2012年5月11日金曜日

山いっぱいのきんか










「山いっぱいのきんか」(君島久子/文 太田大八/絵 童話館出版 2005)

昔、中国のある山里にランフーという若者が暮らしていました。月夜の晩、ランフーは山へ草刈りにいきました。かごいっぱいに草を背負って歩いていくと、ふいに足元がぴかりと光りました。「おや、なんだろう」と腰をかがめてみると、山道いっぱいに金貨が並べてありました。

「一体だれがこんなに金貨を並べたんだろう」と、ランフーが考えこんでいると、金貨のあいだから銀色の髪をした不思議なおばあさんがあらわれます。「今夜は八月の十五夜さまで、山の神様が月の光に金貨をさらす日じゃ。ランフーよ、そなたは運良くそれに出会ったから、これをあげよう」。おばあさんはそういって、ランフーに金貨を3枚くれるのですが──。

中国の昔話をもとにした絵本です。文章はタテ書き。絵は、夜の雰囲気がよくでた水彩です。このあと、ランフーはまたおばあさんに金貨をせびり、もう3枚金貨をもらいます。でも、金貨はまだまだあるじゃないかと、ランフーは背負いかごいっぱいに金貨を入れて家路につきます。ところが、かつぎかごなら10倍は入るぞと思ったランフーは、金貨の入った背負いかごを橋の上から投げ捨て家に帰り、おかみさんと、じいさまと、ばあさまと、息子と娘と、ブタ、イヌ、子ヤギ、ヒヨコまで連れて、ふたたび山にむかいます。もちろん、欲張った主人公のつねとして、ランフーには相応の結末が待っています。でも、最後、動物たちにまでバカにされてしまうのは、いささか気の毒ではあります。小学校中学年向き。

おてがみです









「おてがみです」(ガブリエル・バンサン/作 もりひさし/訳 ブックローン出版 1997)

わたしは“小さな郵便屋さん”と呼ばれていた。ほんとにちびだったからね。郵便屋さんの仕事は大変だよ。早く起きて郵便をとりにいく。家に帰って分ける。毎日、10時になると出発する。早く配達することなんてなかった。わたしはゆっくりと郵便をくばって歩いた。わたしはみんなの役に立っていることを誇りに思っていた。

郵便屋さんは手紙を高く上げながら、「ゆうびーん」と声をあげます。でなければ、郵便の合図のラッパを吹きます。すると、子どもたちがあつまってきます。子どもたちは、郵便屋さんがくれるキャンディやチョコレートやビスケットが目当てです。毎日、郵便屋さんを待っている女のひとがいますが、彼女にだけ渡す手紙がありません。そこで、郵便屋さんは1枚ハガキを書いて、彼女に送ります──。

副題は「あるゆうびんやさんのおはなし」。副題どおり、“小さな郵便屋さん”である〈わたし〉の回想記です。絵の下につけられた文章は、まるで写真をみながら語られた思い出話のようです。絵は淡彩。ガブリエル・バンサンは、広びろとしたところを描くのが素晴らしく上手です。本書でも、その手腕はいかんなく発揮されています。最後、見開きのページいっぱいに、本書に登場したひとたちの手紙が記されています。大人向き。

2012年5月9日水曜日

エリカ 奇跡のいのち










「エリカ 奇跡のいのち」(ルース・バンダー・ジー/文 ロベルト・インノチェンティ/絵 柳田邦男/訳 講談社 2004)

1933年から戦争が終わった1945年までの12年間に、じつに600万人ものユダヤ人が殺されました。数え切れないほどの人びとが、銃殺されるか、飢え死にするか、コンクリートの部屋にとじこめられて焼き殺されるか、毒ガスで殺されるかしました。しかし、わたしはそういう目にあわないですみました。

お母さまやお父さまは、何百人ものユダヤ人たちと一緒に駅にあつめられたとき、どんな思いをいだいたのでしょう。牛をはこぶ貨車に押しこめられ、立ったままぎゅうぎゅうづめで、うごくこともできなかったでしょう。お母さまはわたしをしっかりと抱きしめ、わたしを守ってくださったと思います。お母さまとお父さまは、そのだいじな決心をいつしたのでしょう──。

ユダヤ人虐殺をあつかった絵本です。冒頭に、この本は著者が出会ったエリカという女性の生い立ちをもとにつくられたと記されています。絵は、非常に写実的なもの。ほとんどモノクロ調ですが、最後にいたってカラーになります。このあと、お母さまとお父さまのだいじな決心により一命をとりとめた〈わたし〉は、育ての親――ユダヤ人の子どもを預かるという危険をおかした――のもとで成長します。育ての親は、〈わたし〉が生まれて何ヶ月かを想像して誕生日を決め、エリカという名前にちがいないと、そう名づけてくれます。痛ましい運命のなかで、父母の決心が印象に残ります。小学校高学年向き。

2012年5月8日火曜日

かあさんをまつふゆ










「かあさんをまつふゆ」(ジャクリーン・ウッドソン/文 E.B.ルイス/絵 さくまゆみこ/訳 光村教育図書 2009)

「ねえ、エイダ・ルース。シカゴでは黒人の女でも雇ってくれるんですって。戦争があって男たちがみんなたたかいに出ていってしまったからよ」。そういって、母さんはシカゴにはたらきにでかけましたが、手紙もお金も届きません。「何度も手紙をだしてごらん」と、おばあちゃんにいわれ、わたしはせっせと手紙を書きます──。

家にやってきた子ネコを、わたしは可愛がります。「ネコなんか飼えないんだよ」といいながら、おばあちゃんはお皿にミルクを入れ、床に置いてくれます。ラジオからは、戦争のことや死んだ兵隊さんのことが流れてきます。わたしは目をつむり、すぐにもどることなんかできなくなった兵隊さんのために祈ります──。

タイトル通り、冬のあいだ母さんを待つ女の子の絵本です。絵は、写実的で、かつ情感にあふれた素晴らしいもの。文章は〈わたし〉の1人称です。シカゴにいったら汽車を洗う仕事につくといっていた母さんを思いだし、〈わたし〉はこう思います。「わたしも いつか、ひろい せかいを 見に いこう。たぶん きしゃに のって」。2005年度コールデコット賞オナー賞受賞。小学校中学年向き。

2012年5月7日月曜日

これはのみのぴこ











「これはのみのぴこ」(谷川俊太郎/文 和田誠/絵 サンリード 2007)

〈これは のみの ぴこ

 これは のみの ぴこの
 すんでいる ねこの ごえもん

 これは のみの ぴこの
 すんでいる ねこの ごえもんの
 しっぽ ふんずけた あきらくん〉

どんどん話が積み上がっていく、積み上げ話の絵本です。和田誠さんの絵とレイアウトは、この仕事でも非常に明快。話の面白さを十分に引き出しています。「これはのみのぴこ」の一文からはじまったお話は、最後のほうではこんな風になります。

〈これは のみの ぴこの
 すんでいる ねこの ごえもんの
 しっぽ ふんずけた あきらくんの
 まんが よんでる おかあさんが
 おだんごを かう おだんごやさんに
 おかねを かした ぎんこういんと
 ぴんぽんを する おすもうさんが
 あこがれている かしゅの
 おうむを ぬすんだ どろぼうに
 とまと ぶつけた やおやさんが
 せんきょで えらんだ しちょうの
 いれば つくった はいしゃさん〉

お話はもうちょっと続きます。声にだして読むと楽しい、お話会にも向いた一冊です。小学校低学年向き。

2012年5月2日水曜日

レッドブック










「レッドブック」(バーバラ・レーマン/作 評論社 2008)

文章のない、サイレントのマンガのような絵本です。雪の降る日、女の子が道で赤い本をひろいます。なかを開くと、南の島があります。画面はズームアップして、島の浜辺では男の子が歩いています。男の子が砂浜でひろった赤い本を開くと、雪の降る都会がひろがり、ビルの窓のひとつに赤い本を読んでいる女の子をみつけ、そして2人はみつめあいます──。

絵は、太くはっきりした描線でえがかれ、水彩で着色された親しみやすいもの。このあと、女の子は絵本のなかの男の子と出会います。本のなかと外が入れ子のようになった、洒落た味わいの一冊です。2005年度コールデコット賞オナー賞受賞。小学校中学年向き。

2012年5月1日火曜日

キツネ











「キツネ」(マーガレット・ワイルド/文 ロン・ブルックス/絵 寺岡襄/訳 BL出版 2001)

一匹のイヌが焼けたばかりの森から、やけどを負ったカササギをくわえて走ってきました。ねぐらのほら穴に着くと、やけどの手当をしようとカササギを降ろしました。でも、カササギは「どうせもう二度と飛ぶことなんかできないわ」といいました。「ぼくだって片方の目がみえないんだよ」と、イヌはいいました。

何日かたち、少し気力をとりもどしたカササギを背に乗せて、イヌは勢いよく走ります。カササギは思わず叫びます。「飛んで! もっと飛んで! わたしがあなたの目になるわ、あなたはわたしの羽になって!」

文章は手書き。横書きですが、横書きのままタテにレイアウトされたりします。手書き文字と日本語版文字レイアウトは川端誠。絵は、どう描いたのか見当がつかないものですが、ストーリーにぴったりあっています。このあと、カササギとイヌのあいだに、キツネが入りこんできます。最初、カササギはキツネを怖がりますが、「おれはイヌよりはやく走れるぜ。イヌなんか捨てて、おれと一緒にいかないか」とキツネに誘われ、心うごかされます。イヌの背に乗って走りながら、カササギは思います。「こんなのって飛ぶのとはちがうな。まったくちがうな!」。暗い感情のうごきをみごとにとらえた一冊です。大人向き。