした
おばあさんから にげだした
だから うさぎのきみからも
にげるのなんか わけはない」

やはり、瀬田貞二さんのことばづかいが、抜きんでているといえるでしょうか。

2010年5月7日金曜日

ころころパンケーキ












「ころころパンケーキ」(アスビヨルンセン/文 モー/文 スヴェン=オットー/絵 やまのうちきよこ/訳 偕成社 1983)

おなかがすいた7人の子どもたちのために、母さんがパンケーキを焼きました。お行儀よく待っている子どもたちに、お母さんは、「まっててね、いまひっくり返るから」といいました。お母さんは、「ひっくり返す」といおうとして、間違えてしまったのです。これを聞いたパンケーキは、「えっ、ぼくが自分でひっくり返るんだって?」と驚きましたが、ためしに跳ねてみると、うまくひっくり返って、裏返しにフライパンの上に落ちることができました。そこで、こんどはフライパンのそとにでて、ころころ転がって、家の外にでていきました。

ノルウェーの昔話です。話は、ご存じロシアの昔話「おだんごぱん」によく似ています。パンケーキは、おかみさんと、7人の子どもと、おじいさんと、だんなと、メンドリと、オンドリと、カモと、ガチョウから逃げだしますが、最後はブタに…。

絵は水彩の、折り目正しいもの。絵を描いたオットーは、デンマークのひとですが、この絵本を描くためにノルウェーを訪れたということです。小学校低学年向き。

2010年5月6日木曜日

おだんごぱん












「おだんごぱん」(瀬田貞二/訳 脇田和/画 福音館書店 1989)

昔むかし、なにかおいしいものを食べたくなったおじいさんが、おばあさんに、おだんごぱんをつくってくれないかといいました。「うちには小麦粉がありませんわ」と、おばあさんがいうと、「粉箱をごしごしひっかいて、粉をあつめりゃどっさりあるさ」と、おじいさんがこたえました。そこで、おばあさんは粉箱をごしごしかいて、粉をあつめて、おだんごぱんをつくりました。そして、おだんごぱんをかまどからだし、窓のところにおいて、冷やしておきました。ところが、おだんごぱんはじっとしているうちにさみしくなって、転がって、家の外にでてしまいました。

このあと、おだんごぱんは、ウサギやオオカミやクマに出会い、食べられそうになりますが、どの相手からもうまく逃げだします。が、最後に出会ったキツネに──。

ロシアの昔話を絵本にしたものです。逃げだすとき、おだんごぱんはこんな歌をうたいます。

「ぼくは、てんかの おだんごぱん。
ぼくは、こなばこ ごしごし かいて、
あつめて とって、それに クリーム 
たっぷり まぜて、バターで やいて、
それから、まどで ひやされた。
けれども ぼくは、おじいさんからも、
おばあさんからも、にげだしたのさ。
おまえなんかに つかまるかい」

くり返しが楽しい、お話会の定番絵本のひとつです。小学校低学年向き。

以下は余談。松居直さんの講演録を読んでいたら、丸谷才一さんの「日本語のために」(新潮社 1974)という本で、瀬田貞二訳「おだんごぱん」が大いにほめられていると書かれていました。そこで、図書館で取り寄せで読んでみたところ、その文章、「最初の文体」によれば、丸谷さんが読んだのは、井上洋介さんが絵を描いた「こどものとも」(1960年2月号)で、読んであげた息子さんともども大変気に入り、何度も読んだあげく新しい本を買い直したそうです。瀬田貞二訳を引用したのち、丸谷さんはこう褒めちぎっています。

「どうです、いい文章でしょう。力がこもっていて、言葉がいちいち生きている。もたもたした余計な言葉はちっともないし、すっきりと歯切れがいい。お団子パンの歌う短い自叙伝が、委曲をつくしているくせに頭によくはいり、じつに威勢がいいけれど、いかにもこの子供(?)の子供っぽさをうまい具合にとらえているあたりを味わって下さい」

丸谷さんは、お子さんに絵本を買ってあげると、文章のあまりにひどいところは直してから読んであげていたそうです。でも、「おだんごぱん」だけは、朱を入れる必要がまったくなかったとのこと。「こどものとも」200号までのうち、丸谷さんが唸ったのは、「おだんごぱん」ただ一冊でした。さらに、丸谷さんは、なにもあらゆる絵本の文章が名文でなければならないといっているのではない、と断ってこう続けています。

「わたしは、子供に与える文章というのはぜったい、上手下手はともかくとして、生きのいい、生気にみちた、文章でなければならないと思っている」